第一話 春迎えの夜

 月の光がナルを助けていた。

 夜の帳はとっくに下りている。このような暗闇の中で灯りを使わずにひたすら穴を掘るのは途方もなく難しい。夜空に肥えた月がなければ、さらに難儀していたことだろう。


 掌が摩擦で熱くなり、額や脇からも汗が吹き出てくる。しかしナルはそんなことには構わず、鋤でひたすら穴を掘り続けた。なんとしても、夜明け前までにこの甕を埋めなければ。

 森の闇の奥からは、名前も知らない鳥たちの声がからかうように聞こえてくる。いつものナルなら、恐くてすぐさま家に帰る所だったが、今は恐怖など頭になかった。

 

 何しろナルがこれから埋めるものは、人の死体なのだから。

「・・・どうしてこんな事になったの?」

 さすがに息が切れて動きを止めると、口からは自然とそんな言葉が出た。

しかしそれは仕方のないことだった。


 普段のナルは世間の大半の者がそうであるように、夜中にたった一人で死体を埋めるなどという事とは全く縁のない娘である。

 むしろ、見習いとはいえ仮にも巫女なのだから、こういう死や穢れとは一番距離を置かなくてはならない存在なのだ。

 

 ナルは地面に尻をついて月を仰ぎながら、今日の昼のことを思い返した。

 今日は昼と夜の長さが同じになる特別な日である。この日を境に、鶴亀(つるき)山にあるこの里の花々も一斉に咲いていく。当然、この日は里の巫女団を中心に、特別な祭祀が行うのが習わしだった。大巫女のサクヤもこの日ばかりは大宮を出て皆の指揮を執って儀式を執り行い、見習いを含めた全ての巫女がそれを補佐する。

 里よりもさらに高い、山の頂に登って祭壇をつくり、この山に宿る大神に豫国の作物の豊穣と民の安寧を祈願するのだ。

 それは見習いのナルとて例外ではなかった。ナルには特にこれといってすることも出来ることもなかったが、巫女団の一員として儀式に参列する事が決まっており、ナル自身もそれを誇りに思い、楽しみにしていたのだ。

 肉はしばらく口にしてはいなかったし、朝には朝日を浴びで陽気を、夜には月の光の陰気を取り込んで備え、毎朝冷たい川の水で身を清めていた。

もう準備は万全だったのだ。


 ところが思わぬ来客がナルの予定を狂わせた。

 それはナルが早朝に川で身を清め、家に帰ってきた時の事だった。

家の中で、人の気配を感じ物音が聞こえた。すぐに侵入者だと思った。

 ナルは警戒しながら入り口からこっそりと中を覗くと、確かに男が食べ物を漁っていた。薄暗くて顔もよく見えなかったが、それでもこの里の人間でないことはすぐに分かった。


 着ているものは自分たちとは形が違うし、顔や履物が随分汚れているところを見ると、どうやら長い旅をしてきた後のようだ。

 ナルはすぐに察しは付いた。恐らく、山で迷った人間だろう。何かの事情で散々彷徨ったあげく、ほうぼうの体でこの里に迷い込む者がごくたまにいると聞いている。当然食事など何日もしていないはずだから、こういった不届きなことをする者が大半らしい。

 迷い込んだ時間が昼間なら、里の誰かが食事くらい分け与えるものを。もっと言えば、この里を守る砦の者に発見されていれば、そこまで面倒にもならなかったのに。

 ナルは後ろに薪を握りしめ、恐怖を隠して大きな声で呼びかけた。


「ちょっと! ここは私の家よ! 食べ物なら分けてあげるから、さっさと出て行って!」


 思えばこれが悪かった。今にして思えばそのまま離れて、誰か大人を呼んで来れば良かったのだ。


 ナルの声にびくっと硬直した男は、すぐにもの凄い勢いで振り返った。恐怖とも威嚇とも言えない追い詰められた者特有の瞳が、ナルと合う。

 ナルも体が硬直し、動けず何も言い出せずしばらく見つめ合った。

 すると男は魂を吸い取られたかのようにその場に倒れ、動かなくなった


 死んでしまったのだ。


 男の体に触れ、恐る恐るその事を確認したナルは、訳が分からなくなった。どうして死んでしまったのか。つい先ほどまで生きていたのに。先ほど見つめ合った目は、追い込まれていたが生気があった。   

 自分はとんでもないことをしてしまったのではないか。ナルはすぐさま、姉のところに飛んでいったのだった。



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