第Ⅳ章 賊たちの宴(5)

「こんな大海原の上でまさか泥棒……い、イサベリーナ?」


 パトロ提督のすぐ後ろからクルロス新総督も顔を出し、恐怖に蒼ざめるイサベリーナの姿を見てそのチマチマとした目を丸くする。


「ケルベロスがこれほどまでに反応するとは……お嬢さま、何か悪さをなさいましたな」


 また、そのとなりには白い修道士服に白く長い顎鬚を生やす、坊主頭の初老男性も難しい顔をして部屋の中を覗いている。


 教会から派遣され、船団の航行にとって重要な〝天候〟や〝海〟の悪魔を操るために乗り込んでいる魔法修士(※魔術を専門とする修道士)コラーオ・デ・ミュッラである。


「まあ、お嬢さま、今度は何をしでかしましたの?」


「お嬢さまったら、またオテンバなされてますのね」


 さらにその後方にもわらわらと、イサベリーナの侍女である黒メイド服に金髪ポニーテールのマリアーと、赤髪三つ編みおさげのジェイヌをはじめ、航海士や操舵手などの高級水夫達も姿を現し、どうやらカードの最中にけたたましい犬の鳴き声を耳にして、慌てて皆で駆けつけた様子である。


「イサベリーナ、これはいったいどういうことだ? ちゃんと説明をしなさい!」


 クルロス新総督は吊り上がった眼で愛娘を見据え、いつになく厳しい口調で彼女を問い質す。たとえ目に入れても痛くない、かわいい自身の愛娘であっても、さすがにこの状況は見すごせない様子だ。


「お、お父さま……こ、これは……」


 だが、予期せぬ危機的状況にすっかり混乱してしまっているイサベリーナは、血の気の失せた顔で立ち尽くしたまま、言い訳を口にすることすらできない。


 無論、こっそり宝箱を開けて『大奥義書』を見ようとしたなどと正直に本当のことを言えるわけもなかろう。


「イサベリーナ! これはいったいどういうことなんだ?」


「す、すみません! お嬢さまは悪くありません。これは僕のせいなんです!」


 もう一度、クルロスが改めてイセベリーナを詰問したその時、代わりに答えたのはマリオの方だった。


「ぢつは、船長室に世にも珍しい頭が三つの犬の剥製があるとお嬢さまにお聞きしまして、一目見てみたいと漏らしましたところ、ご親切にもお嬢さまが提督に頼んでくださるとこちらへ連れて来てくださったのですが……」


 ふと気がつくと、いつの間にやら机の脇を離れ、目立たない壁際まで移動していたマリオは、さも本当のことのように言い訳をする。


「提督はお留守でしたが、ドアの鍵が開いておりましたので中へ入ってみると、すぐにそれとわかるこの猛犬の姿が目に…あ! いえ、ほんと一目拝見するだけのつもりだったんです! ですが、本物の剥製なのかどうか気になって、ついつい手を伸ばしたらこの始末でして……」


「おまえは確か、お嬢さまの遊び相手をしている……」


「はい。水夫見習いのマリオといいます」


 皆がイサベリーナから彼の方へと一斉に視線を移す中、睨むように顔を見つめて尋ねるパトロ提督に、マリオは怯えた様子もなく平然と答える。


 イサベリーナを庇いつつ、なるべく自身にも害が及ばぬようにというその咄嗟の言い訳もさることながら、この状況においても冷静でいられる度胸と、その白々しい演技力も大したものだ。


「イサベリーナ、彼の言ってることはまことか?」


「……えっ? あ、は、はい……あ、いえ、その……」


 マリオの話を聞いたクルロスが再び娘の方を向いて確認すると、不意に訊かれたイサベリーナは思わず認めるような返事をしてしまうが、叱られることへの恐れから、卑怯とわかっていながらも言い直すことを躊躇してしまう。


「なんとも嘘臭い言い訳だな……貴様、本当に興味のあったのは、その犬の下にある箱の中身の方じゃないのか?」


「箱の中身? そういえば、どうやらこの剥製は番犬のようですし、ずいぶんと厳重な警備ですけど……この中には何が入っているんですか?」


 また、咄嗟の言い訳にひどく疑り深い眼を向けてくるパトロ提督だが、マリオは太々しくもキョトンとした顔をして、まるで何も知らなかったかのようにすっ呆けて見せる。


「イサベリーナ、箱の中身については話していないのか?」


「あ、は、はい……」


 それについても確認する父親に、彼女はまたしても嘘を重ねてしまった。


「とりあえず、鍵を開けられた形跡はなさそうですな。もっとも、開けようとしただけでもケルベロスは反応いたしますが……」


 その間に、猛犬に向けてペンタクル――印章の刻まれた金属の円盤を掲げて何やら呪文を唱え、そのけたたましい鳴き声をようやく静めた魔法修士コラーオが、下の宝箱を捏ね繰り回すように調べて提督達に報告する。


