ゴーストタウン

湯上信也

ゴーストタウン

この街には、幽霊だけが住んでいる。それもただの幽霊ではない。この街に住む条件は、自殺をした幽霊だという事だ。自ら命を絶った人は、天国にも地獄にも行けずにこの街に来るのだ。誰が決めたは分からないが。きっと神様とかだろう。


この街に住む幽霊は、生者と全く同じ生活をしている。仕事をしている人がいたり、学校があったり。人が時間から解き放たれたとき、時計のように正確な生活をするというが、それと似たようなものだ。


その街に最近やってきた男は、他の幽霊たちの生活に馴染めずにいた。「人間としての生活が嫌で自殺をしたのに、なぜ死んでからもこんな生活をしているのか」という疑問が男の頭から離れなかった。


男は一日中寝てばかりいた。起きている時は酒を飲むか、煙草を吸うか、外を歩き回っているか。とにかく人間らしい生活をしたくなかったのだ。


他の住人たちはその男を「変な人」とは思ったが、特に邪険に扱ったりはしない。もう死んでいるのだから、誰かを憎んだりしても無意味だと分かっていたからだ。


男がこの街には来てから数ヶ月が経った頃。いつものように外を歩き回っている時、呆然と立ち尽くしている女の子を見つけた。何がどうなっているのか分からない、という感じだった。恐らくたった今ここに来たばかりの新入りだろう。


この街のルールでは、新入りは最初に見つけた人が面倒を見る、という事になっている。男はそんなルールに従う義理は無いと思っていたが、女の子を一人で放っておくのはどうにも心が痛んだ。死者に心なんてあるのか分からないが、そんな感覚があった。


何より、女の子が着ている制服に見覚えがあったのだ。覚えていたくないのに、ずっと忘れられない、忌々しい記憶。


「よう、新入りさん。ここは自殺をした幽霊が住むゴーストタウンだ。つまり、君は死んだっていう事だ。まあ、悲しむ事はないだろうけどさ。せっかく生きることから解放されたんだ。好きなように過ごすといい」


男が声をかけると、女の子は驚いたように固まっていたが、やがて恐る恐る口を開いた。


「私は死んだってこと?」


「だからそう言ってるだろう。俺も君も、ただの幽霊だ」


「そっか。やっと死ねたのか」


そう言って、少女は微笑んだ。その微笑みが自分に向けられたものではないと分かっていたが、男は少し驚いた。こんな綺麗に笑う奴が自殺なんかしたのか、と思っからだ。


「私はアズサっていうの。おじさんは?」


「……ミユキだ。言っておくが、俺はおじさんなんて呼ばれる年齢じゃない」


「年齢なんてどうでもいいことでしょ?だってもう私達死んでるんだもん」


「君は物事に順応するのが早いな。羨ましいよ」


それからミユキはアズサに自分が知っている限りで、この街について教えた。話を聞き終えた後に、アズサが口を開いた。


「じゃあこの街は、生きている人間みたいな生活が出来るって事だよね。しかも、通貨とか無いから欲しいものはなんでも手に入る。それって天国よりも天国みたいじゃない?」


ミユキは煙草に火を付けて、胸一杯に吸い込んだ煙を空に向けて吐き出してから言った。


「それは違うな。確かにこの街に住んでる人はみんな、幸福を感じてるだろう。でもそれは全部偽物なんだ。死者に生者のような本物の幸福が訪れる事は絶対にないんだよ。偽物の幸福感に永遠に浸されてるんだ。しかもそれが偽物だと気付かずに。地獄よりも地獄だよ。この場所は」


