第九十四話 飽くなき欲望
「そ、そんな馬鹿な! ありえん! そんな話ありえんぞ! なにかの間違いだ!」
「間違いではない。この通り正式に手配書も出たのだ。ガイアク、お前はこれから牢獄へ入り取り調べを受けることとなる。これは決定事項だ。神妙にお縄につくがいい」
興奮し文句を言うガイアク。なかなか往生際が悪い。だがアンジェリークは見るからに真面目そうな騎士だ。捕まえると言ったら意地でも捕まえるだろう。
「抵抗してもいいことはないぞ」
「ば、馬鹿な、そんな馬鹿な……ありえない! 大体そんな罪、証拠は、証拠はどこにあるというのだ!」
「証拠だと?」
アンジェリークの形の良い眉が歪んだ。あまりの見苦しさに呆れたのかもな。
「そうだ! 大体見てみろ、私の屋敷は火事ですっかり燃え尽きている。そんなものいくら探したところで……」
「はは、そんなものいくらでもあるぞ」
「な、なんだと? 何だ貴様、なぜそんなことがわかる!」
ガイアクに向けて私が言い放つと、眉を怒らせて噛み付いてきた。なるほど、やはり気づいてはいないか。
「エドソン殿。それは一体?」
アンジェリークも私の発言に興味を持ったようだな。これは丁度いい。
「この私があんなチェスを見せられてただ黙って引き返すとでも思っていたのか? 私は魔導具師だぞ?」
「な、何? ま、まさか、まさか!」
「そのとおりだ。ちょっとした魔導具を使ってな。不正の証拠を集めさせてもらった。火事で焼けようが関係ないぞ。お前に理解できるかわからないが、しっかり映像として残してあるのだからな」
「そういうことです。アンジェリーク様。どうぞこちらを」
メイが証拠をアンジェリークに見せた。映像として見せられて彼女も驚いている。
「驚いた。こんな魔導具まであるのか……だが、確かにこの中身は決定的な証拠となる」
アンジェリークも証拠として認めてくれそうだ。感心している様子もあるが、映像を不思議そうに見てもいるな。ふむ、この程度の映像を写しだす魔導具であってもここまで浸透してないとはな。
「そ、そんな馬鹿な……いや、だ、だがそうだとしても解せん……私は、私は一体何のためにお金をつぎ込んだと……そんな馬鹿なことが……」
項垂れてガイアクがブツブツと何かを呟き続ける。お金、どこかに賄賂でも送っていたのか。まぁこいつならそれぐらいしていてもおかしくないがな。
「それにしてもこんなに早く手配書まで作成されるとはな。一旦捕縛されるぐらいは考えていたが」
「はい。私も意外だったのですが、ハリソン伯爵が直に話を聞いてくれてそして二つ返事で動いてくれたのですよ」
「うむ。私にもすぐに動いてくれと直接伯爵から話しがあってな」
領主が直に? しかも二つ返事か……その後のアンジェリークへの指示といい確かに随分と物分りが良いというか手際が良いと言うか。証拠品の確認だけでもそれなりの時間は掛かりそうなのだが。
「どちらにしてもこれでガイアク、貴方は終わりですね」
「お、終わりだ、と?」
「そうです。ただでさえ屋敷は全焼、しかもこれだけの不正を働いたのですから所有している財産も全て押収されることでしょう。奴隷の契約も強制解除されますし、準男爵という立場も失うこととなります。自業自得とは言え馬鹿な事をしたものです」
ジャニスがガイアクを前に冷たい目つきで言い放つ。ガイアクの奴隷に対する扱いはひどかった。それはジャニスにとっては許しがたいことだったのだろう。故に一言言わないと気がすまなったといったとことか。
「失う、だと? 私が、全てを、失う?」
「さぁ、いい加減ゆくぞ。大人しく馬車に乗れ」
縄を引き、兵士がガイアクやドングラ、そしてその他大勢を連れて行こうとする。
「それにしてもエドソン殿には何度もお世話になっているな。感謝してもしきれない」
「気にしなくていいさ。しかし貴方のような美しい騎士に改めてお礼を言われると照れくさくもあるな」
「そうですね。確かに美しい騎士ですからご主人さまの鼻の下も伸び切ってるようで」
「えっと、メイ、さん?」
な、なんだろう。急に体温が奪われたようなブルッとした寒気が……メイの目もとても冷たく感じるような……
「か、可憐だ。なんて、可憐な方なんだ!」
ん? 何だ? ハザンがぐいっと私を押しのけアンジェリークの前に立ち、妙な事をいいだしたぞ?
