5-6 『龍殺し』の死闘

 アトラスの目的地、それが三番教職棟であるという予想自体は合っていた。

 違ったのはそこに広がる光景、無数の『殻の異形』の姿。三番教職棟がすでに陥落していた、という言葉で片付けるのでは、おそらく足りない。何故なら、立ち並ぶ異形達は俺にもアトラスにも牙を剥く事なくただそこに佇んでいるだけだった。

「これに関しては、君の方がよくわかっているんじゃないかい?」

 背後の異形を指して語るアトラスの言葉の意味は、俺にはわからない。

「ここは、ヒースが君の連れていた少女を囚えておいた場所だ」

「エスを……?」

 たしかに、エスには『殻の異形』を葬る強力な力がある。

 ならば、目の前の異形は全てエスが葬った骸だと言う事なのだろうか。

「もしかしたら、君も何も知らないのかもしれない。だとしても、もう何となくは勘付いているはずだ」

 俺の様子を見てか、アトラスは微妙に言い回しを変えた。そして、それはまったくもって俺の図星を突いていた。

「白髪の少女。君がエスと呼んでいた彼女がこの惨状を、統一魔術学舎への『殻の異形』の大襲撃を引き起こした」

 その可能性は、常に頭の片隅にあったのだ。

 だって、あまりにタイミングが良すぎる。俺がエスを学舎に連れ込んだ翌日から、二度の『殻の異形』の侵攻が立て続けに統一魔術学舎、そして学舎下の街を襲った。

 それに、俺は結局のところ彼女の目的も素性も知らないままだ。『殻の異形』の襲撃を引き起こしたのがハルでも、アトラスでも、そしてヒースでもないとすれば、残った可能性は否が応でも有力なものとなる。

「……証拠でもあるのか?」

 だが、それだけではまだ状況証拠だ。エスが『殻の異形』の侵攻に無関係であると言い切れないのと同様に、彼女がそれに関連しているとは断言できない。

「無いよ」

 アトラスの断言は、あまりに明確過ぎた。

「なら――」

「ただ、彼女は怪しすぎる。そもそも、君はいつどうやって彼女と知り合った?」

「……それは」

 その問いは急所で、俺は答えを返す事ができない。

「答えられないなら、そういう事だ。僕は彼女を回収して、『殻の異形』を止める方法を聞き出す」

「……殊勝だな。それをお前がやる必要はあるのか?」

「僕でも、真っ向からでは龍一体と相討てる確証すらない。『殻の異形』の侵攻を止める以外に、ティアの安全を確保する方法はないんだ。誰かに任せられるならその方がいいだろうけど、生憎それを請け負ってくれるような信頼できる相手はいない」

 アトラスの行動指針は、今もティアを守るという一点に集約されていた。ティアを学舎棟で気絶させたのも、あの場で彼女を保護させ自分一人でエスの元へと向かうためだろう。

「心配するな、それは俺がやる」

 だが、アトラスにそれを許すわけにはいかない。目的のためなら手段を選ばないア彼の元にエスを引き渡して、その後エスが無事なまま戻ってくるとは思えない。

「彼女を引き連れてきた張本人である君を信頼できるわけがないだろう」

「あぁ、だろうな」

 アトラスの答えは予想通り、だとすれば残る道は一つしかない。

「……君の目的は、何だ?」

 俺の決断を悟ったのか、静かにアトラスはそう問う。

「目的なんて大層なものはない。俺はただ、巻き込まれただけだ」

 そう、俺には最初から目的などなかった。エスに命を救われ、エスに従い『龍殺し』を名乗り、そして状況に流されて今に至っただけだ。

「それなら――」

「ただ、エスは解放してもらう」

「……ああ、なるほど」

 俺の答えを予想していたかのように、アトラスは短く納得を口にした。

「一つ、頼みがある。もしもそういう状況になったら、ティアを守ってあげてほしい」

 そして、投げかけられたのは不条理な頼みだった。

「随分と勝手だな。どうやったって逆はないんだろう?」

「それでも、だよ」

 アトラスの頼みは、どこまでも頼みでしかなかった。

 一瞬の静寂、そして詠唱は同時。

 空気の弾丸は半透明の結晶の盾に防がれ、続け様に飛んできたのは鉄の刃。投擲で放たれた短剣をこちらも短剣で払い、右に回るように回避。投剣に隠れて飛んでいた透明の刃が耳の横を抜けていく。

