5-5 『龍殺し』の共闘
結果から言うと、アトラスの加入は成功だった。
結晶の盾は『殻の異形』の疑似魔術の多くを弾き返し、一度刃となれば異形の表皮、殻を切り裂き傷を負わせる。単節の詠唱で発生する魔術現象とは思えないほど、アトラスの結晶魔術は異形を相手にしても使い勝手が良く強力だった。
「本当にこっちで合ってるのか?」
学舎棟に飛び込み、異形の姿が視界から消えた隙を縫って、声を会話へと使う。
学舎に侵入した時からすると、あくまで比較的にではあるが空にも地上にも異形の姿が減って来ている。ただ、やはり龍や麒麟、鳳凰といった強力な種の討伐には手を焼いているのか、残った異形に占めるそれらの比率は高くなっていた。
「闇雲に探すよりはマシだろう。仮に教職長室に彼女がいなくても、何か手掛かりが残されている可能性もある」
俺自身もアトラスの提案に賛同して目的地を定めたものの、三番教職棟、学舎中心部にある教職長室への道は渦中に飛び込むようなものだ。中に入ってしまえば学舎の魔術師達の防衛もあり、ある程度は安全だろうが、そこに辿り着くまでには学舎棟群を取り巻く異形の層を突破する必要がある。
「一つ聞いておく。本当にお前でも龍は殺せないのか?」
「試した事はないけれど、やりたくはないね。死体を間近で見た事もあるけれど、あの殻を貫くのは容易ではない。運動性能と擬似魔術の威力も考慮すれば、勝算は薄いだろう」
一見して万能に見える結晶魔術でも、どうやら龍を仕留める確証はないらしい。
「どういう事? 龍を殺してない、って」
「僕は、ヒースの駒として龍殺しの称号を与えられた偽物の龍殺しだ。同じように、龍殺しの多くは統一政府や他の有力者の利益のために名ばかりの偽物なんだよ」
「一緒にするな。俺は本当に龍を殺した」
ティアの前でもアトラスは見栄を張るつもりはないらしいが、俺はそうはいかない。
「それなら、もう少し役に立ってほしいものだね」
「こんな状況で一々殺してたら時間の無駄だろうが。それに、ここからは尚更だ。とにかく先に進んで一気に学舎棟、四番講義棟の中まで入るしかない」
アトラスの追求には、少々苦しいが論点を変えて誤魔化す。
実際、今俺達のいる八番講義棟から学舎中心部、一番から五番までの直結で繋がった学舎棟群に向かうには、最低でも一度は『殻の異形』の支配する屋外に出る必要がある。
見たところ、目的地の三番教職棟周辺が最も異形の密度が高いため、最短距離での直進は困難。ここから最も近い五番講義棟周辺も危険で、消去法で四番講義棟に向かうのが一番マシだが、その場合でもまともに交戦していてはとても保たない。敵を減らす事よりも、とにかく身を守り距離を稼ぐ事が優先だ。
三人も反論はないようで、俺の言葉に黙って頷く。
一歩この先へ進めば、学舎中心部に入るまでおそらく会話に声を割く余裕はない。もっとも、その前に雑談を楽しむほど俺達の関係性は和やかなものではなかった。
「行こう」
アトラスの声を合図に、四人で建物の外に出る。
前進の最中、詠唱を紡ぐのはハルとティア。流れ弾か左から飛んできた雷撃はアトラスの壁に弾かれ、上方から降るように襲ってきた妖精種を俺の爆風が足止め、投げた短剣が上手く羽を貫き墜落させる。前方に異形の姿がない事を再確認し、走る速度を上げる。
半分ほど距離を詰めたところで、学舎棟を外から襲撃していた龍の腹部に開いた孔が俺達へと向いた。放たれる擬似魔術は熱線、寸前にハルの詠唱が氷壁を築く。ティアは詠唱を切り替え水壁、俺もそれに従い、アトラスは楕円形に歪んだ結晶の盾を作り上げる。
だが、熱線は無情にもそれら全てを一瞬の内に突破した。氷は溶かされ、水は蒸発。結晶の盾こそ原型を保っていたが、熱と光は透明度の低い結晶に威力を減衰されつつも、それ以上に十分過ぎる量が貫通していた。もっとも、こちらの目的は熱線を受け止める事ではなく逸らす事。四重の盾を抜ける間に熱線は屈折し、俺達から離れた位置へと着弾する。
次弾が放たれる前に、俺達はすでに四散していた。少しでも被害を減らすため、消去法としての選択だが、結果として龍の追撃はなし。代わりにティアの目の前から飛び出してきた亜人は、横のアトラスからの一撃で脚を切り落とされ崩れ落ちた。
一度は散った三人、俺を含めて四人は学舎棟の前で再び集結。目の前は壁だが、入口に回る余裕はない。だが、幸いというべきか目の前の壁は一部が崩れておりそこから中に入れる。
「――止まれ」
飛び込んだ学舎棟の中、一息吐く間もなくそこは窮地だった。
