第2話 「いつもの」


「こちら側は引き受けます」


 ジャーヴィスは冷徹な眼差しを黒服の集団に向けながら、腰に帯びていた軍刀をゆっくりと引き抜いた。


「どうしてここに?」


 シャインは斬り掛かってきた髭面の男の剣を自分の剣で受けると、その横腹をブーツのつま先で思い切り良く蹴り飛ばした。

 路地にはすでに倒された7、8人の男達が彼の足元でのびている。


「その、なんでもひとりでやろうとする癖。やめてもらえませんか」


 ジャーヴィスはにこりともせず、左からきた背の低い男の剣を鞘で受け、右手に持った剣の柄でその脳天を打ち据えた。


「海軍省を一緒に出てから、こいつらにずっと尾行されてたのは、私だってわかってたんです。それなのに」


 ジャーヴィスとシャインは背中合わせの体勢のまま、自分達を取り囲む黒服の集団を睨み付けた。


 まだ10人ほどいるだろうか。

 黒くて丸い帽子に目元だけ黒い仮面をつけて顔を隠した無気味な集団。

 彼等は剣術の心得があるのか、その動きには無駄がなくそして素早い。


「突然、『用があるから』って走り出して。もう少しで見失う所でした。こんな路地に駆け込むのを見たら、誰だって怪しいって思いますよ?」


「……」

「で、今度は一体何をしたんです?」


 シャインは猛然とジャーヴィスの方へ振り返った。


「何もしてない」


 ジャーヴィスの青い瞳が一瞬のうちに険しさを増した。


「そんなはずがないでしょう!? 何かあったから、あなたは襲われているんでしょう?」


 シャインは頭を振った。そっけない口調でつぶやく。


「悪いが、君には関係ない」


 その一言で何とか抑えていたジャーヴィスの理性は木っ端みじんに吹き飛んだ。たまらずシャインの方へ向き直り、正面からその顔を睨み付ける。


 彼の身を案じて助太刀に入ったのに。

 未だ自分を信用してくれないシャインの態度がたまらなく悔しかった。


「お言葉ですが――グラヴェール艦長」

「ジャーヴィス、頭を下げろ」

「ええっ!?」


 ジャーヴィスは突如シャインに航海服の襟を掴まれてよろめいた。


 ひゅっ。


 風を頭上で感じた時、シャインが上半身を捻り、振り向きざまに後ろ回し蹴りを黒服の首に見舞うのが見えた。


 黒服の男はその一撃で路地の冷たい石畳へ沈んだ。

 顔から。

 ジャーヴィスは膝をついたまま暫し呆然とそれを見ていた。


「妙に……戦い慣れしてません?」

「別に? これぐらい君だってできるだろ」


 ジャーヴィスは自然と自分に差し出されたシャインの手を取り立ち上がった。どちらかといえば体術より剣、剣より銃が得意なジャーヴィスは、敢えてシャインの問いに答えなかった。


