マテリアル・グリーン 〜ポンコツ魔道士、ハッタリで囚われの姫を救え!〜

凍龍(とうりゅう)

第一章

第0話 序

「これを!」


 ダイソックは胸元から魔法結晶のブローチをむしり取ると、傍らの妻、メリナに差し出した。結晶はダイソックの魔力の揺らぎを受け、チカチカと小さく瞬く。


「いやです! 私ひとりで逃げ出すなんて」


 不意に鈍い爆発音があたりを包んだ。地下の薬品庫に火が回ったらしい。


 床ががくりと傾き、メリナの腕にはまっていたブレスレットが床に落ちてガラスのように澄んだ音を立てた。


「お前ひとりの話じゃない。子供を頼む。あいつには守ってやる人間が必要だ。先に行け!」


 メリナはその場で目を伏せてじっと考える仕草を見せる。はげしく泣き叫ぶ赤ん坊を壊れそうなぼど強く抱きしめてじっと思い悩んでいたが、やがてゆっくりとブレスレットを拾い上げた。


 白いつややかなブレスレットに炎の色が照り映え、鮮やかなオレンジ色に輝いて見える。メリナの黒い瞳にも、炎の揺らめきが映りこんでいる。


「急げ! 賊は国王陛下すら刃にかけたような奴らだ。捕まれば容赦なく首をはねられるぞ!」


 ダイソックは右手で油断なく剣を構え、改めてブローチをメリナに手渡した。

 メリナにはほとんど魔力がない。だが、ブローチはメリナの手の中にあってもなお輝きを保ち続けていた。

 彼女は驚きに目を見開き、腕の中で泣き続けている我が子をあらためて見やる。

 外から数人がかりで体当たりされているらしく、しっかりと作られたはずの扉が今にもはり裂けそうにきしんでいる。

 メリナはブローチと我が子、そして破られようとしている扉を順に見つめ、やがて唇を噛みしめると小さく頷いた。


「わかりました。あなたもどうかご無理をなさらずに」


「当たり前だ! すぐに追いつくさ!」


 ダイソックはメリナの心配げな言葉を遮るように、つとめて明るく叫んだ。


 ついに炎は家具にまで燃え移り、さらに高さと勢いを増す。

 空気がゴウッと音を立てて動く。


「では、向こうでお待ちしています」


 彼女は赤ん坊を右腕に抱えたまま、慎重に左腕にブレスレットを通す。右手の人差し指で軽く触れると、すぐにブレスレッドはまばゆい白光を発し始めた。


「おうっ!」


 返事とも、唸りともつかぬ声でダイソックが応える。扉の中央に裂けめが広がり、そこから怒号が響く。


 白煙が部屋に充満し、二人とも激しくむせる。


 煙が目にしみたのか、赤ん坊がさらに切なそうな泣き声をはり上げる。


 どこからともなく響く笛のようなかん高い唸りが徐々に大きくなる。メリナと彼女のブレスレットはいよいよまばゆく発光し、次の瞬間、まるで空間全体がピンッとはじけるような衝撃と共に、二人の姿は完全に消失した。


 ダイソックはそれに目をやることもなく、だがいくらかはほっとした表情でため息をつくと、再び鋭い目つきで扉を睨みつけた。


 その直後、扉はついに破壊され、十数人の大男がもんどり打つように室内に乱入して来た。ダイソックの姿を認めて奇声を上げると、剣を振り上げ、ついで折り重なるように彼に殺到する。いかに彼が優れた剣の使い手であろうと、余りに多勢に無勢である。


「ここが墓場になるやも知れんな」


 ダイソックは油断なく剣を構えながらも、そう冷静に判断した。


 覚悟を決めたダイソックに、容赦ない斬撃が次々と襲いかかる。血飛沫が舞い、ついにダイソックの身体がどうと音を立てて床に崩れ落ちた。

 しかし、彼の死に顔は穏やかだった。愛する者たちを守り抜いた満足感からか、その表情はまるで笑っているかのようだった。

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