第Ⅰ章 それぞれの船出(6)

 さて、その頃。


 同じガウディールの港でも、『大奥義書』を運ぶためのガレオン船が停泊する国軍専用の埠頭では……。


「――んしょ……ん~しょ……」


 一人の少年がワイン樽を転がし、護送船団〝ヒッポカムポス艦隊〟の旗艦〝サント・エルスムス号〟への積荷作業をしていた。


 碧い眼に明るいブロンドの髪を後で三つ編みにした、十代半ばくらいのカワイらしい少年である。白シュミーズに黒のジャーキン、黒のオー・ド・ショースを穿き、よくいる水夫といった格好だ。


「…んしょ……んぐぐぐぐっ……はぁ…はぁ……だ、ダメだ。持ち上がらないぃ……」


 だが、水夫にしては小柄で非力であり、巻き上げ機の付いた木製クレーンの籠の中でワイン樽を立てようとするが、彼には重すぎてビクともしない様子である。


「…んぐぐぐぐぐぅ……おわっ…!」


 なおも持ち上がらずに悪戦苦闘する少年だったが、不意に樽が軽くなったかと思いきや、背後から誰かのごっつい手が伸びて樽を支えてくれている。


「おらよっと。坊主、こんくれえのもんも運べねえんじゃ、水夫なんか務まらねえぜ?」


「あ、ありがとうございます。エへへへ…すみません。重いものは苦手なもので……」


 助けを借りてワイン樽を立て置くと、少年はその手の持ち主に礼を言って、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。


 それはごっつい手同様にガタイのイイ、髭面の禿げたオヤジだった。白のシュミーズに濃茶のオー・ド・ショースを穿き、腰にはエルドラニア兵を表す黄色と赤の腰帯を巻いている。


「俺はアントニョだ。おまえさん、見ねえ顔だな。名前は?」


「あ、僕はマリオっていいます。実は今度の航海から雇われた水夫の見習いでして……しかも、仕事し始めたのもまさに今日からで……」


 尋ねるアントニョという同僚の水夫らしきオヤジに、少年――マリオは礼儀正しく答える。


「おお、そうだったか。ま、海に出るにはいい年頃だ。俺は下っ端だが船乗り生活は無駄に長げえからな。何か困ったことがあったらなんでも言いな」


「ああ、それは助かります。どうぞよろしくお願いします」


「だが、まずはその青っ白い体を鍛えるところからだな。そんなんじゃ、新天地に着くまでどころか一日と経たずにお払い箱だ。船出した途端に海へ捨てられちまわあ」


「エヘヘヘヘ……なんとかがんばってみます。海に捨てられるのは嫌ですから……」


 口は悪いが、どうやら人はよさそうなアントニョの厚意に、マリオはペコペコとお辞儀をしてから再び苦笑いを浮かべる。


 だが、彼のハゲ頭越しに見えたものに注意を削がれ、その口を半開きにしたまま少年は固まってしまった。


 そこには、アントニョの遥か後方、埠頭の端でサント・エルスムス号の〝海馬〟の船首像フィギュアヘッドを見上げて談笑する、護衛の兵に囲まれる三人の人物がいた……。


 小太りな体にカボチャのように膨らんだ黄色のキュロットを穿き、金糸の刺繍や切り込み装飾の施されたプールポワン(※上着)と蛇腹状の大きな襞襟を着けた、いかにも貴族らしい黒い巻き髪の中年男性が一人。


 二人目は山吹色の提督用ジュストコール(※ジャケット)に黒い羽根付き帽をかぶった恰幅のよい髭面の厳めしい男。


 そして最後の一人は、長く麗しい黒髪に淡い黄色のドレスがよく似合う、ラテン系の顔立ちをした美しい少女である。


「すっごく大きな船ばかりですわね、お父さま!」


 離れているマリオ達の耳にまでは届かなかったが、美少女は港に停泊する護送船団のガレオン船を見渡し、背後の中年男性に弾んだ声で話しかける。


「ああ、もちろんさ。我がエルドラニア帝国が誇るヒッポカムポス艦隊だからね」


 その言葉に、彼は愛おしそうにその少女のはしゃぐ姿を見つめ、優しげな言葉使いで答える。


「お嬢さま、この重武装を施したガレオン船団ならば、例え海賊や敵国の軍艦が襲ってきたとしても赤子の手を捻るようなもの。どうぞ、安心して新天地への船旅をお楽しみください。ガハハハハハ!」


 すると、提督用ジュストコールを羽織ったもう一人の男が、見るからに自信家といった態度で下品な高笑いを埠頭の上に響かせた。


「ま、惚れるのもわからんじゃないがな……やめときな。おまえにゃあ高嶺の花だ」


 そうして談笑する三人の方を思わずぼうっと眺めていると、美少女に見惚れていると思ったアントニョがからかうようにして注意する。


「あ、いや、そういつもりじゃ……あれはどなたですか?」


「今日、視察に来るって言ってたからな。ありゃあ、たぶん新しくサント・ミゲル総督に就任なされるクルロス・デ・オバンデスさまの娘、イサベリーナさまだ。で、その後のエリ巻きの方がおそらくクルロスさまだな」


