第9話 スケジュール管理(前編)

 エルシーア海軍造船主任のホープは、隣を歩く青年に向かって話しかけた。


「お前さんも仕事熱心じゃな。海軍省の発令部で半日あれやこれやと缶詰状態で話を聞かされた後、もう宵の口だというのに、修理ドックまで船の様子を見に来るんだからな」


「……すみません。忙しいのにお邪魔してしまって」


「はぁ!?」


 ホープは面喰らったように青年(彼とのつきあいは三年になる)――ロワールハイネス号の艦長、シャイン・グラヴェールの困惑に歪む顔を見つめた。


「何でお前さんが謝る? 誰も邪魔だとは言っとらんし、ロワ-ル号のことが気になるのは艦長として当然のことじゃろう?」


「……すみません」


 シャインはホープと目を合わそうとせず、再び小さく謝罪の言葉を呟くと、気まずそうに青緑の瞳を伏せた。俯いた拍子に、額の真ん中で分けられている淡い金の前髪が、青白い面を覆うように重た気に被さり影が落ちた。

 

 ――シャインの奴。かなり疲れとるな。

 ホープは眉をひそめた。

 かすかに聞こえたのだ。シャインの口から漏れた溜息が。

 また厄介な任務でも命じられたのだろうか。

 いつものシャインなら、人前で自分の弱味を見せるようなことはしない。

 余程嫌な話を聞かされたとみえる。


 だがホープは、それをシャインに訊ねることはしなかった。

 その行為が軍規で禁じられていることは当然なのだが、シャインは気分が滅入ると途端、貝のように口を閉ざし他者に干渉される事を拒むのだ。


 ホープはそんなシャインの性格を知っているので、黙ったまま、日の落ちた薄暗いエルドロイン河岸を、海軍本部の裏門に向かって歩き続けた。


 何か言いたいことがあれば、シャインの方から言ってくる。

 しかし。

 ホープは隣を歩くシャインを横目で見た。

 こんな時、ロワールが彼の側にいてくれれば。

 ワシなんぞよりよっぽど気の利いた言葉で、彼を元気づけることができるだろうに。ホープは心からそう思った。


 船の精霊レイディであるロワールは、人の抱く邪な想いとは無縁の存在だ。

 だからこそ気難しいシャインも、彼女だけには心を許している。

 心を許すというか、彼女の前では自分の気持ちをいつものように抑え込もうとはせず、自然に振るまっているような気がする。

 ホープは右手を上げて、黙々と隣を歩くシャインの背中を軽くこづいた。


「……あ、なんですか?」


 何か考え事をしていたのか、ホープを見つめるシャインの表情はどこか虚ろで生気がない。

 辛気くさいシャインの顔を苦々しく見つめつつ、ホープはすっかり忘れていた事を思い出した。


「シャイン、よかったらこれから夕飯にしないか? 『海鮮焼き』の旨い店があるんじゃ。奢るぞ?」


 時刻は19時をとっくに過ぎている。

 シャインはどうだか知らないが、ずっと修理ドックで作業していたホープは食事に行きたかった。


「そうですね――」


 シャインの表情が少し明るくなった。

 いや、そういう風に見えたのは、海軍本部の裏門に掲げられた角灯のせいかもしれない。


 シャインとホープはこじんまりとした鉄の門扉をくぐり、白い壁沿いにしばし石畳を歩いた後、海軍省の通用門までやってきた。ここをくぐれば海軍省の外――大通りへ出られる。


「……」

「シャイン?」


 ホープは返事をしないシャインに内心毒付いた。

 今宵は付き合いが長いホープといえど、誰かと食事を一緒にする気分にはなれないらしい。

 それなら仕方ない。じゃ、ここで別れようかと思った時、ホープは目の前の黒い影に一瞬両目を見開いた。


「これは……グラヴェール中将閣下」


 海軍省の通用門の前には外出先から戻ってきたのだろう。黒い外套に身を包んだ濃い金髪の大男――もとい、エルシーア海軍で参謀部の長を務めるアドビス・グラヴェールが立っていたのだ。

 いわずもがな、彼はシャインの父親でもある。


「……」


 シャインはいち早く父親の気配に気付いていたのだろう。

 口をきつく結びアドビスと視線を合わせようとせず顔を伏せ、門の脇へ歩み寄ると通路を譲った。

 アドビスはシャインの方を一瞥して門をくぐった。

 だがシャインは相変わらず父親を避けるように顔を伏せたままだ。


 ホープは知っていた。シャインがアドビスに対してあまりよい感情を抱いていないことを。

 この二人が親子であることを知っている者は多いが、実は不仲であるということに気付いている者はごく少数であった。


 シャインは船に乗っているためアスラトルを留守にすることが多く、従って自然とアドビスに会う機会は限られてくる。そして彼等の会話は海軍省で用件がある時だけ成立するから、シャインが公の場で、父親であるアドビスに対して『グラヴェール中将』と、他人行儀に呼び掛ける言い方に違和感を覚える者は、ほとんどいなかったのである。


