第Ⅰ章 それぞれの船出(3)
「――待てぇぇぇーっ! 今日こそ逃さんぞぉぉぉーっ!」
そんなこんなでキホルテス、サウロ、リュカの三人は、現在、荷車を全力で押しながら港町をひた走っている。
「クソっ! なんでヒツジ野郎がこんなとこいんだよ? んな話聞いてねえぞ?」
「それがしにもわからぬ。お頭殿も何も申しておらなんだからな。もしや、我らの動きを気取られたか?」
「今はそんなことより、逃げることに集中しましょう!」
脚は高速回転させながらも文句を垂れるリュカに、必死の形相で追い駆けてくるプロスペロモや警備兵達を振り返りながらキホルテスとサウロが答える。
……ピーッ! ……ピーッ…!
「海賊だーっ! ひっ捕らえろーっ!」
「どうやら大物らしいぞーっ! 捕まえれば恩賞ものだーっ!」
そうして無駄口を叩きながらも逃げ続ける彼らであるが、潮風に乗って響く呼子の音に引き寄せられて、背後から迫り来る敵の数は徐々に増えてきている。
「なんか、だんだん数増えてきてますよ! それに、このままだと追いつかれます!」
その上、やはり荷車を押しながらの逃走では分が悪く、サウロが嘆く通り、その距離も徐々に詰まってきている。
「おし! 船が見えたぞ! もう少しだ!」
しかし、三人の懸命な走りが功を奏してか、ようやく彼らと荷車は港町を抜けて桟橋へと侵入し、その岸から延びた細長い道の奥に彼らの船も見え始めた。
「なれば……リュカ殿、荷物は任せた! 追手はそれがしが食い止めまする!」
すると、キホルテスはリュカに荷車を託し、不意に立ち止まってくるりと背後を振り返る。
また、サウロもそれに合わせて何やら棒状のものがたくさん入った大きな背負い籠を荷の中から引っ張り出し、同じく足を止めて彼の主人に従う。
「言われなくてもそうするぜっ! ガルルル…」
他方、言われたリュカは猛獣のような唸り声を喉の奥から響かせると、荷車を曳く腕と大地を蹴る脚にさらに力を込める。
いや、力を込めたどころか、その両腕・両脚の筋肉は目に見えて肥大化しており、手の甲はいつの間にか獣のような茶色い毛で覆われ、長く伸びたその爪も人間のそれとは明らかに違う頑丈で鋭いものに変化している。
「おらおらおらおらーっ!」
そのままギシギシと桟橋の敷板を激しく軋ませ、物凄い勢いで自分達の船目指して荷車を走らせるリュカ。
「おのれーっ! 逃すなーっ!」
「サウロ、レイピアとマン・ゴーシュ!」
その遠ざかる荷車を背に、それを追うプロスぺロモ達の前に立ちはだかったキホルテスは再びサウロに命じる。
「はい! 旦那さま!」
その命令に、優秀な従者は籠の中より二振りの得物を抜き出し、またもそれをキホルテス目がけて絶妙のコントロールで投げ渡した。
今度のものは昨今流行りの細身の剣と、左手に持って相手の剣を避ける短剣のような専門の武器である。
「百刃の騎士よ、覚悟っ!」
「ドン・キホルテス・デ・ラマーニャ……参る!」
サウロの投げたその二振りをキャッチするのと同時に、キィィィーン! …と甲高い金属音を響かせて、追い着いたプロスペロモとキホルテスは互いの剣で斬り結ぶ。
「おまえらは荷車を追え!」
「ハッ! ここはお任せしました!」
そうしてキホルテスと刃を交えたまま、プロスペロモは他の騎士達にリュカを追うように指示を飛ばす。
「フン。ここは誰一人通さぬ!」
「うぐ……」
だが、脇を抜けて駆け出そうとする騎士三人に、キホルテスはヒュン、ヒュン…と素早くレイピアで風を切ってその足を止める。
「ひ、ひるむな! 行けえっ!」
「通さぬと申しておる!」
「ぐわぁっ…!」
「あうっ…!」
また、集まって来た警備兵達も彼の脇を走り抜けようとするが、キホルテスは細身の剣の速さを活かして次々と兵達の身をかすめ斬り、時にマン・ゴーシュで器用に武器を絡めとったりなんかもしながら、リュカはおろか彼の後に控えるサウロにすら手を出すことを許さない。
「おらおらおらおらーっ!」
そうしてキホルテスが追手の足止めを引き受けている内に、早やくもリュカは自分たちの船へとたどり着き、船縁から板を渡しただけの簡易的な橋を勢いのままに登り切りると、その所々板切れで補修のなされたツギハギだらけのオンボロ商船へと飛び込んだ。
「…ハァ……ハァ……さすがにこいつ引っ張ってはちょっとキツかったぜ……」
「リュカ、乱暴に荷積みすると床が壊れるヨ。そんな慌ててどうしたネ?」
「やっぱり何かあったの?」
大きな衝撃とともに着船した荷車の傍らで、そのまま大の字に寝転がって息を切らすリュカの顔を二人の女の子が上から覗き込む。
一人は黒髪をツインお団子に結い、薄桃色のカンフー服を着た東方系の少女。
もう一人は白い甘ロリ風ドレスに茶色の髪を三つ編みおさげに垂らし、その上から赤いフード付きケープを纏った〝赤ずきんちゃん〟のような少女である。
