うちのネコ外伝~大坂の陣をやり直そうと思うんだけど。

杉浦ヒナタ

第1話 ノブナガ、子猫を拾う

 私は何のために生まれて来たのだろう。

 長身の青年は呟いた。

 この城の中で彼は生まれ、そして今、死のうとしている。彼にとってこの城だけが人生の全てだった。


 日の光が入らない蔵の中で、灯明のつくる影が大きく揺れていた。


 すでにかたわらでは彼の母親が倒れ伏し、流れ出した血が彼女の周りに拡がっている。倒れているのは彼女だけではない。側近や侍女らは皆、自らあるいはお互いに刃を向け、先立っていった。


 ただ一人、彼の妻だった千姫は救出され、親元である徳川方へ去った。その事に安堵もし、寂しくも思う彼だった。


『浪速のことは、夢のまた夢』とは、彼の父親の辞世の言葉だという。


「もし猫として生まれていれば、……いや、それもまた夢か。もはや詮なきこと」

 彼は静かに目を閉じると、首にあてた剣に力を込めた。


 この日、大坂(大阪)城は炎上し、灰燼となった。


 ☆


「という訳なのだ」

 ノブナガはそう言って、あたしに身体を擦りつけてきた。

「豊臣家が亡んだ話なら聞いた事があるけど、それとこの子猫がどう繋がるのよ」


 あたしが指差すと、そのキジトラの子猫は顔をあげた。散歩に出たノブナガは、この子を拾ってきたのだった。


「ぜひ、私に力を貸して頂きたいのです」


 おおっ、ネコがしゃべった!


「いまさら何を驚いておる。まあ、ついて来てしまったものは仕方あるまい。一匹も二匹も同じであろうから、よろしく頼むぞ」


「勝手に決めつけないで。飼わないからね、うちでは」

 ネコはノブナガだけで十分だ。

 でも他にもしゃべれるネコがいるんだね。ちょっとびっくりしたよ。

 

「せっかくですが、私は千姫を見つける事が出来れば、それでよいのです」


 と、言う事は、この中の人は。

「豊臣秀頼なの?!」


 ☆


 さっきから子猫、と言っているが、実はもう結構大きい。ひょっとしたら、どこかで飼われていたのかもしれない。


 でも見覚えがないな。町内のネコなら大抵は知っているのだけど。


「じゃあ、まずおイチちゃんのとこでも行ってみようか。秀頼ヒデヨリのお婆さんにあたるんでしょ」

「そうだな。このままでは何の手がかりも無いからのう」

 ノブナガも同意したので、三人で浅井青果店へ向かう。


 いつものように、おイチちゃんは店先で子供用の木馬に乗っていた。

 やはり可愛い。


「千姫っ!」

 秀頼ヒデヨリが駆けだしたかと思うと、おイチちゃんに飛びかかった。

「あう」

 しかし空中でノブナガに張り倒され、あえなく地面に転がった。

「何をするのだ、貴様。わしの妹に」

 おイチちゃんも、全身の毛を逆立てて威嚇している。


「な、殴ったね。母さんにもぶたれた事ないのにっ!」

 秀頼ヒデヨリが頬を押さえながら泣く。

 またかよ。あたしは額を押さえた。


「みゃう」

 店の奥から茶色い赤ちゃんネコが出てきた。おイチちゃんの子供の『茶々』だ。

「千姫っ!」

 また秀頼ヒデヨリは飛びかかろうとして、ノブナガとおイチちゃんの双方からネコパンチを喰らった。どうもこいつには学習能力がないようだ。


「なんと、見境いのない奴よ」

 さすがのノブナガも呆れている。

「じゃあ、どんな人だったの、千姫って」

 あたしが訊く。それは、と秀頼ヒデヨリは考え込んだあと。

「色白で、可愛くて、とっても優しかったです」

 ああ、それはいい人だったんだね。でも。

 ノブナガとあたしは顔を見合わせた。

ネコ捜しには何の役にも立たん情報だな」


「千姫って徳川家康の孫なのよね。たぬポンくんに聞いてみたらどうかな」

「ああ。だが、あやつの周りには変なオスしかおらぬがなぁ」

 ノブナガも首を捻っている。


 ☆


 あたしたちは薬局の前に来ていた。

 平松元気健康堂。

 例のたぬポンくんはここで飼われているのだ。


「おい、狸おやじ。出て来い!」

 ノブナガが一声かけると、店の奥から一匹のネコが慌てた様子で走り出てきた。ノブナガの前で、耳を後ろに伏せ、体勢を低くしている。


 あー、可哀想に。目がきょときょとして、落ち着かない。パワハラ上司の前で、今度は何を怒られるのか戦々恐々としている会社員みたいだ。

 まあ会社員って、やった事はないけど。


 ふと見ると、店の横では黒猫が昼寝している。頭にトンボがとまっているが、全く気にしていない。これは確か、へーちゃん、とかいうネコで、たぬポンくんの手下らしい。

 でも、こっちの方がよっぽど武将の風格がある気がするのだが。


「きゃう!」

 あたしは声をあげた。気付かないうちに足にすり寄ってきた子がいた。

「びっくりした。モンちゃんだっけ、君」

 撫でてやろうと屈むと、すぐに逃げていく。まるで忍者みたいにすばしっこい。


 一方、店先から全く動かない灰色のおじいちゃんネコもいる。

 確かにこの周辺って、どこかヘンなネコばかり集まっている気はする。




「だから、千姫という娘に心当たりはないかと聞いているであろう」

 なかなか話が伝わらないノブナガは、相当苛立っている。


 焦るたぬポンくんは何かに気付いたらしく、店の奥に入っていった。

「どうしたんだろうね」

「さて、分らぬが。なにやら任せておけと言っていたな」

「では、ついに千姫に会えるのですね」

 もう秀頼ヒデヨリは目を潤ませている。


 やがてたぬポンくんは出てきた。

 うむ……。小麦粉だろうか、顔にいっぱい付けている。

「貴様。何、の、つ、も、り、だ」

 怒りが限界を超えたノブナガの声だった。

「もしかして、白粉おしろいのつもりなんじゃないの……」

 明らかに忖度の方向を間違っているよ、たぬポンくん。


「にゃーうぅん」

 そんなあたしの気持ちも知らず、たぬポンくんは、くねくねと体をよじって、艶っぽい声で鳴いた。


「死にたいらしいな、貴様」


 ☆


 たぬポンくんがノブナガに叛旗を翻そうと決めたのは、どうやらこのすぐ後だったらしい。





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