 我に返ったマリオが慌てて否定しながら尋ねると、アントニョもそちらへと目を向け、まるで親類でも紹介するような話しぶりでなぜか胸を張って自慢げに答える。


「もう一人の偉そうな格好した方は?」


「んん? ああ、あの方こそがこのヌエバ・エルドラーニャ・ルートの護送船団を指揮するパトロ・デ・ファウルデス提督閣下さ。ま、いうなれば帝国最強の海の男だな」


「なるほどお。あれがこの艦隊の提督さまですか……にしても、こうして見るとやっぱりスゴイですねえ。これだけガレオン船が集まると壮観というか……」


 またも自分のことのように自慢して答えるアントニョであるが、マリオはそれほど興味もなさそうに頷くと、今度は新提督のご令嬢同様、港を埋め尽くす護送船団の方へと視線を移す。


 海神ポセイドンの戦車を牽く〝海馬〟の像を船首に戴き、大きな横帆に〝神の眼差し〟と、護教を意味する十字の剣を組み合わせた国章を描く船は全部で七隻……いずれも巨大なガレオン船に重武装を施した軍艦である。


「そりゃあそうさ。今回は新総督さまだけじゃなく、ご禁制の魔導書『大奥義書』なんてもんまで積んでるんだからな。近頃じゃ、そんな魔導書を狙う海賊も出るって話だしよう。さっきも向こうの埠頭に賊の船が潜入してて、なんだか騒ぎになったっていうじゃねえか」


「ああ、そういえば、なんか騒がしかったですね……でも、魔導書ってったって、ようは本ですよね? たかだか一冊の本にここまで大袈裟な警護しなくても……」


 そして、さも当然と言うアントニョの言葉に、ずらりと船殻ハルの弦側に並ぶ無数の砲門を見つめながら素朴な疑問を口にする。


 換気のためか? その砲門蓋はすべて開けられており、中には黒々とした砲口もその重厚な顔を覗かせている。


「フン。若けえだけあって、ぜんぜんわかってねえなあ……」


 どうやら世間知らずな水夫見習いの少年に、アントニョは先輩風を吹かして鼻を鳴らすと、天に顔を向けて仰け反るほどにますます胸を張って嘯く。


「いいか? 魔導書ってえのは使うのはもちろん、預言皇さまのお許しがない限り、持ってるだけでもお咎めを受ける悪魔の書物だ。中でもその『大奥義書』ってやつは特に強力な悪魔を呼び出す方法が書いてあるっていうじゃねえか。そんなもんが海賊の手になんかわたってみろ? それこそどんな悪いことに使われるかわかったもんじゃねえぜ」


「でも、悪魔の書物だって言ってるわりに、教会のお坊さんや国のお役人さま達は魔導書を平気で使ってますよね? それにエルドラニアが征服した旧スファラーニャ王国では自由に読めたって話ですし、海の向こうのアスラーマ帝国や遥か東方の国々なんかでも、似たような書物が普通に読まれてるって聞きました。そうやって禁書にしてるのって、ただ単に魔導書の力を独り占めしてるようにも見えるんですけど……」


 だが、アントニョの説明に対してマリオは小首を傾げ、この微妙な政治的問題の核心を突く疑念を無邪気にもストレートすぎる表現で口にする。


「おい、滅多なこというもんじゃねえ。誰かに聞かれたらどうするんだ」 


 すると、それまで陽気だったアントニョの顔が不意に険しいものとなり、ひそめた声ながらもドスを利かせて、そんな怖いもの知らずのマリオを厳しく叱責した。


「これはこの世で唯一、神さまのお声を預かることのできる預言皇さまのお決めになったことだ。つまりは神さまのご意志ってことよ。俺達下々のもんはなんも考えずに、神さまの仰る通りに従ってりゃあいいのさ。でないと、悪魔崇拝者として異端審判官にしょっ引かれるぞ?」


「あ、す、すいません。ついつい口がスベりました。思ったことをそのまま口に出しちゃうのが僕の悪い癖なんです。エヘヘ…」


 鋭い眼差しで睨みつけるアントニョに自身が禁句を口走ってしまったことを悟り、マリオは慌てて謝ると苦笑いを浮かべて誤魔化そうとする。


「おいおい、気をつけてくれよな。俺まで異端者扱いされるなんて、ほんと勘弁だぜ……さ、んな無駄話はこれくらいにして、早いとここいつの積み込みを終わらせちまおう。三日後には件の魔導書も運び込まれて出航だからな。サボってると上のやつらにドヤされるぞ?」


「あ、は~い……」


 無邪気すぎにも困った癖のある見習いに顔をしかめると、アントニョは彼を急かして出航準備の重労働を再開した。


※挿絵↓

マリオ

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669342283106


アントニョ

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669380597929


イサベリーナ

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669122799479

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