「ふーん。よくわかんないや。ねえ、ミユキさん。この街の案内してよ。これから永遠に浸る事になる、偽物の幸福ってやつを教えてよ」


彼女は目を輝かせていた。


「本当に俺が言った事、何も分かってないみたいだな」


ミユキは呆れながら言ったが、悪い気はしなかった。人に頼られるのは久しぶりだったからだろう。


アズサを連れて歩いていると、街の住人が「女の子と歩いてるなんて珍しいね。やっとこの街に馴染んだのかい?」とからかってきた。

ミユキはちょっした有名人だった。変な人としてだが。


住人の言葉を無視して歩いていると、アズサが「人気者だね。ミユキさん」と言った。


「別に人気者じゃない。俺を見て面白がってるんだよ。あいつらは」


「それもある意味では人気者ってことでしょ?少なくとも、嫌われてはいないみたいだし」


「嫌いになってもどうしようもないから、嫌わないだけだよ。この街の住人は。なんといっても死んでるんだからな」


「そんなもんか」


笑いながら喋っているアズサを見て、ミユキはヤバイな、と思っていた。この街の偽物の幸福感に、自分も侵され始めている。


街を一通り歩いた後、アズサはミユキの家に住む事になった。ミユキは「やめろ」と言ったが、彼女は全く聞かずにミユキの部屋に無理やり転がり込んだ。まったく、わがままなお嬢様だなと思いながら、それを許してしまう自分もどうかしている、と彼は十分に理解していた。


2人の生活が始まってから、数日が経った頃。

する事もなく2人でダラダラしていた時、アズサが突然口を開いた。


「ねえ、ミユキさんは何で自殺したの?」


あまりに突然の質問だったので、ミユキは少し驚いた。なんと答えようか迷っていると、アズサは申し訳なさそうに言った。


「答えたくなかったら別にいいよ。変なこと聞いてごめんね」


「いや、別に変なことじゃないさ。この街の住人は生前に何をしていたかとか、どうやって自殺をしたかとか、自己紹介としてそういことを言うからな。文字通り『終わったこと』だから笑い話にできるんた」


少し間を置いて、また口を開ける。


「だから、これから話す事も笑い話として聞いてくれ」


真剣な眼差しを向けてくるアズサに応えるように、ミユキはゆっくりと話しはじめる。


「俺は高校教師だった。飛び抜けて優秀というわけではないが、それなりにいい教師だったと思う。いや、俺が勝手にそう思っていただけか。とにかく、そこまで問題を抱えていたわけじゃなかった。最初の5年くらいまではな。


初めて3年生の担任になった時、俺のクラスに大きな問題が起きた。まあ、よくある話だ。受験とかのプレッシャーから他人を蔑みたくなっていじめが起きる、なんてのはな。俺はできる限りの事をしたつもりだった。いじめられてる生徒の話を聞いたり、学級会なんてものを開いたり。後から気づいたが、俺のやったことは全部余計なことだった。いじめを加速させるだけだったんだ。


いじめを止めることは出来ずに、自殺未遂をする生徒を出してしまった。学校も保護者も、全部俺に責任を押し付けた。『押し付けた』なんて言ったが、実際責任は全部俺にあった。学校を辞めても、世間からの非難の声とか、夢に出てくる自殺未遂をした生徒とかに悩まされてね。生きる意味より、死ぬ意味の方が大きくなったんだ。結局、俺は自分のせいで自分の生きる意味を潰したってだけだ。笑える話だろ?」


アズサはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開く。


「やっぱり、私ミユキさんの事知ってた」


「だろうな。君の着ている制服は俺がいた高校のものだからな。クソ教師が死んだ、とでも噂になっていたんだろ?」


ミユキは自嘲的に笑いながらそう聞いた。

アズサは俯きながら「いや……」と何かを言いかけたが、そのまま黙ってしまった。

代わりにミユキが喋り始める。


「だから君の面倒を見ているのも、多分罪悪感からなんだ。優しさでもなんでもない。酷いもんだろ?」


顔を上げたアズサが首を横に振ってから言った。


「優しさなんていらない。だってこの街は偽物しかないんでしょ?優しさは本物の中にしかないよ。私は偽物の街で、偽物の恋をしだけ。でも、とても愛おしい偽物だから、悪い気はしないね」


ミユキは胸が張り裂けるような感覚を覚えた。小学生が初めて好きな女の子の手を握ったような、そんな感覚。溢れ出しそうになる何かを抑え込みながら、絞り出すよな声を出す。


