第二十六話 理に干渉する怪物。
月明かりに照らされる表皮がてらてらと黒から白い輝きに変わった。
それは、まるで羽化したさなぎが古皮を脱ぎ捨て、時間を経てその羽に美しい色をつけるように。
眼前に起立する立つ爬虫類も周囲のどす黒い瘴気を糧に、その姿を変えていった。
「……人間性を失って初めて美しさを獲得するか。まったく、皮肉なもんだな」
変化前の肉塊ミミズとは比べ物にならないほどの神々しい姿。
街中に跋扈していたノッカーどもを喰いつくした末に獲得した歪な神性とでもいうべきか。
僅かに香るこの胸をすくような不快な匂いには覚えがあった。
「神性の獲得。いやコイツはそれ以下の下法だな」
充満する魔素の香りがあの邪神に似ているからそう錯覚したのだろう。
漂う雰囲気は似ているが、あの正真正銘の化物とは狂気の密度が違う。
軽いのだ。それも薄っぺらく感じてしまうほどに。
確かに崇める人間が見れば、美しいと即座にひれ伏してしまいそうな神々しさがこいつにはある。
だがそれだけだ。こいつには即座に魂が屈服してしまうほどの『畏れ』がない。
「(なるほどな。外見だけ取り繕った紛い物って訳だ)」
そうわかってはいるがそれでも神々しいと感じてしまうから不快だ。
起立するのその巨体は絵画に出てくる鱗のない白竜に似ていた。
しかし、その下半身はどの生物の形状にも当てはまらない長い尻尾が三又に分かれており、それは地面を擦りつけるように動くいびつに膨らんだ腹部から生えていた。
「GYOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!」
天に轟く慟哭の咆哮と共に、歪に膨らんだ腹部から噴き出すように白い手がいくつも伸びる。
欲望の果てに化物へと姿を変えた死霊の亡者共。
関節を無視して伸びる大小さまざまな腕が、死霊の軍勢となって生き残ってしまった生者を抱擁しにかかってきた。
「≪鬼人招来≫」
薄く呟くと同時に、黒曜に喰らわせた邪気の全てを用いて己の魂の格を無理やり高めた。
迫りくる死者の腕を斬り払い、避け、蠢く肉管を足場として一瞬で化け物に肉薄する。
結界の所為で魔素の薄いこの状況。
前回の邪神討滅戦とは違い周囲に漂う潤沢な魔素を用いての戦闘はできない。
相手が即座に再生する能力を持っている以上。戦況の有利は常にあの化物にある。
短期決戦。
脳裏によぎった思考に従い斬り払うように黒い一閃を走らせれば、白い巨体に黒い亀裂が走った。
ザンッッッ!! と空気を震わせる破壊音が夜の街に響き渡り、一体の白竜をなぎ倒す。
倒壊する建物が巨体に圧壊され、土煙が無数に舞う。
たて続けに三度、漆黒の斬撃を走らせるが、
「やっぱり効いちゃいねぇか」
肉体の強度はそこまで硬くないが、問題はそこではない。
無数に湧きだす亡者の腕の軍勢を避け、一旦、距離を取る。
ゆっくりと巨体を持ち上げる白竜の傷口が泡立ち、膨れ上がながらも元の美しい体躯に再生するのを見届け、小さく舌打ちを漏らした。
「……紫電一閃じゃ効果が薄いか。せめて不倶戴天クラスの一撃じゃねぇと意味がねぇ」
しかし必要以上の魔素が確保できない以上その策は使えない。
となると――。
「(奴の体内に残留する魂と魔素の確保。本格的に時間を稼がなきゃいなんねぇか)」
それが十分。二十分になろうと関係ない。
やると言い切った以上ここで失敗して他人に泣きつくのはあまりにもダセェ。
それに――、
「(こんな愉快な相手をあのお人よしに横取りされんのは癪だな)」
黒曜を低く構え腰を落とす。
速く。低く。そして鋭く。
自分の身体を一つの槍に見立て大地を踏みしめた。
空気が爆発する音が背後から鼓膜を叩く。瞬く間に視界の色を変える景色の中、その暴風が大地を揺らした。
「VAAOOOッ、OOッ、OOOOOOッ、OOOOOOッ、OOOAAAAAAAAAAAAAッッ!!」
大地の悲鳴が足場を揺らし、知性の感じられない獣の咆哮が地面を叩く。
その鋭い爪は大地を抉り、建ち並ぶ華やかな街並みをさらに倒壊させ、営みの残骸をまき散らす。
その飛び散った残骸を足場に、伸びる白い腕を避け、時に≪天翔≫を用いて身を躱す。まるでピンボールの如く縦横無尽に空中を駆け巡り、知性なき化物を翻弄した。
黒と白の肉片が宙を舞い、口の中に腐った味が浸透する。
破壊と再生は瞬く間に波紋を広げ何度も流転し、苛立ちを含んだ破壊の咆哮が月明かりを鈍く振るわせた。
何度同じことを繰り返しただろう。
少なくとも数十回は、奴の身体を切り刻んだはずだ。
しかし一向に衰えを見せない再生能力は健在で、こちらは体力と精神力を削られるばかりだ。
「(あの亡者の手が地味にうっとうしい)」
息を荒げもう一度高速移動を繰り返す。
迫りくる白い腕を切り落とし、化物の身体に素早く肉薄する。
白い腕は切り落とされるたびに、新しい腕が生えそろい。何度切り落としても後を追いかけてくる。
