1章:最果てに咲く花

方舟

 辺境にある北国のニフルハイムにおいて、雲ひとつない夜空を見上げる事ができる機会は一年を通して数えるほどしかない。

 星が降り注いでいるかのよう美しい夜には、白子アルビノの姉アルフラウが私を城のテラスへと誘い、二人で一緒に夜空を眺めるのが習慣となっていた。


 寒空のテラスだというのに、和気藹々と輝く星に名前を付けてはしゃいでいるアルフラウに合わせ、適当に愛想良く相槌をうつ私。

 無邪気に幼稚に振舞う姉の仕草は、いちいち私の神経を逆撫でして、許されるものならこの場で首を絞めて殺してしまいたい衝動に駆られるほどに……姉に対するドス黒い感情で私の心は支配されていた。


「ねぇ、聞いてるの……オリフゥ?」


 私の黒い衝動を何も知らない姉は、紅い宝石ルビーのように輝く瞳で私を上目遣いで見つめた。


「あ、うん……少し呆けていたかも。ごめんね、姉さん」


 何時ものように優しく姉の白い髪を撫でると、姉は目を細めてうっとりとした表情で私に身体を預けてきた。


「ねぇ、オリフゥ……夜空って言うのは、星の海なんだよ」


 この人は、何を言っているのだろう。

 意味不明な事を楽しそうに語る姉に、私は苦笑いして言った。


「面白い事を言うね……空が海だったのなら、夜空にお魚でも泳いでいるのかな。私は一度もそんなものを見た事は無いよ」


 嘲りの意味も込めて向けたその言葉に、姉は可笑しそうな表情を浮かべて私に囁いた。


「うん。お魚さんは私も見た事が無いよ……でも、空の海を渡る船はあるの」


 不思議と自信に満ちた目で、姉は夜空を指差しこう言った。


「ずっーとずーっと昔ね。私達の祖先はあの空から方舟アルカに乗って、この地にやってきたんだよ」


 ―空を渡る方舟。


 あまりにも馬鹿げた話に、私は姉の気が狂ったのかと月の色を確認してみたが、月はいつもの通りの青い光を放っていた。

 姉は私の呆れる様子に構うことなく、夜空を見上げながら話を続けた。


「みんな、この世界が楽園だと信じてやって来たのに……この地に住む人々は私たちから船と財宝を奪って。私達をこの地に追いやったんだよ」


 姉はきっと、書庫にある絵本を読んで夢見がちになっているのだと私は理解した。

 馬鹿らしい話だが、姉の機嫌を損ねても仕方がないので私は適当に相槌を打って話を締めくくる事にした。


「へぇ……それじゃ、その方舟が見つかれば空に帰れるんだ?」


 姉は私の言葉に目を輝かせて頷いた。


「うんッ。方舟を見つけたら、オリフゥも一緒に空に帰ろうね……約束だよ」


 そう言いながら指切りをせがむ姉に、私は「はいはい」と宥めながら指切りを交わした。


「ねぇ、身体が冷える前に部屋に戻ろう?姉さんが風邪を引いてしまったら、私が父様に怒られるもの」


 姉はウンと首を振ると、もう一度「約束だよ」と微笑みながら私に強く抱きついた。

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