第23話 脳量子力学研究所

T大学内の一室内。

扉には「脳量子力学研究所」という少々怪しげなネーミングのプレートが掲げられていた。


「御影君、久しぶりだねえ。10年ぶりくらいじゃないかね?」


白髪に白髭、そして白衣にメガネという、まるで漫画に出て来るような博士が言った。


「いえ真壁博士。前にお伺いしたのは世界旅行から帰って来たばかりの時ですから、もう20年ほどになります」


「もうそんなになるかね。私はこんなに爺さんになったのに、君はちっとも変わらんな」


「いや、そうでもないですよ。あ、紹介が遅れました。こちら科捜研の宮下君です。宮平君、真壁博士だ」


紹介されて御影のやや後方に立っていた真奈美がおじぎをした。


「はじめまして、科捜研の宮下真奈美です」


「真壁です。あなたもサイキックだそうですな。本物のサイキックはめったに居ないから、お会いできてうれしいですよ」


「そういう博士もサイキックなんじゃないですか?博士の心は読めませんから」


真壁博士は声を上げて笑った。


「いやいや、私はサイキックではない。しかし、心を読ませない技術は心得ております」


「博士は超能力研究では日本の第一人者だ。サイキックにいちいち心を読まれていたら務まらないからね、いろいろな技術を体得しているよ」


そう御影が補足して言った。


「第一人者といっても、他の優秀な学者がみんな他界してしまいましたからな。自動的にそうなっただけですよ」


照れたように謙遜している。心は読めないが感じの良い人物である。

真壁博士は真奈美にとっては、かなり好印象であった。


「博士、脳量子力学とはどういう学問なんですか?」


「さあ、なんなんだろうね?1974年に我々が研究していた超能力少年たちをマスコミがインチキだと叩いたおかげで、ウチも何かと風当たりが強くなって超心理学という名前が使えなくなった。あれこれ変節の末この名前に落ち着いたんだよ。ほら、量子力学ってなんか流行りだしね」


真壁博士はとぼけた顔で言った。


「博士、宮下君にざっと超能力のメカニズムについて説明していただけませんか?」


御影が話を促す。


「ふむ、説明ね・・・なかなか難しいのだが、簡単に言うと何も分からんのだ」


真壁博士はいきなり身も蓋もないことを言った。


「なにしろサンプルが少ないからね。それでも我々はなんとか超能力のメカニズムを解明しようと努めたんだが、大したことはわからなかった。特にサイコキネシスなんかさっぱり理解できん。思考するだけで物理作用が起きるなんて科学的にあり得んだろ?なのに現象が起きるんだよ。意味不明だよ」


・・・じゃあ、私たちは一体ここに何をしに来たのかしら?


真奈美は拍子抜けしてしまった。


「しかしもっと言うと、心のメカニズムは現代の科学でも分からないことだらけなんだ。脳みそが関わっていることはなんとかく分かるだろ?しかし脳みそをいくら解剖しても、心の在り処は分からない。脳を構成するのは脂質とたんぱく質で、そこには神経細胞と血管があるだけだ。ここにどうして心などというものが発生するのか?誰にも分かってないんだよ」


「そうなんですか?それなりに研究は進んでいるんだと思っていました」


「分かったようなことを言うのはトンデモ学者モドキだけだよ。脳量子力学とかもそうだ。ニュートン力学も相対性理論も理解できない輩が、やたら量子力学を有難がるんだ。もちろん彼らはそれも理解していない」


自らの研究室の看板まで否定してしまっている。


「もし本当に脳と心のメカニズムが分かっているのなら、人間の脳から情報をアウトプットすることが出来るはずだろ?しかし、それに成功したという話は寡聞にして知らん」


たしかにメカニズムが分かっているのなら、コンピュータからデータを取り出すように人間の脳から記憶や情報を取り出すことが可能なはずだ。

妙な説得力がある真壁博士の意見だが、それではここに来た意味がわからない。


「しかしね、仮説を立てるにはサンプルがあまりにも少なすぎるのだが、解剖学的には松果体が超能力の源では無いかと考えられている」


「・・松果体・・ですか?」


「うむ。知っておると思うが、松果体は大脳の中央、左右の視床に挟まれた内分泌器だ。メラトニンというホルモンを分泌している。松の実というくらいで、豆粒ほどの小さなものだ。成人するとさほど重要な器官というわけでもなく、石灰化してしまっている人も居るが、普通に生活を送る分には問題ない」


真壁博士はようやく学者らしく、しかしあまり意味のない身振りを加えながら話を続けた。


「あとで医学部で宮下君のCTも撮らせてもらいたいのだがね、我々が調べたサイキックは皆、この松果体が異常に発達していたんだ。平均するとウズラの卵くらいの大きさがある」


真奈美は話を聞きながら、脳内の中央部分にウズラの卵が鎮座している様子を思い描いていた。


「オカルティストの世界では松果体を『第3の目』とか、チャクラの正体だとか言っておるようだが、我々の考えもオカルトと大差ないんだよ」


ここまでの真壁博士の話を真奈美と共に黙って聞いていた御影が、ようやく口を開いた。


「博士の言う説が正しければね、サイキックから松果体を取り除けば超能力は使えなくなる。しかし部位が部位だけに外科手術で取り除くのは困難だ。松果体に腫瘍が出来ても放置するくらい危険な場所なんだ」


・・・あ、そうか!


真奈美はようやく御影が何をやろうとしているのかを理解した。


「御影さんはもしかして・・・東心悟の松果体をサイコキネシスで破壊しようと考えているんですか?」


御影は答える代わりに、口元だけで笑みを浮かべた。

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