「何かあったもなにもねえ、ヒツジの野郎どもだ。なぜかやつらが
相変わらずの口の悪さで二人に答えるリュカだったが、赤ずきん少女の言った一言に違和感を覚え、今度は彼の方が眉間に皺を寄せて聞き返す。
「あれネ! やつらの船があったから心配してたんだヨ!」
それにはツインお団子の東方系少女――
「ああん? ……ああっ! 入港した時にはいなかったのにどっから湧いてでやがった?」
彼女の言葉にリュカも起き上がってその方向を眺めると、桟橋からは少し離れた海岸にある大きな造船所の覆い屋の前に、銀色の金属板に船体を覆われたフリゲート艦が一艘、羊の角を持つ黄金の女神像をその船首に掲げて威風堂々と浮かんでいた。
そのオリジナリティ溢れる特異な船影はどこからどう見ても間違いない……白金の羊角騎士団が誇る対海賊用の戦闘艦〝アルゴナウタイ号〟である。
「みんながお買い物行った後にドックから出て来たんだよ。どうやら中で整備でもしてたみたい。まさか、こんな所でヒツジさん達と鉢合わせするなんてね……」
続いて赤ずきんの少女――マリアンネ・バルシュミーゲが、同じくそちらを覗いながら、驚いているというよりは困惑しているといった様子でリュカの疑問に答えた。
「……て、佇んでる場合じゃないね。すぐに出航だよ! リュカちゃんは急いで錨上げて!
そして、事態の深刻さを思い出すとテキパキと二人に指示を飛ばし、自身も波に揺れるデッキの上をカワイらしい足取りで走り出す。
「おう! まかしときな! ガルルル……」
その指示に、リュカは早々、錨の巻き上げ機に取りつくと再び腕の筋肉を肥大化させ、放射状に取っ手が生えたその丸木柱を人間業とは思えない速さで回し始める。
「了解ネ! 超特急で張るからちょっと待つネ!」
また、露華はシュラウド(※網梯子状のロープ)を伝ってヤード(※マストの横棒)の上に登ると、まるで軽業師のように三本のマストをピョンピョンと飛び移りながら、見る間にたたまれていた二枚のラテンセイル(※三角帆)と一枚の横帆を展開してゆく。
「ドンキちゃん、サウロちゃん、行くよぉ~っ! よけてぇ~っ!」
一方、バウスブリット(※船の前方へ斜めに突き出した棒)の背後、船首に設置された回転台座式カノン砲へ近づいたマリアンネは、その砲身をわずかに旋回させて照準を定め、いつの間にやら手にしているメガホンを口に当てると数十メートル先で交戦中のキホルテス達に向かって大声で叫ぶ。
「……! サウロ、退くぞ!」
「はい、旦那さま!」
その声に、キホルテスはすぐさま剣戟をやめて踵を返し、サウロも刀剣いっぱいの籠を背負うと間髪入れずにそれへ従う。
「待て! 敵に背を向けるのか卑怯者っ!」
当然、それを追い駆けようとするプロスペロモ達羊角騎士団の騎士と警備兵達だったが……。
「……ハッ!」
突然、ドオォォォォォーン! …と雷鳴のような爆音が轟いたかと思いきや、一瞬前までキホルテス達のいた場所の桟橋が木っ端微塵に吹き飛ばされる。
マリアンネの放ったカノン砲の鉄球が命中したのだ。
「…う、うぐ……」
「……くっ……おのれ、桟橋が……」
弾けた木片を食らって倒れ込む羊角騎士三人と複数の警備兵……舞い上がった粉塵に白み、キーンと耳鳴りだけがする世界で、なんとか身を低くして難を逃れたプロスペロモも目の前の桟橋が途切れたために、海を隔てて対岸を遠ざかるキホルテス達を追うことができない。
「サウロ、板を取れ!」
「はい、旦那さま!」
その間に、無事、自分たちの船へとたどり着いた二人はそれに乗り込むと、サウロが板の橋を外して、キホルテスは桟橋にかけていた綱をレイピアで断ち切る。
「よし! リュカちゃん、出発進行ぉ~っ!」
それを見て、船首から操舵輪のある場所へと移動していたマリアンネは再びメガホンを口に当て、今度は船の後方に向かって大声で叫ぶ。
「がってん! うおりゃあああああーっ!」
彼女の指示に、高速で錨を巻き上げ終え、接岸する左舷側へと走ったリュカは、両手で船縁に掴まるとその強靭な脚力で勢いよく桟橋を蹴り飛ばす。
「主舵いっぱーい!」
リュカの人間離れした蹴りで桟橋を離れた船は、マリアンネが操舵輪を回すとゆっくり旋回しながら動き出す……
わずかの後、180度反転すると同時に露華の下ろした帆も風をはらみ始め、彼女達のオンボロ船は徐々に港から遠ざかって行った……。
※挿絵↓
https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669235228323
https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669289183053
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