恋サバイバル~たかが世界の終わり、されど世界の終わり~

猫柳蝉丸

本編

「お兄ちゃん! 私とエッチしてよ!」

 世界が終わるまで残り一週間だって言うのに、居間に飛び込んで来たかおるがまた馬鹿な事を言い出した。

 二週間前、つまり世界の終わる日が発表された日から、三日間部屋にこもって何か企んでると思ったら、急に飛び出したかおるの一言目が今のと同じ言葉だった。

 それ以来、俺に纏わりついてはエッチだ交尾だセックスだと連呼する日常だ。

 まったく勘弁してほしい。

「今日こそエッチして! 世界が終わるまで一週間だよ! もう時間が無いんだよ!」

「いい加減に頭を冷やせ」

 俺はちゃぶ台に置いていた麦茶を、文字通り冷や水としてかおるの顔に引っ掛けてやる。

 その程度でかおるはへこたれない。

 スカートの中からピンクのハンカチを取り出してから顔を拭くと、かおるはその林檎みたいに真っ赤な頬を膨らませた。

「冷たいなあ、もう。二重の意味で」

「上手い事を言ったつもりか」

「座布団一枚くれる代わりにエッチしてほしいなあ」

「座布団はやらんしエッチもしてやらん」

「どうしてよー、この弾けるフレッシュさに満ち溢れた可愛い肉体だよ? 手を出したいとは思わない? お兄ちゃんの事、夢中にさせる自身はあるんだけどなあ。どうどう? こんな私の姿、ムラムラしてこない?」

 そう言いながらかおるがスカートを落として下着に手を掛けた。

「脱がんでいい脱がんでいい。仮に脱がれてもムラムラしない」

「そう強がらないで嫌らしい表情で凝視してもいいんだよ?」

「強がってねえし、おまえ相手じゃどうやっても勃たねえし」

「勃起しなくてもエッチする方法なんていくらでもあるんだよ?」

「無茶をさせるな。顔を寄せるな。俺の股間に手を伸ばすな」

「ケチー」

「ケチじゃありません」

 俺が冷たく言い放ってもかおるはやはり引き下がる様子を見せない。

 何なんだよ、この兄弟関係。

 世界の終わりまで残り一週間なんだから、もっと有意義に過ごさせてほしい。

 かおるも俺と同じ事を考えてはいたらしい。

 真っ赤な頬を膨らませたまま俺の耳元で囁いた。

「世界の終わりまであと一週間なんだよ? 一週間しかないんだよ? 私と愛欲にまみれた充実した毎日を過ごそうとは思わないの?」

「思わないな」

「もう、お兄ちゃんってば昨日も二回一人エッチするくらい性欲持て余してるじゃない。その若い青い衝動を私で解消してくれても構わないんだけどなー?」

「お兄ちゃんのマスターベーションを覗くんじゃありません」

「お兄ちゃんの一人エッチを目撃した妹が興奮してお兄ちゃんに襲い掛かるっていうのがよく見る鉄板のシチュエーションなのに、自制して襲わなかった私に感謝してほしいくらいなんだけどな?」

「それはどうも御配慮ありがとうございます」

「感謝するなら私の処女を奪ってくれてもいいんだよ?」

「誠に遺憾ながら善処してお断りさせて頂きます」

「日本語がおかしいよ、お兄ちゃん」

「そこは気にするな。大体かおる、何度も言うけど処女を捨てたいなら俺じゃなくてもいいだろう。他にも居るだろ、相手くらい。ほら、クラスメイトの鈴木君とか仲良かったみたいじゃないか」

「鈴木君は駄目だったんだよ。ちょっと迫ってみたら怖くなっちゃったみたい」

「だからって相手を俺にする事はないだろう」

「ううん、お兄ちゃんがいいの。お兄ちゃんって童貞じゃない? 処女と童貞でちょうどいいエッチが出来ると思うんだよね。お兄ちゃんも私となら初々しい青春のエッチを楽しめると思わない?」

「俺の女性遍歴を勝手に決め付けるな。いや、確かに童貞なんだが、その捨て場所くらい本人に決めさせろよ。家族間とは言ってもセクシャルハラスメントで訴えたら勝てると思うぞ。法廷で会うか?」