「強いていえば……」


 ダンスのような足さばきで、シャインが右手から突きを繰り出してきた男の攻撃を避ける。

 空いている左手で男の右肩を軽く押さえ付け、足払いをかける。

 男が転んだ所で、ジャーヴィスは彼が手にしていた剣を蹴り飛ばした。


「ありがとう。……小さい頃から護身術を身につける必要があっただけかな」

「え?」

「あの人――グラヴェール中将は敵がいっぱいいるからね。内にも外にも」


 シャインは剣を握りなおし、ジャーヴィスに向かって悪戯っぽく青緑の瞳を細めて笑んだ。


「さあ、残りは後四人だ。二人ずつ公平に片付けようか」


 シャインがそういうまでもなく。

 ジャーヴィスは正体不明の黒服たちを殴り倒していった。

 そしてすっきりしない気持ちを抱いた。


 何故すっきりしないかというと、黒服達を全員路地の石畳に叩き伏せたまま、シャインがその場を立ち去ろうとしたからである。


「ちょっと待って下さい! あいつらを憲兵に引き渡さないんですか?」

「それはやめといたほうがいい」


 シャインは剣を鞘に収め、足早に路地を抜けて元の大通りへと向かっていく。


「何故ですか」


 ジャーヴィスも急いでシャインの後を追って通りへ出る。

 シャインは悠然と通りを歩いていた。


 息も乱れていないし、僅かに額に浮いた汗をぬぐってしまったせいか、さっきまで十数人を相手に立ち回りをしたことなど、今は微塵も感じさせない。


「グラヴェール艦長っ」


 ジャーヴィスはやっとシャインの隣に並び、やや急ぎ足のそれに歩調を合わせて声をかけた。


「……まだついて来るのかい?」


 シャインが眉をひそめジャーヴィスを一瞥する。


「ついて来るも何も……あなた、襲われたんですよ?」


 シャインの顔が困惑したように曇る。目を伏せて、呟く。


「いや別に。いつものことだから」

「い、いつものって……!?」


 もう訳がわからない。

 ジャーヴィスの頭の中は混乱しつつあった。


 シャインの父親、アドビス・グラヴェールがタカ派の強硬派だからといって、そのやり方に反発する者が、こうもしょっちゅう襲ってくるのだろうか。


 いや、現にこうして襲われていたから、彼が言う通り、小さい頃から護身術を身につけなくてはならなかったのだろうか。


「ジャーヴィス副長、何、そんな真剣になってるんだい? 訓練だよ」


 ぽん、とシャインがジャーヴィスの肩を叩いた。


「……え……?」


 ――訓練だよ。


「馬鹿みたいに口開けて君らしくない。あ、そうか」


 シャインは大きくうなずいた。


「君が知らないのも当然だった。だって、これはグラヴェール家の伝統で、あの人が時々勝手に俺にしかけてくる訓練みたいなものなんだ」


「ええっ!?」


 シャインは迷惑そうに口元を歪め、小さく溜息をついた。


「子供の頃、俺は海賊に誘拐されかけたことがあった。そしてあの人はエルシーア中の海賊から恨まれていたから、屋敷にも月に三十通の脅迫状が来てた。だから余計お祖父様が熱心だったんだ。俺にこの訓練をさせることが」


「……」


「要は自分の身は自分で守れって、言いたかったんだけだと思う。初めて襲われた時は殺されると思ったよ」


 シャインは唇をひきつらせて苦笑した。


「あんな人数。14才の子供がかなうわけないじゃないか。まぐれで何回か攻撃を躱したけど、後ろから脳天を殴られておわり。目が覚めたら士官学校の寮の部屋に寝かされていて、御丁寧に服のポケットに手紙が入ってた」


「手紙?」


「そう。一言『お前はこれで一回死んだ。次はない』ってね。手紙にはお祖父様のサインがあった」


 シャインは辺りを見回した。

 その目が通りの建物の影を、行き交う馬車を、通行人を素早く捉える。


「ありがたくない訓練だけど、グラヴェール家の男達はそうすることで誰よりも技能を磨く事ができたんだと思う。なんせ、海軍しか自分達の居場所はない、っていう人達ばっかりだったから」


 ――自分は違うけれど。


 最後に空を見上げたシャインの瞳はそう言いたげのように見えた。


「事情はなんとなくですが、わかりました。じゃ、本当に命を狙われたわけじゃないんですね」


 思わずジャーヴィスはシャインに確認の意を込めて訊ねた。

 シャインはジャーヴィスに向かって怒ったように口を開いた。


「そ、そんなの当たり前だよ! 襲われてたら、平然とこれからズドール菓子店に行って、スコーンを買って帰ろうなんて思わないだろう?」


「……ええ、それはそうですが。あ、これからズドール菓子店にいかれるのですか?」


 シャインは再び歩き出した。かなり早足で。


「そう。もう16時じゃないか。15時のお茶を飲み損ねてしまって悔しいから、せめてあそこのスコーンを買って帰るんだ」


 シャインは振り返った。

 ジャーヴィスは一瞬息を飲んだ。


 何が何でもお気に入りのスコーンを買って帰る。

 誰にも止めることはできない。


 そんなシャインの執念にも似た強い気迫が、目の中にあるのを見たからである。


「特に用事がないなら、君は先にロワールハイネス号へ帰って、クラウス士官候補生に、お茶の支度をするよう伝えてくれないか。30分で船に戻るから」


「あ、グラヴェール艦長!」

「頼んだよ」


 シャインは踵を返して徒歩から駆け足でジャーヴィスの前から去っていった。後に残されたジャーヴィスは、小さくなっていくシャインの姿に向かって独り言を漏らした。


「ズドール菓子店は確か、橋を渡った<西区>のフェメリア通りだったはず。徒歩なら片道30分かかる道程じゃないか!」


 ジャーヴィスは肩をすくめ、ため息をついた。

 口元にうっすらと笑みを浮かべつつ。


 帰りは馬車を使うのだろうか。

 徒歩なら船に戻るまで確実にあと1時間はかかるはず。


 急いで船に帰るべきか。

 それともシャインが帰艦するまで1時間かかると予想し、ゆっくり戻るか。


「お茶の支度ができていなかったら――機嫌が悪くなるんでしょうね」


 大きなため息を一つつき、ジャーヴィスは傾き出した陽に背を向けて、シャインと反対方向の軍港に向かって歩き出した。


 



【第2話】いつもの -完-


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