 通用門で単にはち合わせしたグラヴェール親子は、何の挨拶も言葉も交わさず、そのまま双方立ち去るだけに思われた。


 だが門をくぐったアドビスが、シャインの隣に佇むホープにちらりと視線を向けた。角灯の灯にアドビスの鋭利な水色の瞳が猛禽の眼のようにきらりと光る。


 それはホープに向けられた後、何かを察したように、俯くシャインの方へ注がれた。同時に石畳を歩くアドビスの靴音が絶えた。

 シャインに背を向け立ち止まったアドビスは、不意に言葉を発した。


「ロワールハイネス号は二度目の修理申請をしたそうだな? 一回目は処女航海が終わった後で。二回目は今、アスラトルに帰港してから」


 ホープはアドビスが自分に話しかけたのだと思って口を開きかけた。


「……あのですな……」

「それが、どうかしましたか?」


 シャインの右手がホープを制するように動いた。

 同時にシャインはゆっくりと顔を上げ、真っ向から自分を見つめるアドビスの視線を受け止めながら、そっけない口調で返答した。


「ロワールハイネス号は新造艦だ。就航してまだ二ヵ月しか経っていない」

「新造艦だろうが老朽艦だろうが、壊れる時は壊れます」


 アドビスが小さく鼻で笑った。


「腕の良い船乗りは、船を傷つけない操船をするものだ」


 ホープはアドビスの嫌味に思わず肩をすくめた。

 アドビスは暗にシャインの艦長としての能力に対してケチをつけたのだ。

 お前は船一つロクに扱えない未熟者だと――。

 勿論シャインもそれをわかっている。

 シャインは額に垂れる前髪を手でそっと払いのけた。

 露になった金色の睫毛の下で碧海色の瞳が笑っていた。


「お言葉ですが、中将閣下。俺をロワールハイネス号の艦長にしたのはあなたです。つまり、あなたの眼力はその程度だったということですよ」

「……」


 はっとアドビスが息を飲む音をホープは聞いた。

 撃った弾が獲物には当たらず、自分に向かって跳ね返ってきたことに慌てる猟師のように、アドビスはシャインの顔を凝視していた。

 だがそれは僅かな間だった。

 アドビスは再び自らの動揺を抑えるかのように、小さく息を吐いた。

 シャインから視線を逸らし、低く唸るように呟く。


「……次の命令は知ってるな?」

「ええ」

失敗しくじるな」


 シャインが唇を歪めて目を伏せた。

 そこには呆れたように苦々しい笑みが浮かんでいる。


「不安なら、どうかあなたのお力で、他の方に行ってもらって下さい」

「シャイン」


 アドビスは今にもシャインの細い肩に向かって掴み掛からんと右手を上げた。が、ぐっとそれを握りしめ、再び外套の中に収めた。かすれた声がシャインに言い放つ。


「お前には、艦長としての誇りがないのか?」


 シャインはアドビスの顔を一瞬、憐憫に似た表情で一瞥した。


「任務とあなた一人の小さな誇り。どちらを優先するべきか、おわかりになりませんか? 中将閣下」


 シャインは淡々とした口調でそうつぶやくと、ホープに向かって微笑んだ。

 まるで実の父親はこちらといわんばかりに、親愛の情がこもった笑みだった。


「これからホープ船匠と食事に行くんです」

「……」

「あなたのせいで随分待たせてしまいました。では、これで失礼します」

「えっ、あっ!」


 ホープはシャインに腕を掴まれ、半ば引きずられるように通用門から外に出た。


「ちょっ、おいおい!」


 あの一見優男にしかみえない細い体のどこに、アドビスと同じくらいの身長(190センチ超え)があるホープを引きずっていく力があるのだろう。


 大通りを北に向かい、角を左に曲がって、通用門が見えなくなる距離まで歩いてから、シャインはようやくホープの腕を解放した。

 無理をしてホープを引っ張ったせいか、ケープのついた青い軍服の肩が上下している。


「シャイン……お前さんも相当な意地っ張りじゃな」


 ホープはシャインに掴まれていた腕をそっとさすった。

 俯いて息を整えていたシャインが顔を上げた。


「すみません。どうもあの人は苦手で。強引なことをしてしまいましたが、早く立ち去りたかったんですよ」

「……」


 シャインは小さくうなずくと周囲を見回した。


「夕飯、御一緒してもいいですよね? 道、こっちで合ってますか?」


 ホープは「ああ」とうなずいた。



 



 (後編)へ続く

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