3-4 再会

「……誰が、これを?」

 窮状から逃れたティアの声は、しかし安堵というより畏怖に近い。

 それもそのはず、目の前の『殻の異形』の亡骸は一目でわかるほど異常だった。

 麒麟を含む複数体の『殻の異形』を殺すだけでも、単純に難易度だけで言えば龍殺しのそれに並ぶか上回る。更にそれら全てをほぼ無傷のままで骸に変える事ができる魔術師など、この学舎内に限らず世界中を探しても存在するかどうかすら怪しい。

「エスは部屋にいますか?」

 ティアの問いには答えず、異形の骸を横目に部屋の前まで足を進める。

「えっ? そうね、あの子は……っ、いないわ」

 自身の部屋を覗き込んだティアの口から出た答えは、そこにいたはずの少女の不在。開け放たれた扉の先、俺の目で見てもやはり部屋の中にエスの姿はなかった。

「で、でも、きっとどこかに上手く逃げたんだと思うわ! ほら、部屋に血痕が残っているわけでもないし!」

「そうですね」

 俺を慰めるためか早口になるティアとは反対に、俺自身はエスの不在にそれほど焦りは感じていなかった。むしろ、そこには妙な安心感と納得があった。

 そもそも、エスは現在俺が名乗っている『龍殺し』を成し遂げた張本人だ。そして、彼女は龍を殺した時、加えて言えば先日の亜人との戦闘でも目立つ外傷を与える事なく敵を屠っていた。この階に並ぶ無傷の『殻の異形』の骸達も、エスの手によるものだとするのが最も納得できる。

「なので、俺はまだエスを探します。ティアさんは、今度こそ避難してください」

 だとすれば、ここから先はティアと行動するわけにはいかない。

「だから私は――」

「ここからは指針も目的地もなければ、エスが見つかる保証もない。先の見えない探索にまで付き合わせるわけにはいきません」

 建前の説得は、そのほとんどが嘘だった。

 見つけられるかどうかはともかく、エスを探す指針、『殻の異形』の死体は上階へと続いている。俺が懸念しているのは、それが指針である意味をティアに気付かれる事、更にはそこからエスと俺の関係にまで辿り着かれる事だ。

「なら、ルインは? あの子が見つからなかったら、いつまでもこの危険な状況の中であの子を探し続けるつもりなの?」

「それは――」

 ティアの言葉で、俺が考えていなかった部分に気付いてしまう。

 ティアをどうするか以前に、そもそも俺自身がエスを探すべきなのか。結果的には骸ではあったものの、この階に存在する『殻の異形』が生きたものであれば俺は死んでいた。そして、それはまさに俺がアトラスと遭遇した時から憂慮していた事態に他ならない。