 アトラスの手札はすでに読めている。不可視の結晶を盾に刃に使う攻防一体の魔術、その正体は大方把握した。更なる隠し玉があるならともかく、それ以外の一般的な魔術ならば詠唱の時点で性質は予測でき、直前で対策も打てる。もっとも、結晶の盾を突破する手段が掴めていない時点で、結局俺の不利は揺るがないのだが。

 正面、横の三方向を狙った空弾は予想通り結晶の盾に阻まれ届かない。逆に容赦なく連打される不可視の刃を避けきる手段はなく、回避と防御で深手は避けても腕や脚、脇腹に切り傷が刻まれていく事を止められない。

「кулранг」

 耐えきれず紡いだのは爆発魔術。結晶に阻まれアトラスに届かない爆風は、しかしその場に留まり、視界を遮ると同時に不可視の刃の軌道を浮かび上がらせる役割を持つ。

「исси, ёру――」

「шаф」

 煙の中から聞こえる詠唱の種類が変わり、その途中でわずかに乱れる。その間に俺はもう一発空弾を発射。

「――нур」

「сову」

 少し遅れて煙の奥から放たれた熱線は、俺の紡いだ氷の盾をすぐに溶かしきる。

 盾で止めている間に熱線の軌道から身体を外そうとした算段は予想以上の広範囲砲撃に破れ、結果はほぼ真正面からの着弾。背を丸めて耐熱装備に頼るも、熱は無情にも装備を貫通、肌を焦がす。結晶と氷で減衰されていなければ意識を失いかねない激痛の中、硬質の音が聞こえた。

「шаф」

 熱線の範囲を除けば、概ねは予想通りだ。アトラスの作り上げた結晶の盾は使い切りでなく今も残り、俺の投げ放った短剣を弾いた。もちろん、前面に展開した結晶の盾はアトラスから俺への攻撃の障害にもなるが、盾の一部を切り飛ばす結晶の弾丸に加え、結晶を貫通する熱線魔術までをアトラスは習得している。加えて、多重詠唱によりアトラスはすでに次弾の詠唱まで紡いでいた。

 対する俺が機を見出すとすれば、それは頭上だ。視界がなく詳細はわからないが、爆風に紛れて上方に放っていた短剣の落下音は鈍く、おそらくアトラスの一部を切り裂いた。アトラスが結晶の盾を上方に張っていないというのは希望的観測だったが、どうやら正解だったらしい。そして、結晶で周囲を囲ったアトラスの現状は、上方からの攻撃に対して自ら逃げ道を塞いでいるのに等しい。

「шаф」

 薄れてきた煙の先で、アトラスの詠唱が聞き慣れたものに変化。同時に、可能な限り指輪から連打していた空弾が上方で弾ける音がした。数度繰り返しても、結果は同じ。

 推測が正しければ、アトラスは結晶の盾を更に巨大化させたのだ。上方を覆う形で盾を展開できずとも、盾を天井にまで到達させてしまえば上を抜ける手段はない。乱暴な手ではあるが、この上なく効果的な一手だった。

 それに伴い、襲い来る攻撃は結晶の刃の連打に戻る。薄れた煙では軌道を読みきれず、それ以前に物量攻撃を躱し切る術がない。

 アトラスの戦術は、暴力的なまでに完璧だった。そしてその軸にあるのは、反則的な性能の結晶魔術。氷や水の盾は結晶の刃に呆気無く切り裂かれ、風も炎も結晶の盾を傷つける事すらできない。単節魔術では攻防ともに歯が立たず、長節の魔術を紡ぐ暇は与えない。

