五章 律動のカルディアー

五章 律動のカルディアー 1

 ハーミーズ達は病院から研究所に戻ってきた。伊織を加え、しかし相人を欠きながら。


 それに加え、由羽と遥が負傷し身動きを取れない状態だ。遥は出血が酷かったものの、すぐに処置を施した為、輸血して一日か二日安静にしていれば動けるようにはなるだろう。

 危険なのは由羽の方だ。体中の打撲と骨折は簡単に治るものではない。完治には最低一ヶ月はかかる。動けるようになるのにも時間が必要だ。それだけの期間、戦力が減る。


「涯島君を助けに行きます」


 遥と由羽の処置を終わらせた、その日の深夜。施術後のハーミーズに凛が直談判してきた。


「……ああ、もちろんそのつもりだ。遠浪クンが動けるようになったら……」

「待っていられません。私一人でもすぐに行きます」


 凛の態度は強硬だ。最初に相人が攫われたと伝えた時には、ここまで頑なではなかった。無論深刻そうにはしていたが、それでも遥の回復を待つだけの余裕はあったように思う。

 凛が強情さを見せ始めたのは、相人を連れ去ったアルコーンについて言及した時からだ。


 思い返せば迂闊だった。刃のアルコーンは或子を殺したと目される存在なのだ。親友の仇に友人を攫われたとなれば、凛が冷静でいられないということは予想して然るべきだった。

 一人で奪還に向かうのはあまりに危険だ。だが、それを言っても聞く耳持たないだろう。


「しかしだね、助けると言ってもどうする? 涯島クンの居場所は分かっているのかい?」

「探します。敵が行動したということは、目撃者がいる可能性は十分あります。敵の移動経路に反応現象の被害者がいる筈です。それを辿れば見付けられます」


 冷静さを欠いているようで、妙なところでしっかり考えている。いや、思考が敵を倒すことに偏っていると考えるべきか。


「……分かった。その線で捜索しよう。だが今日はもう遅い。その案は明日からだ。流石に今のような消耗した状態で敵に当たらせる訳にはいかないからね」


 ハーミーズは少し考え、時間を稼ぐことにした。凛が提案した捜索方法は研究所全体での活動となる。そうなれば、情報は所長であるハーミーズの元に集まる。相人を発見しても凛に知らせるのを遅らせればいい。

 それに、ハーミーズはそう簡単に見付からないと考えていた。アルコーンも自身の生態は理解している筈だ。これまで見付けられなかったことを考えれば、用心されていると考えるべきだろう。実際、前回の襲撃の後も反応現象の跡を辿ったが、敵の発見には至らなかった。


「……分かりました。明日の朝一に始めましょう」


 凛はそう言ってお辞儀すると、自分の寝室に向かった。

 ハーミーズは凛を見送り、安堵の息を吐く。今の凛の相手をするのは息が詰まる。


 ハーミーズの安堵の理由には隠しごとが気付かれなかったということも含まれていた。

 実を言えば、ハーミーズは相人の現在地を把握していた。


 昨日、ハーミーズは相人の携帯電話をGPSで追跡できるようにしていたのだ。由羽による攻撃を受けて、必要な措置であると考えたからだ。他の面々にも同様のことをしようと思っていたが、それを実行する前にこうなったのはある意味では不幸中の幸いだったかもしれない。そのお陰で凛に気付かれずに済んだ。

 無論、敵に携帯を捨てられる可能性もあるが、エルメスはそれは考えにくいと思っていた。アルコーンはなまじ能力が高く、他者と接触困難である為に、科学技術を殆ど必要としない。西園愛も五年近く社会から離れている。GPSのことを知らなくても不思議はない。


 これからの行動方針は凛の目を欺く為、相人の捜索をする振りをしつつ、遥の回復を待ち、その後に相人を救出する作戦を実行するということになる。それまで相人は敵に捕まったままになるが、刃のアルコーンの口振りから推察するに命の危険はないと考えていい。


「我ながら、冷酷な戦略かもしれないな」


 柄にもなく、自嘲するように呟くのだった。




 凛が寝室に戻ったのは深夜一時になるかどうかといった頃だった。


 それから、疲れた体を休める為に一眠りした。――しかし、丁度三時間後に再覚醒する。

 深夜四時。夜更かしの多いハーミーズも、二件の手術を終えた日のこの時間になれば眠っているだろう。凛は物音を立てないよう気を付けながら寝室を出る。人々は寝静まった時間帯だが、僅かな朝日が窓から差し込んで足元ははっきりと見えていた。

 階段を降り、管理人室に忍び込む。しかけを起動し、地下への階段が出現する。そして、地下に向けて更に降りる。地下に降り立った凛は階段から差すほんの少しの明るさだけを光源にして、ハーミーズの個人研究室に向けて歩く。


 凛はハーミーズの欺瞞を見破っていた。相人の携帯電話の座標を捕捉できることは既に知っていた。相人を見舞った際に本人から聞いていたのだ。

 ハーミーズがそれを忘れているということはないだろう。だというのに凛に相人の居場所が分からないだろうと言ってきた時点で、凛に単独で行かせる気がないことは理解できた。


 無理矢理端末を奪うのは簡単だが、できれば穏便に済ませたい。だから、凛は一度ハーミーズの考えに従う振りをして、気付かれぬようにハーミーズの研究室に忍び込もうと考えた。

 所長個人研究室と書かれた部屋の扉の前に立ち、一層音を出さないよう注意しながら、慎重に扉を開ける。


 その部屋は乱雑だった。机の上にも床にも書類が散乱しており、本棚にはまだスペースがあるというのに、様々な言語で書かれた専門的な研究書が床に重ねて置かれている。

 そんな秩序なき部屋の主はデスクの上でパソコンのキーボードを枕に眠っていた。

 作業の途中で寝入ってしまったのか、幸いなことにパソコンにはロックがかけられていなかった。ハーミーズを起こさないように注意しながら、凛はパソコンの中を探す。

 しかし、探しても探してもそれらしいデータは見付からない。セキュリティのかかった領域があるが、これはどうやら重要な研究内容のようだ。パソコンに拘泥するのを一度辞めて周囲を見渡すと、デスクの上の散乱した書類の中にタブレット端末が隠れていた。


 書類の山を崩さないようタブレットを取り出して起動すると、ロック画面が表示される。この中を確認するにはパスワードが必要だ。

 凛は、もう一度パソコンを操作する。今度は見付けた。パスワードというタイトルのメモだ。ハーミーズはパソコンのメモ帳に複数のパスワードを憶え書きしているようだ。流石に重要な研究内容を閲覧する為のパスワードはなかったが、タブレット用のコードは見付けた。


 凛はパスワードを入力してロックを解除すると、GPS追跡アプリを起動する。相人の携帯電話の反応は町外れの廃工場に表示されていた。


 もう、ここに用はない。凛はタブレットを手にハーミーズから離れる。

 ここまで来た時と逆の道順で管理人室まで戻る。そこからは階段を上って自室には戻らず、そのまま正面玄関から外に出た。


 ハーミーズの部屋の捜索で思いの他時間を取られた。現在時刻は午前四時四十分を回ったところ。ここから廃工場まで、歩きだと二時間以上かかる。この時間だとバスやタクシーもないだろう。敵の元に着くのは大体七時頃になるだろうか。


 問題ない。アルコーンを、刃のアルコーンを倒せさえすればその時間などどうでもいい。


 歩き出した凛の黒髪はその激情に応えるようにゆらゆらと揺れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る