「名前を! 名前を聞かせてくれ!」
「え? え? いや、その――」
おいおい、ものすごい圧でハザンがアンジェリークに迫っていてちょっと引いてるぞ。
「これはもしかして……」
「うむ。ハザンの奴一体どうしたんだ? 女騎士がそんなに珍しいのだろうか?」
「……御主人様――」
あれ? 何かメイの目が残念な物を見るような物に変わってるような? 何故だ?
「い、嫌だ! ふざけるな! 私は絶対に捕まりはせんぞ!」
「お、おい、だからおとなしくしろと!」
ガイアクの大声と兵士の声が聞こえてきた。ドングラやその他大勢はもうおとなしいものだが、ガイアクだけは別だった。叫び声を上げ、無駄な抵抗を続けている。
「貴様、いい加減に……」
「嫌だ嫌だ、絶対に嫌だ! 私はまだ、終われん! そうだ終われんのだ! 折角これだけの財産を受け継ぎ、金と権力に物を言わせて好き勝手やってきたのに!」
なんという、最低な主張だ。往生際が悪いにも程があるぞ。
「私はまだまだ好き勝手に生きたい! 暮らしたい! 女を抱きたい! 旨いものを食いたい! 地べたを這いつくばる下民共を見下し、時には踏みつけ、優越感に浸って生きていきたい! そうだ、私にはまだやりたいことが山ほどある、欲望はまだまだ満たしていない! それなのに、こんなところで全てを失ウだト? フザけるナ!」
うん? ちょっと待て、こいつ、何か様子が……。
「な、なんだ? こいつ急に力が……」
「おい。一体どうしたというのだ?」
「それがアンジェリーク様。この男、何やら様子がおかしいのです」
アンジェリークの問いかけに兵士が答える。するとハザンの空気も変わった。やはり奴は鋭いな。
「フゥ、フゥ、そうダ、私ハ、私ノ、欲望ハ、マダマダ、満タサレテイナイ!」
「は? え、ガイアク、様?」
「お、おい! どうなってる! 体が、体がおかしいぞこいつ!」
「……おい兄弟、これって?」
「……御主人様――少々マズイかもしれません」
「あぁ、私もうっかりしていたな」
ハザンの表情に緊張の色が見える。メイも警告に近いことを口にした。
「悪魔化は、マイフがカオスに向いた時に引き起こる現象だ。そしてカオスは何も痛みや苦しみだけで増えるわけじゃない。欲望が大きく増加してもカオスに傾く――」
「カオス? エドソン殿、一体何を?」
アンジェリークが怪訝な顔を示す。アレクトもロウカオス理論を知らなかった。そしてこの様子を見るにこの美麗なる女騎士も知らないようだ。
やはり伝わっていないのか。しかし、このままでは――
「グオォオォオオオオ! 我ハ、我ハァアァアアアァアア!」
「ひぃ、ガイアク様、落ち着いください!」
「「「「ギャァアアア! ば、化け物ォオオオ!」」」」
「な、なんだこれは? 一体なんなんだ?」
ガイアクを捕らえに来た兵士たちが慌てだした。当然だ、ガイアクだったものはすっかりその姿を変え、肥え太った醜い化け物に成り果ててしまっている。
「アンジェリーク! 兵士を今すぐ離れさせろ!」
「は! お前たち早くこっちへ!」
「ジャニス様と皆様も離れてください!」
「は、はい_!」
ジャニス達に呼びかけ、アンジェリークと兵士たちもできるだけ距離を取ろうとする。その直後のことだ。
『……腹、ヘッタ』
「へ? て、が、ガイアク様、何をぉおおおおぎゃぁああぁあぁああ!」
「……あいつ、部下を早速食ったか――」
欲というのは突き詰めると単純化する。今の奴にとって満たすべき欲は食欲、そして、いずれ性欲か……ドングラを平らげ、その後はその他大勢の部下も口の中に放り込んでいきバリボリと咀嚼していった。
「な、なんだこれ、こんなのどうすれば……」
兵士たちが座り込み、絶望の表情を浮かべ泣き言を口にする。だが、アンジェリークは流石だな。表情は固いがそれでもしっかり立って相手を見据えている。
「お前たち! そんなとこで黙って座り込んでいる場合じゃないぞ」
「で、ですが――」
兵士は途中で腰が抜けてしまって、ガイアクとの距離はまだそこまで離れていない。その時、ギロリと変わり果てたガイアクの視線が兵たちに向けられた。
「チッ!」
アンジェリークが兵士の前に向かおうとする。
「いけねぇ!」
ハザンも動き出したがそれよりも――
「落ち着けハザン! メイ、頼む!」
「承知――」
ハザンを制し、私が命じるとメイがアンジェリークと地べたに尻を付けて震えていた兵士たちを引ったくるように掴み跳躍して離れた。
「な、このパワー。凄まじいな……」
「この程度メイドの嗜みです」
「か、かっけぇ……」
「惚れそう……」
メイに向けられる兵たちの言葉に思わず私の耳が反応してしまう。き、気持ちはわかるがメイはメイドロイドだからな! 惚れるとかそういう観点ではみられないし、作られてはいないのだ!