「童貞の捨て場所、あるの?」

「うるさいな」

 あるもんか。この前だってかおると歩いてたのが原因で振られたばっかりなんだ。

 流石にそれはかおるには伝えないし、かおるの責任じゃない。

 俺とえっちゃんの相性が悪かったってだけの話だ。

「捨て場所が無いんだったら、私でもいいと思わない?」

 真っ赤な頬をもっと赤く染めて、かおるが俺の胸元に飛び込んでくる。

 華奢な肩幅、細い腰回り、蠱惑的なシャンプーの香り。

 くそっ、やっぱり可愛いな、かおるの奴。

 だからと言って、かおるの処女で童貞を捨てたいと思うほどじゃない。

 俺はかおるの頭を撫でながら諭す様に囁いてやる。

「あと一週間あるんだ。かおるくらい可愛かったら処女の捨て場所くらい見つかるだろうさ。何だったら俺もかおるのナンパに付き合ってやるよ。世界の終わりまで一週間とは言え、変な男に引っ掛かったら俺も困るからな。かおると一緒にいい男の品定めしてやろうじゃないか」

「私はお兄ちゃんがいいのになあ……」

「焦るなよ。いや、焦るのはしょうがないけど、手近で手を打とうとするな。今俺で処女を捨てたとして、残り一週間を後悔し続けるのなんて情けないだろ? 焦るっていのはそういう事なんだよ。絶対にいい結果を生まないんだ。俺も修学旅行前に片っ端から告白してどうにか彼女が出来た事があったけど、すぐに後悔したから分かる。せっかく彼女が出来たのに、特に好きなわけじゃなかったから無言の気まずい修学旅行を過ごすだけだったんだよ。あの子にも悪い事をしちゃったって後悔してるくらいだ。だから、な? そんなに焦って妥協しちゃ駄目なんだ。相手が見つからないにしても吟味するべきなんだよ」

「お兄ちゃんは……」

「何だ?」

「お兄ちゃんは童貞のまま死んじゃっても後悔しないの?」

「するだろうな」

「それなら……」

「でも、下手に捨てた方がずっと後悔するとも思う。童貞のまま死んだら妖精になれるって都市伝説もあるし、捨てられそうになかったらあの世で妖精にでもなるさ。その方が後悔もしないしネタにもなるしな」

「そんなの……、私はやだな……」

「だから、一緒に探してやるよ。俺と一緒にさ、かおるの彼氏を探そう。かおるを大切にしてくれる優しくて素敵な彼氏を。焦って俺なんかで手を打たなくていいんだ。世界の終わりまであと一週間だけど焦っちゃ駄目なんだよ」

 俺は俺の伝えたかった答えをかおるに伝えた。

 一週間かおるに迫られ続けて出せた答えだ。

 かおるの満足のいく答えではなかったかもしれないけれど、これが俺の真実の想いだ。

 かおるは何も言わなかった。ただ俺の胸の中でその赤い頬を更に真っ赤にするだけだった。俺の言葉を咀嚼しているのだろうか。俺の気持ちを受け取ってくれたのだろうか。十三歳なんだ。俺の言いたい事の全ては分からないかもしれないけど、欠片でも届いていてくれたら嬉しいんだけれど。

 不意に。

 かおるの震えが強くなるのを感じた。

 視線を落とすと、かおるの目尻から涙が溢れている事に気付いた。

「やだ……、やだよお……。私、お兄ちゃんがいいよお……!」

「だから、焦るなって言ってるだろ? 俺じゃなくても……」

「お兄ちゃんが……、お兄ちゃんがいいのっ! お兄ちゃんに抱かれたいのっ!」

「おまえ……、誰かとセックスして処女を捨てたいだけじゃなかったのか?」

「そんなわけないでしょ! お兄ちゃん以外とエッチなんてしたくないよっ! どうしてそれを分かってくれないのっ?」

「あんなにセックスだけ迫られてたら普通はそう思うだろ……」

「演技に決まってるじゃないっ! そうでもしないとお兄ちゃんにエッチなんて迫れないよっ! 世界が終わるまでもう少しだからって事を言い訳にしなきゃ、お兄ちゃんにエッチしてなんて言えないよおっ! 本当の気持ちを伝えて拒絶されたらなんて思うと、好き過ぎて告白も出来なかったんだよおっ! 好きになってくれなくてもいいから、性欲の解消だけでも私でしてほしかったの……っ!」

 思ってもみなかったかおるの告白が俺を貫いていた。

 なんて面倒臭い奴なんだ……。

 そうは思うけど、かおるの気持ちも分からないでもなかった。

 世界が終わるまで残り一週間。本音を言うと俺だって恐い。恐い……けれど、焦ったり世界の終わりを言い訳にして行動する方が俺にはずっと恐ろしかった。だってそうじゃないか。死ぬ事が決まっているからと言って自暴自棄になって自分を見失ってしまったら、本当に死ぬずっと前から死んでいるみたいなものじゃないか。俺は最期まで自分で居たかったんだ。かおるにもかおるのままで居てほしかったんだ。だから、かおるの誘惑を拒絶していたんだ。いや、かおるの身体に性欲を感じないのも真実ではあるんだが。