「偽物も考えようによっては、本物よりも大事になる事があるのかもな」


「そうだね。それにね、1年生だった私もいじめを受けていたんだから、ミユキさんは悪くないと思うよ。あの学校が全部悪かったんだよ」


「……そうだな。それくらい自分勝手に考えてもいいか。どうせもう、死んでるんだもんな」


2人で笑いながら話すその時間が、何よりも大切に思えた。いよいよ、偽物の幸福感に侵されたようだ。まあ、別にいいか、と彼は思った。


2人の幸せな時間は、それから1ヶ月程で終わりを迎えることになる。


外には雪が降っていた。季節まで再現するなんて、本当におかしな街だな。そんな事を思いながらミユキは一人でコーヒーを飲んでいた。アズサは街の住人と遊びに行っていた。


ドアをノックする音がした。アズサが帰ってきたのかと思ったが、すぐに違うと分かった。あの子はノックなんてしないで入ってくる。


ドアを開けると、真っ黒なロングコートを着た男が立っていた。大きなハットを深く被っていたので、顔は見えなかったが、そもそも顔なんてないのかもしれない。


男の話を聞き終えた時に、ミユキの頭に最初に浮かんだのは、「やっぱりな」という言葉だった。最初にこの街に来た時から、違和感があった。まるで自分はここにいるべきではないと、ずっと誰かに囁かれているような。最近は偽物の幸福感のせいで忘れかけていたが。


男は「明日迎えにくる」と言って去って行った。随分と優しいんだな、とミユキは思った。1日も猶予をくれるなんて。向こうにも少なからず罪悪感があるのかもしれない。


アズサが帰っきた時、ミユキは煙草を吸いながら「おかえり」と言った。いつもと雰囲気が違うのを感じたアズサが「何かあったの?」と聞いた。


ミユキは煙草の煙を深く吸い込み、吐き出してから、言った。


「アズサは知ってたんだよな。俺がまだ死んでない事」


アズサは黙ったまま、ミユキと向かいあう形で椅子に座った。ミユキがまた喋り始める。


「ずっと違和感があったんだよ。ここは俺のいるべき場所じゃない、みたいな。それも当たり前だよな。俺はまだ死んでなくて、昏睡状態らしいからな。さっき迎えの男が来てね。手違いで、この街に送られたそうだ。明日、俺はこの街から出されるみたいだ」


きっとアズサは、ニュースか何かでミユキが『意識不明』とだけ聞いていたのだろう。あの時言いかけたのはこの事だったんだ。


「よかったじゃん」


アズサの声は震えていた。


「皮肉を言うのが上手くなったな」


ミユキは笑いながら言った。


アズサは不意に立ち上がり、ミユキに近づく。彼の口から煙草が離れた瞬間に、口づけをした。煙を吸い込んだアズサは大きく咳き込んだ後に言った。


「タバコ臭い」


「悪かったな。次までに禁煙しとくよ」


「別にいいよ。もう慣れたから」


それから、もう一度口づけをした。


次の日。互いを抱きしめる手を緩めた後、アズサが言った。


「もう、自分で命を捨てたりしたらダメだよ」


「そうだな。命は何よりも尊いからな。大切にしなきゃな」


2人が心にもない事を言っているのは、誰が見ても明らかだった。


ミユキが外に出るため、ドアに手をかけた時、後ろから小さな声が聞こえた。


「さようなら。幸せでした」


1人になったアズサが、テーブルを見ると煙草とライターが置いてあった。ポールモールとかいう銘柄らしいが、煙草に詳しくないアズサにはよく分からなかった。


ミユキの真似をして、箱から一本取り出し、慣れない手つきで火を付けた。直後に大きく咳き込む。


「やっぱり、全然慣れてないや」


雪が降り続ける窓の外を見ながら、彼女は考える。


「ミユキさん、いつ帰ってくるかな」


こんな事を考えるなんて、自分でも酷い事だと思う。要するに、彼に死んで欲しいと思っているわけだから。


でも、それくらい自分勝手に考えてもいいじゃないか。だって、


「私、もう死んでるんだから」

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