第七話 一人旅

◆◆◆ 荒神裕也――


 エルマやセルバスからも驚かれたがこういう依頼は早い方がいい。

 すぐさま足となる駿馬を手配させその足で城門を潜り地面を駆けることはや三日。


 風にあおられる世界の息づかいを肌で感じ、俺は馬の背で大きく伸びをした。


 あの堅物メガネの依頼である『荷物』を馬の尻に付け颯爽と大地を駆ける。

 エルマから受け取った地図によれば、あと一日かそこいらで城門都市ガーディアに着くはずだ。


 その証拠に景色も聖王都付近に比べてやや変化が生じ始めている。

 舗装された道路は踏み固められただけの大地に変わり、建築物は背の低い緑の絨毯に姿を化けさせる。

 季節の陽気に緑の息吹をいっぱい揺らす豊かな大地。

 地平線の奥まで広がる自然のあぜ道。土を蹴る蹄の音色は常に規則的だ。


 馬のリズムに合わせて身体を揺らし、スピードを上げる。


「……あと少しだ。もう少し働いてもらうぞエバロフ」

「ばふッ」


 はやる息づかいを下から感じ、俺は労うように黒みがかった褐色の肌を軽く叩いてやれば返事が返ってきた。


 足がないから優秀で足の速い馬をよこせと要求した結果、エルマからこの馬が貸し与えられることとなった。

 名前をエバロフというらしい。

 暗い褐色の肌を太陽に晒し、悪路であろうと踏破して見せる能力はまさに名馬と言っても差し支えなかった。


 急な要求のため厩舎きゅうしゃにいる馬のなかで貸し出せるのはコイツしかいないらしい。

 その気性の荒い性格が災いして、どんな者も背に乗せない理由からまだ持ち主は決まっていないとのことあった。

 それでも一度手綱を握れば大人しくなるのだから、エルマが不思議そうに首をかしげていたのが印象的だった。


 たまたま相性がよかったのか、それとも俺の魂の格に本能的に気付いたのか。

 乗馬なんざガキの時分以来久しぶりだったが、エバロフがかなり優秀な馬だったのが功を奏した。


 おかげで当初の予定である日程はかなり短縮できた。

 三時間、休みなく軽々と踏破してみせるエバロフの体力には舌を巻くばかりだ。


「……こんだけ離れりゃ、あいつも追ってこれねぇだろ」


 もはや見えなくなった聖王都の地平線を眺め大きく息をつく。

 なにも早急に聖王都を脱出したのはなにも俺が仕事熱心だからではない。

 グズグズと屋敷で準備などしていたら、それこそあの変に勘の鋭い変態女に捕まる可能性が高くなるのだ。

 せっかくの一人旅が台無しになる。

 それだけは絶対に避けたかった。


 だがその気苦労もどうやら杞憂に終わったらしい。

 後ろを振り返ってもあの変態女が追ってくる気配はない。

 二日間、休憩を取りながらぶっ続けで走り続けた甲斐があった。


 ルーナに連絡を入れずに聖王都を出発したが、一応エルマに伝言役を頼んだから問題ない。今頃、あの変態女は発狂している頃だろう。

 まぁ俺に面倒を押し付けた罰として諦めてもらうしかない。

 その程度の苦労は負ってもらわねば俺の気が収まらない。


「まぁいずれ殺すかもしれねぇな、あいつ」 


 そう独り言ちて、反応がないことに虚しさを感じ、再び大きなため息を一つ吐く。


 あの変態女がデフォでついて回るという現実を受け入れかけている俺もクソだが、あのウザ絡みが恋しくなる日が来ようとは思わなかった。


 そもそも、単独で長距離を旅する上での苦難を一つ忘れていた。

 話し相手がいないこと、これが地味にキツイ。


 景色なんざ最初の一日で飽きた。あと見えるのは森と木と山程度なものだ。

 目的地まであと少しとはいえ、景色が一向に変化しないというのはつらすぎる。


「……暇だ」

「ばるるっ」


 合いの手を打つように首を振ってみせるエバロフを一瞥し、俺は僅かに苦笑するとただひたすら目的地に向けて馬を走らせていった。


◇◇◇


 夜の外套が雲を押しのけ、月明かりが夜道を照らす頃。

 これ以上、馬を走らせるのは危険だと判断し、馬を下りれば瞬く人工的な灯りが網膜を焼き、香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。


 馬を引き近づけば、どうやらそこは宿屋らしく賑わう声が戸口の隙間から洩れ、陽気な歌が聞こえてくる。


「……どうやら客はいるみてぇだな。お前はここで待ってろ」


 一軒の宿屋の前に馬を止め、明かりの洩れると戸口を何度か叩けば賑わう店の奥から愛想のいい男の声が戸口に飛んできた。

 店の人間の声だろう。

 その途中、微かにではあるが「宿泊客かもしれないから部屋の片づけでもしとけ」と誰かに命令する声も聞こえてくる。

 そして慌ただしい足音が宿のなかから聞こえてくれば、


「ハイハイいらっしゃいませ。ようこそ民宿、豚の古巣へ」

 

 そのまま勢いよく扉が押し開けられ、恰幅のいい五十代の親父が飛び出してきた。

 黒い髭面を蓄え、爛々と瞳を輝かせる男。その曇った瞳は客を金づるとしか見ていない目つきだ。

 にこやかに微笑む笑みが俺を見上げ、そして一瞬凍り付いた。

 