身体をひねり、時に化物の肉片をあえてまき散らすように切り刻み撹乱する。
すると、俺の頭上で大きな影が落ちるのを感じた。
まるで鬱陶しい羽虫を追い払うように振るわれる鋭利な鉤爪。即座に退避し身を躱せば、どれだけの命が散るかもわからない一撃が、ごっそり白い肩を抉り取った。
悲鳴と共に勢いよく肩の肉が抉れて落ちる。
ボトリと落ちる肉塊は水っぽい液体をたて、空気に溶けるように消失した。
「(あれは――)」
死と渇望の無数に映りゆく世界のなか。例え死の腕が俺の視界を掠めようとも、巡りゆく思考は途切れることなくその一瞬を目撃した。
俺の脊髄に電流が走る。
腹部から伸びる腕はそれぞれが意思を持つかのように介在し、俺を絞め殺そうと白い手が伸びる。
それでもその亡者の腕は幾重にも身をひねって躱す俺を捉えることはなく。また黒曜を振るう俺の右腕は正確に化物の身体を薄く裂いた。
一撃の重さではなく無数の剣戟。それも広範囲ではなく一点に集中させて。
「――ふっ!!」
瞬く間に五度。黒い閃光が白竜の外皮を浅く裂いた。
白い血肉が宙を舞い、吹き出す黒血が薄く俺の肌染め上げる。
悲鳴を上げ、鋭い鉤図目を振り下ろす化物。
その破壊の一撃を駆虫で身をひねって躱し、黒曜を握りしめる。
「邪気転化ッッ!!」
刀身に纏わせた薄い刃を一点に集中させ、泡立つように再生を始める傷めがけて、抉るような一撃を打ち放つ。
腕に伝わる重い感触が、白竜の肉塊をその身から分離させたことを確信した。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!!?」
人間の声が幾重にも重なり不協和音が響き渡る。
耳を抑えるようにして小さく唸り声をあげ、即座に退避すれば俺の視界の端で弧を描くように回転する白い肉塊を捕らえた。
そしてその飛び散る白い肉片が『完璧』に再生した瞬間――、まるで朽ち果てたように鮮度を失った血肉は白い砂の粒子となって消滅していった。
「……やはりそうか」
怒りに任せて振るわれた三又の尻尾を弾き、再び的を絞らせないように撹乱するような動きで飛び回る。
白い竜へと昇華した醜い化物の声に戸惑いと怒りの色が混じるのを確かに感じた。
「なんとか活路が見えてきたな」
小さく呟き同じように白竜の身体に一線を走らせれば、化物の指が一本弧を描いて弾き飛ばされ、再生の直後に塵に変える。
根元から再生はするが、断ち切った肉片は消滅する。
白い腕は斬り落とした端から塵となって消滅し、白竜本体は傷つけても飛び散った肉片が互いが引き合うようにして吸収し、再生する。
そのわずかな違い。
そのわずかな違いこそが決定的なコイツの弱点。それは――
「肉体に蓄積された秘薬の含有量。それがテメェの長所にして欠点だ」
はっきりと断言し黒曜を振るえば、整った威厳のある額がぱっくりと割れ、脳漿が地面に飛び散った。
それでも動き出す奇形の白竜。
身体を四つに輪切りにしようと、肉片を消し飛ばし絶命させようと何度も動き出すその身体は一見してみれば確かに無敵に見えるもしれない。
不死ともいえる完全なる再生能力。
そして死してなお幾度となく絶命させようと死の淵から蘇生し、動き出す肉体。
しかし手品の種さえわかればその死ににくさにも説明がつく。
それは奇しくも自分の肉体を傷つけることも厭わぬ破壊の一撃がもたらした確かな答えだ。
「(奴の不死性。それはおそらく体内に残留する≪
有から無を生み出すことはできるが、無から有は生まれないように。
そこには必ずタネと仕掛けがある。
そしてその答えは意外にも身近にあった。
秘薬≪
麻薬が服用した者にこの世にはない快楽を与え、偽りの幸福を提供するように。
この秘薬もまた、体内に取り込んだ≪
つまり永遠と思えるような不死性にも限りがあるはずなのだ。
「そういやあのお人よしも言ってやがったな。≪
不死という言葉に踊らされていたが、紛い物とは言え≪
それが麻薬のような限りある無敵時間なのか。それとも体内に蓄積していくのかはまだわからない。
だが――
「(再生直後の肉体ならば、奴を完全に殺しきれる!!)」
現に、切り離したはずの肉塊は再結合することなく消滅した。
幾度となく切りつけても奴が再生したのは、あくまで切り離された肉塊に再生に必要なだけの秘薬が十分、体内に蓄積されていたからだ。
ならば秘薬の効果が全体に飽和する前に損傷個所を切り離せばいい。
筋道はできた。
あとはそれを実践するだけだ。
「……長々とやりあう気はねぇ。最後まで楽しませろよ紛い物」
世界の
世界の
真正か贋作でしか違いを持たない正真正銘の怪物は互いに殺気をぶつけ合い、
直後――、
城塞を震わせるほどの混じりけのない原初の感情が衝突した。
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