壊れた壁からの異形の侵入を防ぐためだろう、中にいた十人からの魔術師部隊が最初に転がり込んだ俺を取り囲むようにして見下ろしていた。次にハル、そしてティアにアトラスが後に続くも、無事を喜ぶよりも先に全員が状況を察して沈黙。
「お前達は……『龍殺し』のアトラス、それにルイン!?」
魔術師の一人が俺達に気付き、驚きの声をあげる。普通に考えれば基本的に消息不明とされていたアトラスに出頭命令を受けている俺、二人の龍殺しの魔術師が揃って姿を現すような事態は異常だ。部外者や学生が避難してきただけと考えてくれるわけもない。
「俺達に構ってる暇があったら、『殻の異形』を一体でも多く殺したらどうだ?」
「そうしたいのは山々だが、目の前に現れた脅威に見て見ぬふりをするのは無理だ。私達を心配してくれるなら、一刻も早く投降する事だ」
一団を代表し要求を伝えてくる男は、学舎でも特に実戦教育を担当する教職の一人、自身も一等の魔術師等級を誇るライナ教職だった。演習形式の講義を幾度か受けたが、俺の見た限りでは第一線を退いた今でも相当動ける。
他にも実戦派の教職の顔がちらほらと覗き、見覚えのない者もいるが、現在進行系で紡いでいる魔術詠唱の精度からして中々の使い手だろう。完全に包囲され先手を取られた現状では、アトラスを含む俺達四人であってもどこまで抗えるか。
「投降とは? あなた達は僕達をどうしたい?」
「口腔を拘束し、避難所に入っていてもらう」
「話にならないな。この状況で自衛手段を捨てるなんて、死ねと言っているのと同じだ」
「心配は要らない。この学舎もお前達も我々が守る。もちろん、その後の事は別だが」
アトラスは強気に反発してみせるが、ライナも怯むでもなく俺達への警戒を口にする。俺としてはアトラスに勝算があるならそれに乗るのもありだが、後々の事を考えると正面から学舎と衝突するのはできれば避けたい。
「……待ってください! その二人は、私が呼びました」
魔術師達の視線がこちらに集中し、アトラスがわずかに身体の向きを変え、俺の指先が遺物に触れたその時、廊下の先から荒い息と共に叫びが吐かれた。
「ユリエ教職?」
「おそらく、もう二人は避難の遅れていた学生でしょう。『龍殺し』の二人には、道中の遊撃と逃げ遅れた者の捜索を任せていましたので」
ライナ教職の疑問の声に、俺の、そして過去のアトラスの担当教職は何を思ってか淀みない出任せを口にしていた。俺達の姿を見て慌てて駆けつけて来たといった様子だが、それにしては良く出来た嘘だ。
「これより学生二人を避難場所である102講義室に運び込むと同時に、『龍殺し』の二人は正面口の防衛に回らせます。配置と事情説明のため、私も一度この場を外させていただけないでしょうか」
「……しかし、特にルインの方は現在出頭命令が出ていたはずでは?」
もっとも、如何にユリエ教職が表面上を取り繕っても、俺とアトラスへの警戒が軽く流されるわけもない。統一政府からの出頭命令が出ている俺はもちろん、その俺と共にいるアトラスも黒い噂の絶えない存在だ。この非常事態で唐突に姿を現した俺達は、何なら全ての元凶とすら疑われても何もおかしくない。
「今は有能な魔術師を遊ばせておく余裕はありません。それに、二人ともこの学舎出身の魔術師で、私の教え子です。もし万に一つ問題が起きるような事があれば、その時は責任は全て私が持ちます」
ユリエ教職の言葉は、半分は感情論だ。ついでに、俺は学舎出身ではなく現在も学舎の魔術師だが。
「……わかりました。たしかに、今は余裕がない」
決定打に欠けるかと思われた説得に、しかしライナ教職は意外なほどすんなりと頷きを返していた。周囲の魔術師達も、多くがすっきりとしない表情ながら、異論を口にするものはいない。
邪推の類ではあるが、教職長不在で指揮系統が不明瞭な中、責任を持つと言い切ったユリエ教職の言葉が魔術師達には有難かったのかもしれない。あるいは、実のところは俺やアトラスの抵抗を恐れていたのか。
「――どうして俺達を庇ったんです?」
魔術師の一団から十分離れたところで、声をひそめてユリエ教職に問う。
彼女は俺やアトラスと担当教職と学生の関係にあったものの、少なくとも俺との個人的な交友はほとんどない。アトラスや、あるいはティアの仕込みという可能性はあるが、それでも教職側のメリットが見当たらない。
「……そんな事は私にもわからん。ただ、そうした方がいいと感じただけだ」
本音としか思えない弱々しい声を漏らし、教職は俺達に視線を移していく。
「ひさしぶりだな、アトラス」
