日常奇譚

小手 さき

伝わらない!

第1話 となりのワタナベくん

 となりの席のワタナベくんはいつも窓の外を見ている。授業のときも休み時間も放課後も。話をしたいんだけど、話しかけてくるな、というオーラが、短く整えられた後頭部から発せられているようで、勇気が出ない。


 高校2年の5月。

 そこまで積極的な性格でもない私をよそにクラスの女子たちはおのおのグループをつくり終えていた。今日カラオケ行こ、とかだれだれくんがねっとか他愛ない会話を繰り広げている。

 どこを見ても私の入る余地のある居場所はない。

 そうなるともうおしりに根っこ状態で動けない。席から離れるのは怖いし、突っ伏してしまえば「根暗」というレッテル張り。次の授業の予習でもと考えるけど、すかした女と思われそう。

 だから私は何もせずじっとしている。この瞬間、日本中の退屈をすべて背負っているのは他でもない、私だろう。


 ワタナベくんに話しかけよう。早くから友達ができそうにないと悲しい先見の明を発揮していた私はそう誓った。寝る前に明日話す話題をあらかじめ考えておくけど、うまく切り出せない。そういえば、男の子と遊びに行ったり付き合ったりなんて甘い青春したことがなかった。


 小学生の頃、どちらかというと男の子たちに混ざってドッジボールやらキックベースやらで遊ぶようなやんちゃ少女だった。怪我も汚れるのもへっちゃらだった私は、帰宅するといつも母親にこっぴどく叱られた。しかしそれに懲りることはなく、田んぼでシンクロしてきたと言っても納得される泥んこっぷりを毎日のように母に見せつけた。

 母親の怒声をすり抜け、汚れた服をぽぽぽーんと洗濯かごに放り投げる。お風呂の扉を勢いよく開けると、シャワーで念入りに身体から泥やその他もろもろをこそげ落とす。

 シャンプーリンス、石鹸は1回では泡立つことなくどこかへいってしまう。なので3回は必須となる。

 すると「もったいない!まだ石鹸も先週買ったばかりなのよ……」とぶつぶつぶつぶつ、もったいないお化けが現れる。これが一日の流れだった。


「なんだあ、男の子と遊んだことあるじゃない、ウソはいけないよ」なんて浅慮で短絡なことをのたまう人もいるでしょう。

 しかし肝心なのは、小学生の男女関係なんて、性差度外視のものであり、人間と人間、楽しい楽しくないで構築された単純明快のものであるということだ。時代につれ、今を生きる小学生はませにませているなんて話もちらほら聞くけれど、私たちは何も考えていなかった。おばかさんととるか純粋少年少女ととるかはお任せする。


 ワタナベくんは私とは正反対の幼少期を過ごしてきたのだろうということは想像にかたくない。

 高校2年女子の平均より少し小さい私と比べても少し背が高いくらいで、窓を見ている以外には本を読んでいるか昼飯を食べているかのどちらかで、ワタナベくんの学生生活にはさほど動きを感じられない。

 そして不細工でもなければイケメンでもない。どちらかというとカワイイ中性的な顔立ちをしている。

 そんなワタナベくんに興味を持ったのも、男性に対する好意とかではなく、ただただ隣に座っていた、同類だと思っただけ。


 何よりまず私にはわからないのだ。みんなが躍起になって騒いでいる、人を好きになるなんて経験、まだしたことがない。

 だから、私にはまだ愛だの恋だの巷で噂のものは、下手に気を張って人生を台無しにする最大級のもののひとつだと思えてしまう。


 最近は聞き耳を立てているとそんな話ばかりだ。誰も彼もみんな誰かの股間、股間そしてまた股間の話だ。人類は発展したとは言うが所詮、動物なのだろう。


 そして今日もまた、ワタナベくんに話しかけられずに下校のチャイムが鳴る。

 もう少し顔をこっちに向けてくれたら話す勇気も湧くと思うんだけど……


 学校設立当初から存在する最も伝統的な部活動・帰宅部に所属する私は、手応えのないこれまでのワタナベ問題を思い出して落ち込みながら、とぼとぼと歩いていた。

 そうしてだいたい落ち込み終えると、またどうすればワタナベ問題解決できたものかと思考をめぐらすのである。

 いくら考えても今まで答えは得られなかった。もうこんなこと無駄なのではと断念しようとした。しかしもう義務のようになってしまったので抜け出せなかった。


 しかし今、私の気分はるんるんである。何故かって今日は金曜日、「つけ麺の日」である。

 学校に行ってえらかったね、と言ってくれる人もいないので、毎週金曜日は行きつけのつけ麺屋「ぎょ楽」でつけ麺を食べ、コシを堪能することを自分へのささやかなご褒美としている。「最近体重計の上で驚愕してしまい、1ヶ月前から始めたダイエットへの言い訳の日」と言い換えることもできる。

 これがまた何とも美味しい魚介系。濃厚で少し甘いつけ汁にやや太めの麺が絡み合ったこれを、老若男女、顔がテカテカになることも気にせず無我夢中で平らげる。そりゃあもう忘れてしまうよ、ダイエットなんて。

 異様なまでのつけ麺の中毒性に、一度店が休業になったとき、「実は麻薬だかなんだかが入っていたらしい」とか「現在警察による家宅捜索が行われている」なんてまことしやかに噂されていたらしい。

 オチは単純実に面白くない、ただのサボタージュであった。

 

 お店に入ると「らぁっしゃせえい!!!」とパワフルヴォイス。

 まだ夕食時でもないのに大繁盛だった。ラーメン屋さんやつけ麺屋さんはたいてい、お昼と夜の二部構成で営業しているが、ここは朝5時から夜11時までやっている。営業時間までパワフル。

 それならサボるのも仕方ないのかなとかなんとなく思えてくる。決して褒められたことではないが。


 何とか空いているカウンター席を見つけ、「つけ麺スペシャル」とトッピングのメンマを注文する。私の大定番である。


 隣を見ると、同じ高校の制服を着た男の子がつけ麺を食べていた。しかも私の大定番ときた。わかってるなあと感心していると私の視線に気づいたのか男の子の箸が止まった。

 私は、その男の子を知っていた。


「あ」

 顔を上げたのは、


「んむっ...」

 麺をちゅるんと啜るワタナベくんだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る