 それはまるで、俺の理想とする戦術そのものだ。つまり、まともにやり合えば絶対に勝てない。

「шаффоф, олти」

 刃の雨を浴びながら紡いだ巨大な風の槍は、幸運な事に軌道上にあった結晶の刃の多くを吹き飛ばし、軌道を俺の身体から逸らしながら前進。そのまま結晶の盾に激突すると、アトラスの髪すら揺らす事なくその場で霧散した。俺はと言えば、刃に深く裂かれた左腕からの血が止まらずにいる。

「шаффоф, олти」

 放たれ続ける結晶の刃は、これまでで最も防御効果が見込めた風の槍で迎撃。今度は先程ほど上手くいかず、腿部に数発まともに喰らうが、痛みを無視して指輪の紋様を照らし、煙幕代わりの爆発魔術を展開。必死で数歩を歩き位置をずらすが、やがて耐えきれずに膝が折れる。倒れる身体を支えた右腕の先、手の平が床に散った結晶に裂かれて鋭い痛みが奔った。

 意識は朦朧、左腕はもうほとんど感覚がない。脚は動くが、歩く振動ですら胴体が悲鳴を上げる。あとどのくらい意味を保った詠唱が紡げるかもわからない。

「――――」

 どうにか紡いだ爆発魔術により濃く場に漂う煙の先から、奇妙な詠唱が聞こえた。多重詠唱の技能を含んだそれは、煙を貫き巨大な空洞を空ける結晶の槍となる。幸運にも軌道が俺を外れはしたが、煙の吹き飛んだ瞬間で完全に位置を特定された。

「исси, ёру――」

 俺に止めを刺すべく、詠唱が紡がれる。回避も防御も不可能、後はただ――待つだけだ。


 そして、詠唱は終わった。


 俺にはアトラスの魔術、その詠唱は分析できない。

 だから、詠唱の後に結晶の槍が放たれなかった事実と、そして何より煙の晴れた先のアトラスの倒れ伏せた姿を確認する瞬間まで、俺に安堵が訪れる事はなかった。

「……指輪を返したのは、失敗だったな」

 口をついた声は自分でも驚くくらいか細く、例えアトラスの意識があったとしても到底聞こえる事はなかっただろう。

 絶対的な障壁を前にして、俺の使ったのは指輪の紋様魔術。奥の手として親指に嵌めていた指輪、そこに刻まれた有毒気体を発生させる魔術紋様が、アトラスを無力化したものの全てだ。

 アトラスが不可視の刃を操るのと同じく、俺はほぼ不可視に近い有毒気体を攻撃手段としていた。詠唱により現象を発生させる第一種魔術と違い、紋様への射光を媒体とする第二種魔術は、発生する魔術を相手に悟られにくい。

 特にほぼ無色透明の有毒魔術と組み合わせれば、血臭の漂う戦場ではそれが実際に身体を蝕むまで気付く事すら困難という凶悪な殺戮手段となる。いかにアトラスが優れた第一種魔術師であっても、認識できない攻撃には対処できない。

「……っ、ゲホッ、っぐ」

 ただし、あえて有毒魔術の問題をあげるとすれば、その発生源が俺の身に着けている指輪であるという事だ。多くは空気弾や風、爆風に乗せ、無力な攻撃の余波に見せかけてアトラスの方へと送ったつもりだが、やはり俺自身がまったく気体を吸い込まないというわけにはいかなかったらしい。ただでさえアトラスの結晶魔術で満身創痍な上、自らの発生させた毒も身体を蝕む現状は、勝利と呼ぶにはあまりに厳しい。

「――сари」

「っ、кк」

 その上、最悪な事に、鼓膜を揺らしたのは魔術詠唱だった。

 反射で水の盾を張った自分を褒める余裕もなく、視界を掠めた影から転がって回避、した刹那に腿が風の刃に切り裂かれる。

「кулранг」

 疑念も驚愕も押し殺し、爆風で互いを飛ばしながら思考で状況把握を優先。迫り来る人影は、紛れもなくアトラスのものだった。一度は倒れ力を失ったはずのアトラスが、高速の体術と俺と同じ風刃魔術で近接戦闘を仕掛けて来ていた。