 かおるは泣きじゃくりながら続けた。真っ赤な頬はもう真紅の様だった。

「ねえ、お兄ちゃん……。私ってそんなに魅力無い? 私ね、お兄ちゃんの事、ずっと好きだったんだよ? お兄ちゃんはいつだって私を護ってくれて、そんなお兄ちゃんが大好きだった。凄く頼りになった。だから、エッチしたかった。抱き締めてキスして欲しかった。私の処女も奪ってほしかったんだよ……」

「そう……だったか……」

「だからね、私、お兄ちゃんの好みの子になれるよう努力したの。髪も伸ばしたし、仕種だって可愛い女の子っぽくなるよう頑張ったよ。おっぱいだけはどうしようもなかったけど、それでも頑張ったの。すごく頑張ったんだよ? でも……、やっぱり駄目なのかなあ。私の身体が女の子じゃないから……。本当は……、お兄ちゃんの弟だから……」

「それは違う!」

 それだけは否定しなくてはならなかった。かおるに自分を否定してほしくはなかった。

 俺は同性愛者ではない。どれだけ女の子みたいでも男の身体を有しているかおるに性的興奮を感じる事はない。増してや血の繋がった弟なんだ。家族としては見れてもセックスしたいと思える事なんて皆無だった。

 だけど、俺はかおるの事が好きだし、尊敬もしている。女の子の心を持った男の子の身体で産まれてきた俺の弟、かおる。かおるがどれだけ悩んだか俺なんかには到底想像も及ばない。それでもかおるは女の子として生きて来た。どれだけ奇異の視線に晒されても女の子の服を着て女の子として生きて来た。自分自身として生きたんだ。

 そんなかおるだからこそ、世界の終わりなんかに負けてほしくなかった。世界の終わりに焦って、俺とのセックスなんかに溺れてほしくなかったんだ。だから、かおるの誘惑を拒絶していたんだ、俺は。

 俺はそれをかおるに伝える。伝えなければならない。

「馬鹿だな、かおるは」

「馬鹿だよ、どうせ……」

「それならそうとちゃんと伝えてくれればよかったんだ。童貞ってのはさ、マジに面倒臭いんだぜ? いきなりセックスだけ迫られるより、まずは好きだって事を伝えてくれた方が嬉しかったりするんだよ。童貞ってそういう生き物なんだ」

「でも……、お兄ちゃんは本当の女の子の方が好きなのは分かってたし……、それなら身体だけの方がお兄ちゃんも気楽かなって思って、私……」

「そりゃそうだ。俺だって童貞を捨てるなら好きな女の子で捨てたいよ。世界が終わるからっていきなりセックスを迫って来る弟よりはさ」

「うっ……」

「もう一度訊くぞ、かおる? おまえはただ処女を捨てたくて俺に迫ったわけじゃないんだよな? 俺の事が好きだからセックスしたかったんだよな?」

「そうだよ……、私、お兄ちゃんの事が好き。小さな頃からずっと好きだったの!」

 かおるの告白は俺に届いた。それなら俺はこう応じてやるだけだ。

「一週間だ、かおる」

「えっ?」

「俺は好きな女の子で童貞を捨てたい。だからあと一週間で俺にかおるの事を好きにさせてみせてくれ。おまえの身体ではピクリとも勃起しない今の俺から、おまえの処女を奪いたくて仕方が無いくらいの俺に変貌させてみせてくれ。そのための一週間をかおるにやるよ。デートでも何でも付き合ってやる。物理的接触以外ならエロい誘惑だってオッケーだ」

「……いいの?」

「いいよ」

「だって最後の一週間だよ?」

「いいって言ってるだろ」

「その一週間を私にくれるの?」

「俺を好きだって言ってる女の子なんだ。それが例え弟でもそれくらいは付き合うさ」

「お兄ちゃん、大好き……っ!」

 言い様、大粒の涙を流しながらかおるが俺の唇を奪った。初めてのキスだった。

 おいおい、物理的接触以外って言っただろ。まあ、誘惑じゃないしよしとするか……。

 俺はかおると唇を重ねながら、残り一週間のスケジュールを頭の中で組み立てる。

 かおると行きたい所、やりたい事はいくらでも見つかった。

 世界の終わりまであと一週間。

 忙しくなりそうだ。

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