五章 律動のカルディアー 4

 ハルパーが、突っ込んだ鉄骨の森から這い出て、凛の砲撃によって作り出された開けた空間に再び立つ。人と人外が相対する。


「……ハルパーだ。名付けた奴は気に食わんが、それが俺の名だ」

「そう、私の名前は憶えなくていいわよ。お父さんとお母さんからもらった大事な名前を、あなたなんかに呼んでもらいたくないから」


 互いに戦闘前の儀式のように挑発を放ち合う。そして、会話はそれで十分と二人の間で共通の認識がなされたのか、皮と肉の隙間が痺れるような、薄ら寒い沈黙が流れた。


 凛が相人に下がるよう手で制する。その瞬間、状況は動いた。


 先にしかけたのはハルパーだ。鎌と化した腕が、凛の首をかき斬ろうと振り降ろされる。

 瞬間、不可視の砲撃が異形の鎌を弾く。

 当然、ハルパーの攻撃はそれに止まらない。凛は右側方から迫る槍を見落とさなかった。鎌に続いて槍も弾き飛ばす。

 一瞬の攻防に気圧され、相人の体は自然と後ずさり、戦闘領域から遠ざかっていた。


 ハルパーの攻撃は間断なく繰り返される。相人からは、凛は防戦一方ににしか見えない。ハルパーの刃を確実に防いではいるが、反撃に転じる隙がない。

 このまま対応しているだけではハルパーを倒すことは叶わない。攻めなければ、勝利はない。


「……っ、鬱陶しい……!」


 凛の口から苛立ちの声が漏れる。

 凛の視線は常にハルパーに向いていた。砲撃を駆使して防御してはいるものの、既に凛の意識は攻撃に向いているように見える。


 それが失敗だった。これまでほぼ一定の間隔で襲ってきた刃の速度が上がった。攻撃に思考を傾けていた為に、防御へ向ける意識が薄れていた凛は、速度の変化への対応が遅れた。


「ぐ……ぅっ」


 攻撃が当たる直前に砲撃で斬撃を逸らしたものの、右肩を刃に抉られた。


 凛の顔が苦痛で歪む。凛が痛みに耐えている間にもハルパーの攻撃は容赦なく継続する。

 更に刃の速度は上がる。速度の上昇に伴い、防御が間に合わなくなっていく。

 深い傷ではないが、体中に切り傷が増えていった。このまま守っていれば、いずれ削り取られる。しかし、攻撃に入れば、それが致命傷になりかねない。


「天王寺さん……」


 相人は意識せず、凛の名を口に出していた。戦況が不利である為に、凛の体を心配したから、ではない。未だ凛が、ハルパーに向けて攻撃的な視線を送り続けているからだ。

 防御も間に合っていない今、攻撃すればハルパーの刃を受けることは凛も分かっている筈なのに、それでも攻撃の意思がまるで減退していない。


 凛は自らの防御を捨ててでも攻撃する気だ。その結果、自分がどうなろうと構わない、そう考えている。相人にはそんな風に思えてならない。


 相人は、天王寺凛という人間が、人を思いやることのできる心優しい人だと知っている。

 相人が発作で倒れた時、いつも凛が介抱してくれた。保健委員だから、というそれだけの理由ではない。いつもいつも、凛は少し過剰なくらいに心配してくれた。発作などいつものことなのに、相人自身以上に凛は相人の身を案じてくれた。


 そんな凛が、今敵を倒す為ならばどんな犠牲も厭わない、そんな戦い方をしている。相人にはそれが耐えられなかった。

 先程、ハルパーをおびき寄せる為に相人を危険に晒したことも、今自分自身の負傷も厭わずに敵に挑もうとしていることも、以前の凛では考えられなかったことだ。


 相人は凛が復讐に囚われていることを否定しようとは思わない。相人もアルコーンに恨みはある。死んでしまえばいいと、殺してしまえればいいと、相人ですら思っているのだ。或子と親友だった凛の復讐を否定することはできない。

 だが、その過程でどんな犠牲を払っても構わないという、凛の姿勢だけはどうしても受け入れられない。天王寺凛という人間が犠牲を許容することが、どうしても我慢ならない。

 何より、凛自身が犠牲となり、命を落とすことなど見逃せる筈がない。


 これから相人がやろうとしていることは、犠牲を許してほしくないという考えとは矛盾するかもしれない。だが、それでも相人はそうせずにはいられない。


 相人が決意したのと同時、凛も方針を確定した。

 凛の元にハルパーの刃が迫る。しかし、凛はこれを防御せず、攻撃の為に砲撃を放っていた。目には見えないが、相人にはそれが分かった。

 凛の砲撃が命中すればあるいはそれでハルパーを打倒できるかもしれない。だが、このままでは凛の死は絶対のものとなる。


 胸が痛む。友情、義憤、尊敬、悲しみ、怒り、恐怖、様々な感情が渦巻き、食い合い、暴れ回る。頭は行けと叫んでいる。体は止まれと叫んでいる。内側から針を千本突き刺されたような痛みが胸を襲う。相人の中にある異物が、相人の感情に刺激されている。この場で倒れてしまいそうな激痛。呼吸の仕方もとうに忘れた。早く意識を手放して楽になりたい。


 行くな、止まれ、何も考えるな。心臓のアルコーンが無言でそう語りかけてくる。

 このまま行けば死ぬ。行為の結果としての死よりも先に、胸の痛みに殺されるだろう。


 ――知ったことか。


 もう痛み以外何も感じない体で、相人は前に踏み出した。

 相人は胸を肉が食い込む程に掴んで激痛に耐えながら走る。

 向かう先は、凛を襲う刃の前。


「うぅあああああああああああああああああああ――!」


 叫びを上げ、無理矢理痛みを捻じ伏せ、相人は凛に背を向けて庇うようにそこに立った。


「え……」

「っ、貴様……ッ!」


 凛が呆けたように、ハルパーが驚愕に目を見張り、相人を見る。


 そして。胸の痛みが、消えた。

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