 もっとも、アトラスにしてみればそれは苦肉の策だろう。俺には依然として、有毒気体魔術以外で結晶の盾を越えて攻撃を通す手段はない。その盾を捨ててまで近接戦闘を挑んでくるのは、短期決戦に持ち込まなければ先に毒に蝕まれて動けなくなると悟ったから以外にあり得ない。

「сари」

 煙を裂いて現れたアトラスの放雷魔術の詠唱は、俺に対してではなく術者自身へと向けられていた。刺激を与えて無理矢理に身体を動かしているようだが、その成果か運動速度はおそらく負傷していない状態の俺よりも速い。

 更に、多重詠唱によりアトラスは同時に風刃を射出、俺も指輪の風刃魔術で相殺し、詠唱で風の刃を追加。アトラスの脚の付け根を狙った風刃は、左腕の一振りにより掻き消された。

 一見して徒手空拳に見えたアトラスの両の手には、限りなく透明な結晶の剣が握られていた。今更過ぎる隠蔽に感覚を欺かれた隙に、突き出された右腕から伸びる刃が腹部へと到達。力を振り絞り床を蹴って刃から逃れるが、刻まれた傷は決して浅くない。

 後退で距離が開いたのは一瞬、自傷の放雷と同時にアトラスの身体が沈み、足元への薙ぎが追ってくる。足での回避は不可能、再び爆発魔術の詠唱で身体を飛ばして対処するも、こんな事を繰り返していては身体が保たない。

 アトラスは自身への放雷に詠唱を用いているため、多重詠唱の技能を用いても攻撃に使える魔術は一つに限られる。対する俺は指輪と詠唱で二つの魔術を同時に扱えるものの、体術の性能を含めればむしろ不利なのは俺の方だった。強引な手段で驚異的な挙動を可能にしているアトラスに対して、俺はほとんど立っているのがやっと、移動すら爆風に運ばれるままの現状からして、あと十秒も経たない内に致命傷を負うのが妥当だろう。

 なら、その前に相手を倒すしかない。

 爆風に浮いた身体が落ちる前に、残り二本の短剣の内の一本を投擲。上方から降るそれをアトラスが剣で弾く間に、姿勢を立て直しながら指輪の魔術を喚起。風の刃は斜めに跳んだアトラスの脛部を切り裂くも、その前進は止まらない。

 接近の最中、アトラスの紡いだ詠唱は放雷、そして空弾。微かに見えた空気の弾丸を倒れて避けようとして――全身を痺れが奔った。

 つまり、喰らったのは放雷。

 これまでの自身への放雷すらもフェイクとして使い、アトラスはここに来て自らへの刺激ではなく単純な攻撃として放雷魔術を用いていた。

 焼け焦げるには程遠い、一瞬の感雷と硬直。だが、紡いでいた魔術詠唱はその一瞬で強制的に中断される。そして、頭上には振り被られた結晶の剣。肉体への放雷の刺激がなくとも、それを振り下ろす事くらいは難しくないだろう。

「……残念だったな」

 勝利宣言は、紛うことなき油断にして決着。

 倒れた体勢のままで俺の放った最後の短剣は、足を引いて半身になったアトラスの回避により空を切った。

 そして、結晶の剣が落ちる。

 俺の胴の横、床の上に不可視の剣が落ち、そしてやや遅れて首から鮮血の零れたアトラスの身体がその横に倒れ込む。

 首の中心を貫いた傷、そこから流れる血を受けて朱く光るのは不可視の結晶。

 俺の投擲、その本命は短剣ではなく、アトラスの放った無数の結晶の内の一つ。床に転がっていたそれを短剣と同時に放った不可視の不意打ちには、術者であるアトラス自身も反応しきれなかったらしい。

 外から効果の確認しづらい毒とは違い、今度こそアトラスは確実に斃れた。

 そして、それはおそらく俺も同じだった。

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