と、そんなことよりもだ。
「ハザン、私達もここから更に距離を取るぞ。そこの兄妹は頼むジャニスも早くこれに」
「お、おう!」
「わ、わかりました。しかし何やら偉いことになりましたね」
「お、お兄ちゃん怖い……」
「大丈夫だ、僕がついているから!」
ジャニスも流石にあの変化には驚きが隠せないようだ。兄妹も不安そうだが、勿論彼らを犠牲にするつもりはない。
「私は大丈夫だ! 足には自信がある!」
「そう――だけどメイ一応頼む」
「わかりました――」
「な、体に力が漲って――」
アンジェリークへの強化魔法をメイが施したんだ。
そして私は
とは言え、それほそ時間に猶予はない。アンジェリークにも聞いておく必要があるだろう。
「おい、あれはもう排除しても構わないな?」
「え? あれというと、まさかあの化け物のことですか?」
まさかといった顔をアンジェリークが見せた。だが当然このまま放置しておける存在ではない。
「どうだ。あれを殺しても構わないなと聞いている。あいつはもう人を喰った。理性の欠片もない、完全に悪魔化したのだ。人に戻すことは不可能な上、放っておいたら町におりて欲望の赴くまま人を喰らい続けるぞ!」
「な、冗談じゃない! だが、あんなのどうやって倒すと」
聞いていた兵士が泡を食ったように反問してくる。かなりビビっているな。他の兵士もだがこいつらは戦力としては期待できない。
「私達がやる! 聞いているのは殺して問題ないのかということだけだ!」
「――確かにそれしか方法がなさそうですね。わかりました。私の責任で許可します」
流石アンジェリークだな。話がわかる。
「よし、言質は取れたな。だったらお前たちは屋敷の外にいた者を連れてここから離れるんだ。ジャニスは兄妹を頼む」
「わかりました」
「……今エドソン殿が言ったとおりだ。お前たちは無事なものを連れて逃げろ」
「え? アンジェリーク様は?」
「私は残る」
兵士たちが本気か? という目で彼女を見たがづやら決意は変わらないようだ。
「私とて伯爵家に仕える騎士としての責任がある。だが民の安全を確保するのも我々の務め。お前たちはその責務を全うするのだ! わかったら急げ!」
「は、はい!」
そして兵士たちがジャニス達を連れて去っていく。
「しかし、本当に良かったのかい?」
「勿論だ。しかし、あれだけの相手、勿論私も無駄死にするつもりはないが何か策があるですか?」
アンジェリークが聞いてきた。表情に若干の曇りが見えた。ふむ、やはり多少は動揺もあるか。
「任せておけ。確かに悪魔化したが、あれなら問題ない」
「はは、全く悪魔と二連戦になるとはな」
「ですが、今回は手加減無用ですから」
そう、バズと違い、あいつには一切の容赦もいらないからな。
「貴方のことも、お、俺が守りますから!」
「は? いや、私は守られるためにここにのこったわけではない。そのような気遣いは不要であるぞ」
「くっ、なんて気丈な、だがそこが、また、いい!」
いや、何かちょいちょいハザンの様子がおかしい気がするが。と、その時だった。丁度悪魔も食事を終えたようであり、私達に体を向けニヤリと口角を吊り上げた。
やる気満々ってことか。面白い。
「さて、悪魔狩りの開始だ――」
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