「聖王都から来た者だ。急で悪いが一晩宿を借りてぇ。……金はある」


 懐から取り出した銀貨の詰まった袋を見せれば、太い黒眉が僅かに持ち上がる。

 何とか持ち直したのだろう。にこやかな笑みを浮かべたままの店主の口から流暢な言葉が流れ出てきた。


「さようですか。それは喜ばしいことです。では食事付きでおひとり様銀貨一枚になりますがよろしいですか?」

「ああ、それと馬を休ませてぇ。納屋は借りられるか」

「う、馬ですか? 竜騎ではなく? それもおひとりで?」

「なにか問題でもあるのか?」


 解りきったことを問いかければ動揺が返ってくる。


 おそらく俺を羽振りのいい商人か冒険者とでも勘違いしたのだろう。


 改めて店主の下卑た視線が俺の全身をくまなく観察し、奥に誰もいないことを確認する。そして俺の言っていることが真実とわかれば、


「あんだよ、ただの旅人かよ。チッ、媚びて損したぜ」


 客の前であろうと構わず、あからさまな落胆の息を吐いてみせた。

 懐から煙草のようなものを取り出し、火をつける。

 そしてそれを大きく吸い込めば、店主は俺に向けて紫色の煙を吐き出してみせた。


「はぁ、旅人ねぇ。どこまで行くんだ」

「ここから先のガーディアって都市だ。ここで宿やってんならテメェも知ってる名前だろ」

「ふぅん。ってことはあんた冒険者か。ふっ、気楽な生き方だなおい」


 どうやらこの店は客に応じて対応を変えるらしい。

 まぁだいたいの性格は把握していたから問題ない。

 人相を見て客を選ぶような奴に期待する方がどうかしている。


 とにかく今は寝床の確保だ。ここは穏便に済ませてやる。


「一泊の銀貨一枚だったか。受け取れ」


 こういう人種には余る深くかかわるべきではない。

 そのまま押し入ろうとすれば、扉を鈍く叩く店主が不機嫌そうに顔をしかめた。 


「待ちな」

「……何の真似だ」

「困りますねぇお客さん。そういきなり押しかけられちゃ。あいにくと今夜は客で部屋が満員なんだ、他所をあたってくんな」

「……見た限り、そこまで人数がいるとは思えねぇが」

「実はこの後予約が入ってたのを忘れてたのよ。そういや今日は満員だった」

「ほぅ。こんな廃れた宿屋に予約ねぇ?」

「ああ、なんでもこの先のガーディアって都市に荷物を卸しに行く商人が多くてねぇ。いやー残念だが諦めてもらうしかねぇなー」

「……で、なにが言いたい」

「まぁ? 万が一、いや億が一その予約客って奴がこの夜道で来れない可能性もあるかもしれないがぁ――」


 するとチラチラと舌を出す下衆の眼差しが何度も俺を覗き見る。

 下手な芝居打ちやがって、最初からそう言えば話は早いものを。

 財布から取り出した銀貨を指で弾けば、それを慌ただしく受け取った店主の表情が一気に吊り上がった。


「チップだ。取っとけ」

「へへ、いやーなんだかわるいねぇあんたも困ってるのに」


 この手の手口はもはや慣れたものだ。

 金さえ払えば、あとはどうとでもなる。


 受け取った銀貨をさりげなく懐に仕舞う店主。

 その笑みがさらに下卑たものに変わり、芝居じみた動きで額を打てば、何度も首を横に振るう男の下品な髭がより一層吊り上がりをみせた。


「いやーしかし、あらかじめ予約していた客を無断でキャンセルするってのもどーだろうなぁ。いや、旦那。あんたが悪いって訳じゃねぇんだ。これだけはわかってくれ」

「……」

「商人は誠実にってのが俺のモットーであり生き甲斐だ。もちろん俺は遠路はるばるここまで来たあんたを泊めてやりてぇ。だが、俺は俺の良心に恥じない行動をして――ぃいいいッ!?」


 言いかけたところで表情が唐突に凍り付いた。

 喉元に突きつけられた黒曜。

 アイテムボックスから一瞬で抜刀し、その鈍い刃を脂ぎった首筋の前で止めてみせた。

 その恰幅のいい身体に似合わないおどけた小声が宴会の音頭でかき消される。


「あ、あんたなにを!?」

「シーっ、黙れよ。……いいか。テメェは今ギリギリの所に立っている。これ以上欲をかいてそのきたねぇ商売魂までどぶに捨てたくはねぇだろ? おおっと黙って頷けばそれでいい。そうだ、わかったな?」


 ギョッロと浮き出た眼球が忙し動き、観念したように何度も深い頷きが返ってくる。


「よし、それでいい。明日の朝日を拝みたきゃ変な欲はかかねぇことだ」

「――っく、この疫病神が」

「それを引き込んだのはテメェだ。呪うならテメェの運を呪うこったな」


 そのまま襟首を放してやれば、悪態をつく店主が小さく反抗的な舌打ちを漏らし、顎をしゃくる。


 どうやら交渉は成立したらしい。


 あれだけ脅せば、下手な真似はできないだろう。

 後ろを振り返れば、店主が誰かに命令を飛ばしている最中だった。


「さっさと、馬を納屋に入れな。まためしをぬかれてぇのか!!」


 そしてその怒号のあとに投げ渡された鍵を受け取り階段を上れば、俺は204と書かれた部屋の扉を前に立ち止まり、その古びた扉に鍵を差し込んだ。

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