第十話 集団暴走≪スタンビート≫
振り返れば、猫耳を生やした女が友好的な笑みを浮かべて近づいてくるところだった。
「……テメェは、確かエルマだったか」
「そそ、銀翼の騎士団副団長のエルマちゃんだよー、改めてよろしくねアラガミ君♪」
そう言うとニパッと動物的な笑みエルマが大きく頷いた。
改めてみれば、不思議な女だ。
切れ目の長い猫耳。前髪を後ろに流し額をむき出しにしている。淡い茶虎色の髪に頬のそばかすが僅かに目立つ。
枝のように細い身体と佇まいに秘められた運動性能を感じる。
神々の欺瞞が崩れ落ちた頃の日ノ本には鬼や悪霊などの魑魅魍魎が
おそらく一応は人間という分類でこの世界で生きているのだろう。身体から溢れ出る魂の香りは確かな人間性を感じさせた。
「今度は背後を取らねぇんだな」
「にゃははー。あんな殺気の篭った忠告を受けておんなじことをする勇気はボクにはないなー。本気で殺す気だったでしょあれ。内心バクバクだったよ」
その割には余裕で避けていたような気もするがな。
「結構危なかったよ? あと少し反応が遅れていたら間違いなく背骨をやられてたね」
「それで、テメェは一体俺になんのようだ。あのクソメガネ同様、俺に因縁でも付けに来たか」
「違う違う。ボクはそんなんじゃないよ。いうなれば同じゴロツキ同士。一応挨拶をしておいた方がいいかなぁーって思って声かけただけ。そんな警戒しなくてもいいよ」
「別に警戒なんざしてねぇよ。だが一つはっきりした。あの堅物の部下にしちゃずいぶんと俺好みの匂いを漂わせてる思ったが、そういう事か。テメェもこちら側だな」
そう、こいつからは俺のもとに集まっていたゴロツキと同じ匂いを感じさせる。
掃き溜めにも劣るクソのなかで生と死の間を彷徨い、それでも自ら地獄に手を伸ばし、選び取った者だけが発する匂いだ。
悪意にまみれ、けれども日に光に未練を残す馬鹿どもと同じ香り。
そういう人間の魂は、独特な匂いを醸し出している。
「ねぇねぇアラガミ君。君はボクのことをどう感じてるの?」
「あん? んだ、藪から棒に」
「初対面の人には必ず問いかけてるんだ。ボクのことどう思う?」
「別に普通に喧しい、猫耳女だが、何か他にあんのか?」
すると笑顔から一転し、意外そうに瞳を見開くキツネ色の瞳にやや物珍しげな色が乗り始めた。銀の鎧から覗く長い尻尾が忙しく宙を踊り、感情を示す。
「へぇーほぉーふぅん。うそは、言ってないみたいだね。これは珍しい。君もボクをみて差別の色を浮かべないんだね。君みたいな変人はこれで三人目だよ」
「いちいち外見の良し悪しで女を抱いてちゃキリがねぇからな。差別とか人種とか、下らねぇ理由で怖がって
「ふ-ん。これから神殺しの大罪を犯すってのにずいぶんと気楽だねぇ。君って冒険者じゃないんでしょ? まぁ格好からして違うってのはわかるけど」
改めて上から下まで舐めまわすような品定めが始まる。
本来なら叩き切っているところだが、俺も同じようなことしたしこれであいこだ。
それにこいつからは変態並みにしつこい視線は感じないからまだいい。
「んで、俺は合格か」
「うん。さすが団長が敵と認めただけのことはあるね。あの人、相手が自分の敵に値する人じゃないと気に入らないから」
「そりゃまた擦れた性癖してんな」
鼻で笑えば「だよねー」と同意の声が返ってくる。
すると何を思ったのか、いきなり俺の首に腕を回し、肩を激しく叩かれるエルマ。
フレンドリーというかなんというか見た目通りの行動力だ。
堪らず振り払おうと腕を上げると、
「うおっ――!?」
背後から衝撃が襲ってきた。
腰あたりに感じた衝撃に視線を落とせば、しがみつくように腰に抱き着くヤエが頬を膨らませてエルマに向けて威嚇のポーズをとった。
「テメェは犬か、それにどういう腹積もりだ。まさか嫉妬したとかそういう下らねぇいいわけじゃねぇだろうな」
