第Ⅰ章 それぞれの船出(4)
「ふぅ……なんとか逃げ切れたみたいね」
だが、これで一安心とマリアンネがホッと一息吐いたその時である。
「ハァッ!」
「ヒヒヒィィィーン…!」
予期せず馬の嘶きが聞こえたかと思うと、白馬に跨った一人の騎士が壊れた桟橋の狭間を飛び越え、そのまま船の着岸していた場所へと駆け寄る。
「アイヤー! 一番会いたくないヤツまで登場ネ」
その騎士を見て、フォアマストの上に登ったままでいた露華は目を見開いて嫌そうに声を上げる。
また、同様にデッキの上のマリアンネ達も馬上の人物の姿に少々驚いた顔をしている。
マッチョな裸体を打ち出した実用型パレードアーマーに、〝神の眼差し〟と羊角の紋章を描いた白マントを羽織る金髪碧眼の青年……
彼こそは誰あろう白金の羊角騎士団団長、ドン・ハーソン・デ・テッサリオである。
「ここで貴様らと出くわしたのも神のお導き……せっかくの好機、逃すものか!」
ハーソンは桟橋の縁すれすれで馬を急停止させ、腰に帯びた剣を引き抜いて船の方へ投げつける。
すると、その金色の柄や鍔に渦巻き模様をあしらった古代風の剣は、空中をプロペラのように高速回転しながら帆を張る索具のロープ目がけて一直線に飛んでゆく……
帆を使えなくし、船の足を止めるつもりなのだ。
「しまった!」
「くっ…間に合わん……」
安堵したのも束の間、サウロとマリアンネの顔には一瞬にして険しいものが浮かび、キホルテスは咄嗟に足を踏み出そうとするが、彼の位置からではとてもそれを防ぐことはできない……。
だが、ガィィィン…! という甲高い音が突如として甲板上に鳴り響く。
回転する刃はロープに触れるわずかその手前で何か硬いものに当たり、まるで剣で石でも叩いたかのように弾き飛ばされる。
見れば、それは硬質の日干し煉瓦のようなもので全身ができている、ゆうに3メートルはあろうかというレスラーのような巨人の太い腕である。
「ゴリアテちゃん!」
そのどこからともなく現れた土の巨人を見上げ、マリアンネはパァっと顔色を明るくする。
「チッ…
他方、想定外にも的を外した桟橋のハーソンは、苦々しげに顔をしかめて彼女の従順なる
ところが、巨人に弾かれ、そのまま海にポシャンするかと思われたハーソンの剣は、なぜだか再び宙をクルクルと回転しながら、まるでブーメランのように彼の手の中へと飛んで戻る。
その剣こそが世の海賊達を震え上がらせる、彼自慢のひとりでに動く魔法剣〝フラガラッハ〟なのだ。
「おホホホ、残念でしたわねえ、ヒツジさんの団長さん。これはほんのお返しでしてよ」
辛くも伝家の宝刀の一撃を退けたマリアンネはおどけた調子で船縁へと近づき、バネ仕掛けで回転する鋼輪と
すると、ジジジ…と導火線の燃える音と焦げ臭い匂いが微かにした後……。
ボォォォォォォォーン…! と、わずかの時間差を置いて、突如、オンボロ船の船体が爆炎とともに吹き飛んだ。
「ブヒヒヒヒヒヒーンっ…!」
「うくっ……どう、どうどう!」
空から降って来る大量の木片と周囲に立ち込める爆発の煙に、驚いた馬が後足で立ち上がり、ハーソンは危うく振り落とされそうになる。
「…ゴホゴホ……な、なんだ? いきなり爆発したぞ!」
「大砲撃つつもりが誤爆したか? それとも、もう逃げ切れないと思って自爆でもしたのか?」
また、より離れた位置で見守っていた警備兵達はその煙に咽ながら、突然の爆発に様々な憶測を各々に巡らす。
「違う! 騙されるな! あれを見よ!」
だが、充満する煙が霧散して薄らぐと、プロスペロモが鼻と口をコートの裾で覆ったまま、視界の開けた海上を指さして叫ぶ。
そこには、爆発したツギハギだらけのオンボロ船と入れ代わるようにして、特殊な武装の施された三本マストのジーベク船が一艘、何事もなかったかのように浮かんでいた。
まるでドラゴンのように緑青の吹いた鱗状の銅板でその船体を覆い、
また、両舷の船縁には無数の大砲狭間を穿ち、そのすべてから黒光りする砲身が無骨な顔を覗かせている。
羊角騎士団のアルゴナウタイ号に勝るとも劣らない、いかにもユニークな船影である。
「いかがかしら? あたしの開発した〝レヴィアタン・デル・パライソ号〟の新装備は? せっかくオンボロ商船に化けたけど、もうこうなったらただの重りにしかならないからね」
風に四枚の帆を大きく膨らませ、すでに順調な航行を始めようとしているレヴィアタン号の船縁から、桟橋に取り残された追手を眺めてマリアンネは嘯く。
そう……彼女は自分達の海賊船に板切れを貼り付け、目立たぬよう、くたびれた商船に偽装していたのである。
「やっぱりアタシ達の船はこうでなくっちゃネ! なら、ついでにコレも上げるネ!」
真の姿を現した自分達の船に、フォアマストの上の露華はその先端に巻き付けられていた黒い旗を慣れた手つきで拡げてみせる……。
黒地に白で交差する二つの鍵と、額に鍵穴の空いた髑髏を描く不気味な図柄――〝禁書の秘鍵団〟の海賊旗である。
「それじゃあヒツジさんたち、縁があったらまたお会いしましょう。あでぃお~す!」
「迷える子羊のみんな、バイバイネ~♪」
悪趣味なそのシンボルを潮風に翻しながら、手を振るマリアンネ達を乗せた船はどんどんと港から遠ざかってゆく。
ただでさえ小回りが利いて逃走に有利なジーベック、四枚の帆に風を孕めば、その速度に追いつくのは極めて困難だ。
「チっ……プロスペロモ、我らもすぐに出航だ!」
「ハッ! おまえ達、急いで船へ戻って出航の準備だ!」
徐々に小さくなってゆくドラゴンのようなそのシルエットを見つめながら、ハーソンは怒気を含んだ声でプロスペロモに指示を出した――。
※挿絵
ドン・ハーソン
https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669444675105
ゴリアテ
https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669631255109
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