渾融のパトス
黒鉛筆
序章 回想のプロロゴス
序章 回想のプロロゴス
――とても寒い日だったのを覚えている。
少年の視界には白いフィルターがかかっていた。一月半ばではまだ体内から吐き出される空気は外気温よりも高く、白いもやとして昇っていた。
時刻は二十一時を回ったところ。部活にも塾にも所属していない中学生にしては遅い帰宅だが、少年にとっては然程珍しいことではない。人に迷惑をかけている訳でもないし、誰に心配をかける訳でもない。
だから少年は、特別焦ることもなく、一定のペースで吐き出される白い息の向こうに、明滅する街灯を見ながら普段と変わらぬ足取りで歩いていた。
子供が出歩くには遅く、町が寝静まるには早い、浅い夜。だというのに、少年の歩く道には彼以外に人影は見当たらなかった。それは偶然少年の帰路が人通りの少ない道ということでしかないのだが、自分以外誰もいない光景というのは、どこか少年自身の心境を表しているようで――否。誰もいないというのは、間違いだった。
白みがかった視界の向こうに、それでもなお引き立つ白い少女が立っていた。
歳の頃は少年より一回りか二回り幼い印象だった。真冬だというのに、半袖の白いワンピースを着た少女。その肌は、それよりも更に白い。雪より白く、少年が見たどんな白よりも白い気がした。
「――ァ」
気付けば、少年は足を止めていた。少年の目はその少女に釘付けになっていた。見惚れた? いや、そも少年からは少女の顔もよく見えない。
街灯が明滅する。規則的だった白い息が昇る間隔が狭まる。
「あ……ああ」
少年は、恐怖していた。
無意識に口元から怯懦の呻き声が漏れる。何故あんな少女に怯えているのか、少年には分からない。けれど恐ろしい。あまりに恐ろしくて、叫びたくても言葉にならない程に怖い。
チカ、チカチカ、と人工的な光が不規則に瞬く。呼吸器系が尋常でない速度で活動する。
「あ、ああ……あああ」
怖い。恐い。コワイ。こわい。ひたすらに怖かった。恐ろしくて、自分の頭を砕いて、脳味噌を放り出したいとすら思った。
少女が近付いてくる。思わず後ずさる、などという行動すらできなかった。
発光と消灯の繰り返しは眩暈を誘い、最早ひきつけを起こしたような呼吸は生命活動の邪魔でしかなかった。
「んgsjんgv? gねいうthgにえあいぐ」
少女が何かを語る。少年には、既にまともに聞き取ることすらできなくなっていた。
少女の姿がぐずぐずに溶け出す。肉も骨も皮膚の裏側も眼球も全部が全部一緒くたになって、少女は何かよく分からない塊になった。
光る、消える、光る、ヒカる、苦しいくルしいクルしイ狂しイ白いしロい白い白いシロい白イ――!
「gないぐhvなpg。jgなえいwふぃあ」
何かから何か音が出る少年は自分の瞼の裏が腐っている気がして掻き毟りたかったけれど体が動かないので歌うことにしたそれでも声は出なかったので少年は自分の頭をボールにしてサッカーがしたくなった何かから細長い管が伸びる表面には昆虫の足がびっしり並んでいるそれが少年の胸に突き刺さる突き刺さり管を通って蛍光色の液体が流し込まれる。
――液体が少年の体に届いた時、少年の意識は塗り替わった。
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