「なんのことだかわかりません」
「テメェもその言い訳か。そいつはもう今朝やり終えたんだよ」
覗き込むようにエルマも俺の左わきを見下ろし、小さく声を上げる。
両者の視線が絡まり、互いの存在を認識する。
「おっ、これはこれはうちの団長がお熱のヤクモさん。どうも初めましてかにゃ?」
「ええはじめましてエルマさん。王都で噂はかねがね聞いてますよ」
「にゃはは、いやーどっちの噂だろー。ボクけっこう色々やらかしてるから悪い方じゃなければいいんだけどねー」
「そんな謙遜しなくてもいいんですよ、レイブン卿の懐刀。俊足のエルマさん」
「ボクも団長から聞かされてるよ君のこと? たしか孤高の聖騎士だっけ? どこにも属さず、しかしその力はかの大英雄に近しいとか。これはぜひお近づきになりたいにゃ」
「どうでもいいが俺を挟んで会話してんじゃねぇ」
「ありゃりゃこれは失礼したにゃ」
そういって飛び退くエルマは放っておいて、未練がましくしがみつく変態を腰から引き剥がし、蹴飛ばしてやる。
悲鳴が上がるがこいつに関しては罪悪感などみじんも感じない。さりげなく尻に手を伸ばそうとするような馬鹿だ。強めに蹴り飛ばしたところでこの変態にはご褒美にしかならないだろう。
「君もずいぶんと個性的な趣味をお持ちで、いやー若いっていいにゃー」
「俺と大して年変わらねぇくせに年上ぶんな。それに、勘違いすんな俺はこんな変態飼った覚えはねぇ」
飼うならもっと従順で使える奴にする。
変態芸しか取り柄のねぇような駄犬は必要性を感じられねぇ
「荒神さんがイケずです」
そう言ってノロノロ起き上がる変態を一瞥していると、横から一人の騎士がエルマの前に敬礼した。
「エルマ副団長。御神体の固定完了しました」
「りょーかい。んじゃとりあえず、聖宝具の準備だけでもしといてすぐ行くから」
「了解しました!!」
どこから現れた騎士の一人報告の報告に間の伸びた軽い調子で返事をかえすエルマ。これで副団長だってんだから笑えてくる。
しかし――
「御神体? 神ってのは霊体じゃねぇのか」
「はい。わたしも神殺しはこれが初めてですからそこまで詳しくないんですけど、ようは土着神が神格としてこの世界に留まれる依り代みたいなものです。それをわたし達は御神体と呼んでます」
てっきりこの世界では形を成さない霊体のようなイメージがあったがどうやら違うらしい。
「ギルドの話じゃ、御神体を媒介にしてその場に残留思念のような楔を打つことで、この世界に意志を持つ神としての存在しているみたいです。たぶん物に憑依しているって形が一番想像しやすいですかね? あとは人間の信仰を集めることで神格を保っているらしいんです」
要するに土着神の存在は、信者から得た信仰を神気に変えることで、初めてこの世界に存在を留めておけるということだろう。
そう考えれば、必要以上に土着神が信者に恩恵を与えようとする理由が見えてくる。信者がいなくなれば、おそらく土着神は神格を失い、あらかじめ持っていた意識は拡散して消滅するに違いない。
聞けば土着神という存在は、形を持たない力の塊が意識を持ったことで生まれるらしい。
そのため、御神体というのはあくまでその曖昧な存在にきちんとわかりやすい形を与えるための媒介にすぎない。信徒のイメージが固着さえすれば、世界は土着神を受け入れざるおえないということだろう。
信者と神が密接にかかわっているのはこの辺に深い理由があるのかもしれない。
「だから、荒神さん風にいうなら、御神体というのは神という存在を支える器みたいなものなんです」
「ならその依り代ってやつを壊しちまえば全て終わりじゃねぇか」
「それがそうでもないんだにゃー。確かに土着神なら依り代たる御神体を壊してしまえば消失するけど、邪神に堕ちたら別なんだよねー」
どういうことだ?