 命の恩人、謎に満ちた少女。エスのために俺は命を賭けられるのか。

「――引き際は判断します。それでも、俺はエスを見つけるつもりです」

 不思議な事に、答えはすでに出ていた。

 最初から、俺はそのために行動していたのだ。今はその理由、自分の中での天秤を把握する時間は無いものの、答えさえ決まっているなら動く事はできる。

「あなたにとって、あの子は何なの?」

「……わかりません」

「わからないわけ――」

「それを確かめるためにも、俺はエスを探す」

 それは、偽りない本音だった。もう一度、この状況でエスの姿を目にすれば、自分の中の感情が明確に形になるような気がした。

「そう……なら、あの子を助けるために私を使うつもりはない?」

 卑屈にも取れるティアの言葉は、なぜか前向きな声色で聞こえた。

「ありません。ここから先は、一人の方が都合がいい」

 だが、その問いについては考えるまでもない。

「明確な目的地がない以上、ここからは『殻の異形』と出会ったら逃げの一手です。戦力は必要ないし、逆に数が増えれば逃げるにも隠れるにも邪魔にしかなりません」

 純粋に俺の利害だけ見ても、ここからは一人で動くのが最善だ。

「……そう、そうよね」

 努めて淡々と告げた言葉には、沈んだ調子の声が返される。

 あくまで状況からくる要因、ティアの力不足が理由ではないと説明したつもりだが、ティア自身が言葉をそのままの意味で受け取ってくれるわけもない。

 だが、それも覚悟の上だ。片方は一時のティアの感情、もう片方はエスとの約束に打算を加えて天秤にかければ、流石に後者を重視せざるを得ない。

「最寄りの避難場所まで行きましょう。ここからなら、たしか四階の連絡通路を辿って教職準備室ですか。俺もそこまでは付いて行きます」

 エスの手掛かりを掴んでいる事を隠している以上、俺も探索ついでに避難場所まで行くのが自然だ。最寄りの避難場所へ向かう途中の階段に異形の骸がある事を幸運というべきか不運と呼ぶかは判断が難しいところだが、どちらにしろ迂回は不自然過ぎる。

「ねぇ、ルイン」

 避難場所までの一歩を踏み出すか踏み出さないかのところで、ティアが口を開く。

「ルインなら、これと同じ事ができた?」

 少女の問いは、擦れ違う間際の『殻の異形』の骸を指していた。

「再現、というのが死体の状態も含むなら、絶対に無理です」

 俺の戦闘能力、特に『殻の異形』相手のそれに関しては嘘を吐く事は避けられない。とは言え、嘘にも程度というものがある。

「それに、殺すだけにしても数が多すぎる。全て同時に相手にするのは、相当状況が整っていない限り無理です」

 俺はあくまで辛うじて龍を殺す事ができた、その程度の『龍殺し』であると自身を設定する事にした。ならば後は、その程度の技量を持っている場合の自分が答えるであろう言葉を選べばいい。

「そう、よね。これは、一人の魔術師にできる範囲を超えているわ」

 ティアの言葉は、当然の一般論だ。

 だが、同時にそこにはそれ以上の感情が込められているようにも聞こえた。

「俺からも一つ、聞かせて下さい」

 だから、今それを掘り下げる。今を逃せば、それは手遅れになりかねない。

「何かしら?」

「アトラスの扱う魔術について、知っている事があれば教えてもらえませんか」

 俺の問いに、小さくティアの眉が跳ねた。

「どうして、私がアトラスについて知っていると思うの?」

「ユリエ教職から聞きました。この統一魔術学舎に在籍している間、アトラスと最も親しかったのはティアさんだったと」

 昨夜、資料室でユリエ教職から聞いたヒースの情報に、直接俺の役に立つようなものはなかった。ただ一つ、より情報を持っているであろう親しい友人としてティアの名が上がった事を除いては。

 その言葉を元にティアとヒースの来歴を調べ、二人が統一魔術学舎入学以前、前期教育過程から同じ集団に属していた事を探り当てたとまでは、口にしない方がいいだろう。

「……そう、ユリエ教職がそう言っていたのね」

 ティアの声は平坦、表情も無表情に近い。

「ルインは、アトラスと戦うつもりなの?」

「仕掛けるつもりはありません。ただ、逆は無いとは言い切れない」

 具体的な出来事への言及は避けながら、それでも事実を語る。興味本位、と誤魔化してしまえば、おそらくティアは答えてくれない気がした。

「……アトラスは、何でもできたわ。あらゆる魔術系統、単節から長節までの魔術詠唱を高精度で使いこなして、更に二重詠唱の技術まで習得していた」

 意外にもすんなりと話し始めたティアの口調は、しかし親しい友人について語るにしては静かで、その内容も一般に知られている程度の当たり障りのないものだった。

「アトラスは、結晶を射出する魔術を使ってませんでしたか?」

 下手な駆け引きはおそらく逆効果で、状況的にもそんな時間はない。よって、最短距離で踏み込む。

「結晶……いえ、知らないわ」

 しかし、返って来た答えは芳しいものではなかった。

「なら、アトラスはどんな魔術、どんな戦い方をしてましたか?」

「それを答える事に意味はないわ。きっと、私はアトラスについて何も知らない。あいつは結局、自分の事を何一つとしてさらけ出すつもりはなかったのだから」

 アトラスは秘密主義の魔術師として知られる。扱う魔術は一般には知られておらず、表立ってどこかの組織に属するわけでもない。

 だが、ティアの言葉はそんなアトラスの表面的な知識についてのものではない。何も知らないのではなく、知っていた情報が間違っていた、更に言えば騙されていたというような口振りに感じられた。

