Vampire Fool

永倉

プロローグ

プロローグ

――まだ昼間の熱が残る夏の夜のことだった。


「嘘だろ……」


彼女は瀕死になるほどの大怪我を負っていた。肩には弱点となる銀色の銃弾、胴と腕には深い切り傷から血があふれ、止まることなく流れている。傷口を抑える指と指の隙間からこぼれる血を抑えることができない。二度目の死を目前とした彼女はゆっくりと命の灯を消していく。

少年は彼女を抱きかかえたまま、現実を受け入れることができずにいた。


「……嘘じゃない。あたしは、死ぬんだ。あたしは……」


パチパチと壊れかけの電灯が点滅しながら少年と少女を映し出す。弱くなっていく彼女の赤い瞳の光。はじめは怖がっていた彼女の眼光も鋭い牙も、いまや手放したくない大切なものだ。

そしてそれらは、人間にはない特徴でもあった。


「ごめんなさい。あたしが、吸血鬼なばっかりに、あんたを巻き込んで、あんたの人生……めちゃくちゃにして……」


少年の抱えている彼女は、本物の吸血鬼だ。

外見はまだ幼さの残る少女ほどに見える。一見は可愛らしい少女なのだが、彼女の瞳は殺意のこもった獣のものだった。時折のぞく牙は鋭利に尖っていた。だが、それらはいまや苦痛に歪んでいた。

吸血鬼ハンターにより、銀の銃弾が何発も彼女の小さな体に埋め込まれている。超人的な回復力のある吸血鬼でも弱点には脆い。漆黒の短い髪をはらりと青白い顔に零し、彼女はなおも懺悔を続けた。


「あたしのせいなの。九条、今ならまだやり直せるはず。あたしを見捨てて、ハンターに売って、もとの生活に」

「バカ言うなよ。見捨てるなんて、できない」

「あたしと居ても死ぬだけだよ。ハンターに敵いっこない。もうあたしのせいで友達が死ぬのはやだよ……」

「くそ、俺は死なない。ぜったい。ぜったいに」


少年は無力である。ただの男子中学生だ。なんの力ももっていない無力な少年である。彼女を助けることができない。彼女のためにハンターと戦うことも、彼女の傷を癒すことも、彼女を逃がすことも。彼は悔しかった。自身が無力であることは他人よりも自分がよく知っているのだ。なにもできない。なにもしてやれない。なにもできないまま、彼女はこのまま血を流し続けて死ぬのだろうか。

吸血鬼にとって血とは命そのものであり、人間やほかの生き物より生命に直結する。とめどなく流れる血を止血できなければ、彼女が確実に死んでしまう。

嫌だ。生きてほしい。死なないでほしい。死ぬな、死ぬな。


「赤井……、俺の……」


考えるよりも、その言葉が出るのは先だった。


「俺の血を飲んでくれ」


少年は制服のボタンに手をかけた。ひとつ、ふたつ。黒色の学ランはベチャリと血溜まりに落とされた。学ランが血を吸い上げる間に、少年はさらにTシャツのボタンに手を伸ばす。


「ちょ、ちょっと、ばか! なにしてんのよ!」


彼女の死体のように凍り付いた手が少年の手に重なった。心臓が跳ねるほど彼女の手は冷たい。血などもう通っていないのかと思うほどだ。その手に力は入っていない。ただ、少年の手の上に乗っただけ。彼の行為を止めるほどの力もないのだ。


「俺の血をぜんぶあげる。まだ生きられはずだから」

「ふ、ふざけないで! 生きるべきはあんたよ、九条だ! あたしみたいな化け物なんて……、ぐっ」


ごぽ、と血が傷口から溢れた。少年は慌てて両手で傷口を抑える。喋るなと少年は言うが彼女は聞かない。


「きっと、あんたならやり直せる。あたしがめちゃくちゃにした、あんたの人生を。だめだよ、そんなこと……」

「俺の人生は俺が決める。俺は赤井に生きてほしい。――飲んでくれ」


少年は片手でTシャツの襟を力任せに引っ張った。ボタンを壊して首筋が現れる。

どく、どく、と動脈から心臓の鼓動が吸血鬼の耳に届いた。彼女は喉を鳴らした。本能が囁く。化け物は本能に弱く……。しかし彼女は「だめだ」と抵抗した。しかしその声はあまりにも小さく、声にすらならない。


「友達を見捨てられないのは、お互いさまだな。……。赤井が俺の命を飲んでくれるのなら、俺は赤井の中で生きることができる」


少年の言葉を皮切りに、彼女の牙が彼の肉に食い込んだ。

剥き出しの牙は動脈血の通る血管を破ると、心臓から送り出されたばかりの鮮血を口いっぱいに流し込む。


――美味しい……。


恍惚と満たされる欲に、吸血鬼は少年の血を飲みながら笑った。このとき、理性は本能に食い尽くされようとしていた。彼女は、化け物だった。




血を吸血鬼に捧げ、少年の意識はぼんやりとしていた。訪れた寒気を感じ取る。末端から氷漬けにされているかのようだ。少年はこの行為が自己犠牲であることを十分に理解していた。しかし、これが最善であると信じている。ここで彼女を看取ったところで、吸血鬼に手を貸した人間は処理される。これではどちらも助からない。

だから――。



あつい。あつい、あつい!


凍り付いていた体温が急激に上昇する。


血液が沸騰しているような感覚。


天地が逆転しているような錯覚。


少年は突然、覚醒した。

死を受け入れ、閉ざそうとした命が叫び声をあげる。全身に激痛が巡回しはじめた。凍り付いていた部分が焼き尽くされていく。

身が圧迫される。苦しい、痛い、気持ち悪い。ぜんぶぐちゃぐちゃに捻じれて、挽かれて、掻き回されるような辛苦。死と生が混同する。

化け物が慈愛に満ちた目で少年を見ていることに気が付かない。死を受け入れる人間を見送る熱い視線は、その奥に罪の意識を灯していた。


そして少年――九条悠はある夏の夜、死んだ。

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