「邪神は御覧の通り、魔素を吸収して存在する神だからねー。この無限に魔素が存在する世界では存在を確固たるものにする楔を必要としないってわけなのさー」
「つまり鎖から解き放たれた猛獣って訳か」
「そそっ。神気ってのは神様にしてみれば自分の存在を支える力だから大事だけど、邪神にしてみれば信者の信仰なんてそこまで重要なものじゃないからね。だって自分自身を支えるエネルギーを好き放題補充できるわけだからねー。今更、御神体を壊したところで邪神に対してはあんまり影響ないのさ」
「でも一応、邪神にも核となる存在は必要ですよ? でもどういう訳か、邪神になり果てても彼らは御神体の存在に執着するらしいですから。過去のデータでは御神体をめぐって邪神と激しい戦闘が行われた記述もあります」
つまりいい囮になるってわけか。
「まぁその通りです。基本的に依り代になる媒介物は無機物ですから戦闘中に死ぬなんてことはありませんし、御神体さえ残っていればいくらでもおびき出せますしね」
俺達の世界では神は肉体を持っていた。
こっちではその肉体の代わりに御神体を使っているのだろう。
生物を依り代にしない理由は、生き物はすべからく老いて死ぬからだろう。クソ神どもは自分の身体を弄って完全亜不老を手に入れていたようだが、この世界ではまだそこまでの技術はないらしい。
動けない代償に、朽ちぬ体を手に入れたという訳だ。
それにしても――
「情報がすくねぇって嘆く割にはずいぶんと詳しいじゃねぇか」
「天恵≪魔導の探究者≫のおかげです」
「ボクはこれでも聖職者だからねー。お仕事上でこれくらいは知っておかないとクビになっちゃうんだー」
そう言って、二人はそろって自分の頭を叩いて見せた。
どうやら二人ともオツムは悪くないらしい。
特にエルマは意外だった。
「しかしなるほどな。土着神が邪神化した時の村人の反応が妙に過剰だったのはそれが理由か。あれは守り神がいなくなったことを悲しんでるだけじゃなく、村が襲われることも危惧してたのか」
「そそ、だから大概は邪神と化す前に使徒に断罪されるから土着神が邪神に堕ちるなんてめったにないのさ。使徒ですら下手すれば消滅するような存在だよ? ボク等人間がどれだけ急ごしらえで無謀なことしてるかわかる?」
「まぁ邪神の出現なんてここ六百年、聞きませんからね。土着神が堕ちることが滅多にないことからもわかる通り、神殺しなんて異例中の異例なんですよ。ほとんどが、その前に封棺して時間をかけて穢れを取り除くのが普通ですから」
そう言って、肩をすくめるヤエを見て何度も頷くエルマ。その動きが唐突に止まった。よく見れば寅茶色の猫耳が三度、規則的に動き出している。
「っと――、そろそろお客さんが来たみたいだよ」
その視線は森の奥に向けられていた。
エルマが右手を上げて、胸に下げた笛を鳴らせば、作業をしていた騎士たちが一斉に立ち上がり武器を構え始める。
なんな気はしていたがやっぱりそうか。
道理で静かな森が騒がしいわけだ。
「BOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!!」
弾けんばかりの咆哮が森を震わせる。
地鳴りが響き、闇の中から大量の視線を感じる。
それは祠を囲うようにグルリと一周し、赤い視線が森の奥で揺らめいた。
「
誰かの叫びを聞いたが、それは次々となる雄たけびにかき消され、すぐに聞こえなくなっていく。
森の中から顔を出したのは俺でも見慣れた人外の姿だった。
気骨稜々の太い筋肉を搭載した、額に角を生やしたバケモノ。
数こそはっきりわからないが、殺意の波動が波打つように俺たちに向けられている。
「エルマ副隊長、指示を!!」
「と言うわけで、ボクそろそろ行かなきゃいけないんだ、もっとお話ししたかったんだけどごめんねー」
「別に気にしてねぇよ。俺もそろそろここいらの眼が鬱陶しくなってきたから消えてぇんだ。さっさとおわすぞ」
「ははは、まぁこんな美女二人に囲まれてちゃ無理ないかなー」
「まぁ団長が同行を認めるくらいだから唾つけときたかったんだけど、どうやらちょーーっと難しいみたいだね」
そう言って視線を俺の左腕に向ければ、いまも鬱陶しく張りつくヤエの姿がそこにはあった。
非常時だというのに、その茶番めいた言葉は変わらない。
「ふん!! わ、た、し、の荒神さんですからね」
「さてさてそれはどーかにゃ? まぁこうやって獣人のボクと気軽に接してくれる人ってなかなか少ないから貴重なんだ。この仕事が終わったらこんどお酒でも飲もう」
「まぁ、覚えてたらな」
クイッと手元で盃を傾ける仕草をするエルマ。
この世界でも清酒は存在するのか。そんな場違いなことを考えていると、素早く肉薄してきたエルマの身体が、そっと耳元で甘い声を囁いていく。
「これ、わたしの番号だから火遊びしたくなったらいつでも呼んでね♪」
そして胸に紙切れを押し付け、置き土産とばかりに頬に柔らかい何かが押し付けられた。
「あーあー!! わたしの荒神さんがけがされたああああああっ!?」
「うるせぇ。テメェとやってることはたいして変わらねぇだろうが」
「それとこれとは話が別なんですぅうううううう!!」
射殺さんばかりに殺気を放ち、歯を擦り合わせる変態。
その悪鬼ともいえる表情を眺め、満足そうに息をつくエルマは何度か頷いたあと、小さなウインクを残して踵を返した。
「じゃ、さすがのボクでもオーガと孤高の聖騎士相手じゃ分が悪いから行くね、あでゅー」
そして彼女は、散歩にでも出かけるような軽い足取りで襲来するオーガの群れの中に単身で突撃していった。
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