「疑わしくはあるが……ひとまず、今日のところは信じるとしよう」


 専門家の報告に、自身の机へ歩み寄ると何やら引き出しをわずかに開けて見たパトロ提督は、微かに安心したような顔色を浮かべてマリオにそう告げた。


 おそらくは、ちゃんと宝箱の鍵があるかどうかを確認したのであろう。


「…………ホッ…」


 その言葉に一応の安堵を覚え、思わずイサベリーナは溜息とともに胸を撫で下ろす。


「が、無断で船長室へ忍び込むなど不届き千万! マリオとか言ったな。それ相応の処分は受けてもらわんとな」


 しかし、当然のことながらパトロ提督による処罰の矛先は、彼女を庇ったマリオの方へと向けられてしまう。


「は、はい。すみません。ドアの鍵が開いていたのでつい……」


「マリオに罪はありませんわ! ここへ連れて来たのはわたくしなのですから。それに、留守をするのに鍵をかけていなかった提督さんも提督さんですわ! これでは勝手に入ってくれと言っているようなものではありませんこと?」


 素直に頭を下げながら、それでも、せめてもの弁明を試みるマリオだったが、すると危機を脱して余裕が出てきたのか? 今度はイサベリーナの方がいつもの高飛車な口調に戻って彼を庇おうとする。


「うっ…そ、それは……」


「提督、俺からもお願いしやす! そいつは貧弱で、まだまだ水夫としては半人前の若僧ですが、それでも仕事は一生懸命やるし、うっかり本音を言っちまうくらい根は正直でイイやつなんですよ。だから嘘なんか吐けるわけがねえ。これはそいつの言ってる通り、なんかの間違いに違えねえっすよ!」


 また、いつの間にか騒ぎを聞きつけて集まっている野次馬の中にアントニョの姿も見え、彼も渦中の人物がマリオとわかるや、上官にも臆することなく助勢をしてくれる。


「お父さま、お父さまからもお願いしてください! マリオはいつもわたくしによくしてくれますの! とってもいいお友達ですのよ!」


「まあ、娘もこう言っていることですし、どうやら悪気があってしたことでもないようですから。どうでしょう、提督。ここは一つ、慈悲の心を持って無罪放免ということでは?」


「うーむ……総督閣下がそう申すのでしたら、今回だけは特別に許してやることといたしましょう。だが、今回だけだぞ? 今後はこのようなことのないよう気をつけるようにな!」


 さらにはかわいい愛娘の頼みにクルロスまでが恩赦を提案し、独り孤立したパトロ総督もついには折れた。


「はい! ありがとうございます。以後、気をつけます!」


「よかったですわね! マリオ!」


 どうにかこうにか処罰を免れ、明るい声で礼を言うマリオに、そもそもこの状況を招いた張本人であるイサベリーナも自分のことは棚に上げ、彼の手を取ると満面の笑みを浮かべて一緒に喜び合う。


「おい! おまえ達、これは見世物じゃないぞ! こんなところでサボってないで、とっとと持ち場に戻らんか!」


 一方、やむなく許しはしたものの、どこか納得のいかない心持ちのパトロ提督は、その腹いせとばかりに野次馬の水夫達を雷のような声で追い払う。


「ありがとう、マリオ。おかげで助かりましたわ。このお礼はいつか必ず」


 その声に、蜘蛛の子を散らすようにして水夫達が去って行く騒音の中、マリオの耳元に顔を近づけたイサベリーナは、他の者達に聞こえないよう小さな声で、自分を庇ってくれた彼に感謝の意を伝えた。


 一見、自分のせいだということも忘れてしまっているワガママなお嬢さまに思えた彼女だったが、そうした恩義を感じる気持ちはちゃんと持ち合わせているようだ。


「ハハ…それは楽しみにしています。でも、気にしないでください。さっきの言い訳の半分はほんとです。世にも珍しい三つ頭の犬を見れただけでもう充分ですよ」


 そんなイサベリーナにいつものことながら今回も迷惑をこうむったマリオは、もう慣れっこだといわんばかりの苦笑いを浮かべながら、本心なのか冗談なのか? 彼女を気遣うようにそう答えた。


「提督、我々もゲームの続きに戻りましょうか。イサベリーナ、おまえもそろそろ自分の部屋に戻って寝なさい」


「マリオ、おめえも早く来い。提督のお仕置きを免れた代わりに、今夜は夜通しの見張り役だ」


 昼でも普段はありえないくらい、ざわめく夜の船長室の中心で笑い合う若い二人に、クルロス新総督とアントニョも各々に声をかけ、それぞれの居場所へ戻るよう催促する。


「ええ~! 夜通しですかあ? それじゃあ、提督に処罰受けるのとさほど変わらないじゃないですかあ~」


 アントニョに呼ばれたマリオは、ひどく嫌そうに眉根を寄せながら、がっくり肩を落として船長室の出口の方へと向かう。


「さ、お嬢さま。もうオトナの時間ですからベットに入らないと」


「お嬢さま、お寝間着へのお着替えをお手伝いいたしますわ」


「ええ。わかりましたわ。それじゃあ、マリオ。おやすみなさい。また明日ですわ」


 父親に促され、イサベリーナも侍女達に返事をしてから、その小さくも今夜はどこか頼もしく見えるマリオの背中に、ざわめきにかき消されぬよう、少しボリュームを上げた声で言葉を投げかける。


「あ、はい。それじゃ、また明日……アントニョさん、二時間交代にまけてくれませんか?」


 その声に朗らかな笑顔で振り返って答え、アントニョとともに去ってゆく彼へ向けられたイサベリーナの眼差しは、これまでのものとなんだか少し変わっていた。


※挿絵

マリアーとジェイヌ

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16818023212558752953

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