「ご無沙汰しております、ユリエ教職」
堅い声の挨拶に、意外にもアトラスは律儀に頭を下げる。
「お前には言いたい事がいくらでもあるが、そんな場合ではなさそうだ。率直に聞く、お前達の目的はなんだ?」
「白髪の少女を知りませんか? 年は俺と同じ程度、ここの学生ではない綺麗な少女です」
アトラスと教職の会話に割り込むような形になってしまうが、一行の建前上の目的は他でもない俺が口にすべきだ。
「いや、見覚えはない。名前があれば、避難者名簿から辿る事はできるかもしれないが」
「……名前は、エスです。念のため、頼みます」
可能性は低いが、ヒースによる監禁から抜け出したエスが、そのまま学舎の避難場所に転がり込んだという事もあり得る。この状況では、打てる手は全て打っておきたい。
「その少女を探すのがお前達の目的なのか?」
「いえ、それは俺の――」
「――僕の目的は違います」
正直に真実を口にしようとした俺を遮るように、アトラスは更に率直な事実を述べた。
瞬間、アトラスの口から言葉と同時に紡がれた詠唱が雷に変わる。
「……!?」
不意を突かれた俺の防御は間に合わず、だが咄嗟にティアの元へと跳ぶ事により直撃は免れていた。返しに放った風の弾丸は回避され、しかし着地前のアトラスの胴に指輪からの二発目の弾丸が着弾する。
「шаффоф」
更に放った風の刃は白色に濁った結晶の壁に阻まれ、その奥でアトラスの影が動く。
「кул――」
警戒から紡ぎかけた詠唱を、その途中で止める。不意打ちの放雷を放ったアトラスはしかし、俺達にそれ以上の追撃を加える事なくこの場を去っていた。目で追う事ができた限りでは、向かいの角を曲がっていったのが最後だ。
「ハル、ユリエ教職……それにティアさんまで」
アトラスの後を追うべきかどうかは悩ましいところで、ひとまずは足元に倒れる三人の安否を確認する。耳で捉えた限りではアトラスの紡いだのはあくまで短節の放雷魔術。三人は気を失ってこそいるものの、脈や呼吸に取り立てて異常はなく、時間が経てば回復する類の症状に見える。
「……やられた」
実のところ、アトラスの裏切り――とすら呼ぶべきではないのだろう。彼がどこかで俺の利に反する行動を取るであろう事は予想していた。ただ、俺の想像していたそれは俺達を道中の戦力として利用した後に捨て去るようなもので、自ら俺達に危害を加えるような事はいささか想定外と言っていい。
それに、何より予想外だったのは、アトラスの不意打ちの放雷がティアをも標的に含んでいた事だ。
ティアの周囲だけには攻撃を向けないだろうと予測して彼女へと跳んだ俺は、結果として直撃こそ免れたものの、ティアを完全に肉壁として使う形となってしまっていた。
「すいません、置いていきます」
思考の暇もなく、迫り来るのは足音と詠唱。屋内で紡がれた魔術詠唱に反応して、事態を確認すべく魔術師が向かってきたのだろう。
ただでさえ立場の危うい俺が揉め事の釈明をしたところで、今度こそ身柄を拘束される可能性が高い。気を失った三人にとっても、俺がこの場に留まるよりは、謎の被害者として放置された方がマシな扱いを受けられるだろう。
四方から迫る足音に、真っ先に思い浮かぶ逃げ道は上階。だが、おそらく俺にはアトラスを追う必要がある。
僅かな躊躇の後、アトラスの去っていった廊下、足音の一つと完全に鉢合わせる方向へと走る。その後の事は、その後で考えるしかない。
「お前は――」
ちょうど角を曲がったところで、学舎の魔術師二人と真正面から対面。だが、気付くのは俺の方が早かった。
即座に指輪の爆発魔術を喚起、爆煙の中で相手の生死すら確認せず直進し、そして右へと跳ぶ。跳び出した先は壁に開いた穴、学舎の魔術師二人が俺を見る前に注意を引かれていたそれは、ちょうど人一人が通るのに相応しい程度の大きさをしていた。
おそらく、アトラスが逃走経路として開けた穴だろう。確証はないが、自分の中の推測を信じてそのまま走る。屋外は『殻の異形』の蠢く超危険地帯、とても俺一人で生き残れる場所ではないが、目的地までの道はごく短い。肩口を焼かれ、背が裂けながらだが、どうにか命を保ったまま辿り着ける。
「……来ると思っていたよ」
倒れ込む勢いで流れ込んだ目的地、三番教職棟の入口には、アトラスが俺を待ち構えるようにして立っていた。
「それは――何だ?」
そして、その背後には無数の『殻の異形』の姿があった。
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