終章 別離のエピロゴス

終章 別離のエピロゴス 1

 薄い雲が空一面を覆った日の朝、凛は自宅の玄関先で靴紐を結ぶ。


 一連の事件は、地下に溜まっていた有害な自然ガスが複数の地点で噴出したことが原因であり、地質調査の末ガスを取り除くことに成功した、という形で報道された。殺害された被害者の死因や破壊された器物は二次災害よるものに改竄された。少々無理があるように思えたが、あの事件を隠そうとすれば、無理が出るのは致し方ないのかもしれない。


 アルコーンの存在や、彼らとの戦闘はあまりに現実離れしており、そして同時に不要な不安を与えることになる、という国の判断があったと、凛はハーミーズから聞いていた。結果的に、事件は存在しないものとして扱われることになった。

 無論、凛達も口止めされた。もし口外すれば国家機密を漏洩したとして刑罰を受ける可能性もあるとのことだ。

 この事件のことを知っているのはパトス粒子変容体対策研究所のメンバーと、凛達協力者とその家族、あとはアルコーンの被害を受けた上で生き残った被害者だけということになる。


 家族が事情を知っているというのは、凛にとってはありがたい。両親の制止を振り切って家を出た凛には事件の終着に至る経緯を説明し、謝罪する義務があったからだ。凛は叱られることよりも、両親に恐れられているのではないかということを心配していた。父と母に能力を向けた自分を娘として見てくれないのではないかと。

 だが、両親は帰ってきた凛を見ると、真っ先にその無事を喜んだ。あの時は、感涙を抑えることができなかった。

 その後、当然のように叱られ、凛の謝罪を経て関係は修復された。


「お父さん、お母さん。行ってきます」


 凛は今まで通りの関係に戻れた両親にそう告げて、家を出る。アルコーンとの戦いが終わって一週間が経ち、漸くやらねばならないことができるようになった。

 直接的な被害だけでなく、ガスの報道をきっかけに町を出る人が増え、ずいぶんと寂しくなった町を見て、つい自嘲する。これが自分達が命を賭けて戦った結果か、と。不満がある訳ではないが、どこか虚しさがあるのは確かだった。

 虚しさとは別に、現実的な不安もあった。しかし、結果的には杞憂だった。こんな状態でも目当ての店は営業していた。


 注文の品を受け取り、凛は花屋を出る。あまり大きくても仕方がないと思い、小さめの花束二つで両手を埋めて、凛は次の目的地へ向かう。

 この町は、きっと病み上がりから復帰しようと、体力を付ける為に休息している状態なのだ。アルコーンという病は完治したものの、この町にはまだ後遺症が残っている。


「あっ、おーい! 天王寺先輩!」


 しんみりとした心持ちで歩いていると、そんな気分を吹き飛ばす元気な声が聞こえた。


「遠浪さん。白蝋君も。……って、それ」


 振り返って、二人に挨拶をする……つもりだったのだが、遥の持ち物に思わず絶句する。

 二束の花束だ。ただの花束ならば凛も持っているが、遥の持っているそれは明らかに大きさが違う。それぞれの手に一束ずつ持っているが、正直両手で一つでも手に余りそうだ。


「はあ……。だから言っただろ、もっと小さくていいんだよ。遥以外にも持ってくるんだから、そんなにでかいの花瓶に入らないだろ」


 両手に花束……ではなく、松葉杖を突いた由羽が心底呆れた風に溜め息を吐く。


「何言ってんの。これはあんたの分でもあるんだから、これくらいのサイズは必要でしょうが」

「二人分どころじゃないだろ、それ。天王寺先輩の五、六倍はあるじゃないか」


 一週間前と比べると二人とも随分明るくなった。遥は人目を憚らず泣いていたし、由羽もかなり消沈していた。今の二人からそういった暗いものは、少なくとも表面上見られない。


「大丈夫だよ。むしろ、大きい方があるちゃんにも、涯島君にも気持ちは伝わるよ」

「あんまり遥のこと甘やかさないでくださいよ……」

「由羽と違って、天王寺先輩はあたしの味方だもーん。ねー」

「あはは……」


 後輩二人に板挟みにされて、凛は曖昧に笑う。

 そんな談笑をしながら歩いていると、三人は目的地――或子の眠る霊園に到着する。怪我をしている由羽のペースに合わせたこともあって、凛が予定していたよりは遅れたものの、早めに着くつもりだったので、約束の時間には十分間に合った。


「よう。……って、それは気合入り過ぎだろ」


 霊園の入口に立っていた伊織が遥の花束に反応する。


「そのつっこみはもういいですよ」

「何だ、俺が滑ったみたいな言い方はやめろよ」


 この二人は今まで接点がなかったらしいが、どうも気が合うらしく、こういった軽口をごく自然に叩き合う。相人に特に親しい二人だ。共感する何かがあるのかもしれない。


「ふむ。これで全員揃ったね。それでは行こうか」


 伊織の隣に立っていたハーミーズが凛達三人の到着を確認し、その先導の元、五人は霊園の中へ向かう。管理事務所で挨拶を済ませ、立ち並んだ墓石に見送られながら歩く。


 幾人もの死者の横を抜けて、凛達は目的の一人の居場所まで辿り着く。百目鬼家之墓と書かれた墓石の下には、或子とその両親、そして先祖達が葬られている。


「最初は、天王寺クンがいいだろう」


 先頭を歩いていたハーミーズが、凛に先を譲る。一礼して、或子の墓の前に立つ。

 話したいことはいくらでもある。出会って一年と、短い付き合いではあったが、思い出は数えきれない程にある。共に過ごした一日一日を語ろうと思えば、きっと語れる。或子が死んだ後も様々なことがあった。知らせなければならないことは山程ある。


 けれど、凛が伝えるのはたった一言。


「――あるちゃん、大好きだよ」


 共に過ごした日々の懐かしさも、失ってしまった悲しみも、仇を討ち、悲願を遂げた喜びも、胸に少し残った寂寥感も、全てその一言に込めた。

 その言葉を告げると同時に、両目からぼろぼろと湧き出るように涙が流れた。涙が流れる理由は、自分でも分からない。けれど、何故か心はとても落ち着いていた。


 涙を拭って、或子に向けて精一杯の笑みを浮かべて花を供えた。悲しくて流れる涙ではないけれど、泣いていてはきっと或子を心配させてしまうから。


 それから、ハーミーズ達も或子へのお参りを済ませ、一行は大小様々な花束で賑やかに飾られた墓石を後にする。


「次は、涯島君か……」


 凛は、片手に残ったもう一つの花束に目を落として呟いた。

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