「ティアさんは、アトラスと何が――」

「ルインは、アトラスと会った……いえ、もうすでに戦ったんじゃないかしら?」

 鋭い、と称するのはティアを侮りすぎだろう。結晶魔術についての言及は、俺とアトラスとの関係性を悟らせるには十分過ぎる。

「俺は、アトラスが戦うのを見ただけです。戦えば、多分殺されていた」

 それは嘘も隠し事もない、ただ正直な感想だ。

「だから、少しでも知っている事があれば教えてほしい」

「……私の知る限り、アトラスは対人戦闘ではあなたと似た戦術を取っていたわ」

 俺が一歩踏み込んだ事を悟ったのか、ティアは付け足すように口を開いた。

「接近からの単節魔術、特に風刃、放雷を主体に一方的な攻勢で相手に反撃の余地を与えず終わらせる。他の戦い方をする事もあったけれど、私の知る限りアトラスが最も好んでいたのはそんな戦術だった」

 だが、ティアの語るそれは俺の知るアトラスの戦闘とは明らかに違う。俺の見たアトラスの主な攻撃手段は結晶の射出、それも遠距離からの一方的なものだ。

 もっとも、俺に言わせればそれは戦術の違いですらない。単節の長さであの硬度、速度の結晶を遠距離射出できる魔術が手札にあるのなら、あえて近接戦闘を選ぶ事に戦術的な利点はほとんど存在しない。単純に、遠距離で圧殺する方が戦術として優れている。

「だから、結晶を放つ魔術については本当に知らない。アトラスがそんなものを使っているところは、一度も見た事はないわ」

 ティアの答えはほとんどアトラスへの対策の参考にはならず、そしてティアもそうなる事はわかっていた。俺が結晶魔術について聞いた時点で、ティアはアトラスの事を、少なくとも魔術師のアトラスについては何も知らなかったと気付いていたのだろう。

 ならば、それ以上の追求はおそらく野暮だ。アトラスとティアの関係性について興味が無いわけではないが、俺の役に立たないのであれば問い質す意味は薄い。少なくとも、本人が自ら語ろうとしない限りは。

「……っ!」

 それに、そもそも俺達には悠長に会話を交わしている時間などなかった。

 階段を一階分上ったところで、視界に現れたのは麒麟の頭部。

「――いや、これも」

 再びの上位の異形との遭遇は、しかし今度も骸を相手としたものだった。階段の更に上階から現れた麒麟の頭部はその先に身体を伴っておらず、球体と呼ぶには歪なそれは不規則に階段を転がると、俺達の足元から少し離れた位置で断面を上にして止まった。

「学舎の魔術師か」

 先程とは違い、直接的な破壊跡の見えるそれは、おそらくエスの手によるものではないだろう。すでに警鐘が鳴ってからそれなりの時間が経った。学舎内外の魔術師が準備を整え本格的に『殻の異形』の対処に回っていても当然だ。

「どうするの?」

「もちろん、会います。エスの居場所がわかるかもしれない」

 辿るべき無傷の骸がこの階に見当たらない以上、情報を他から仕入れる必要がある。そこにいるのが学舎の魔術師であれば、ティアを預ける事もできるだろう。

 今まさに戦闘の最中である可能性も考え、耳を澄ましながら慎重に階段を上がる。最悪なのはそこでの戦闘で魔術師側が負け、残った異形と俺達が鉢合わせてしまう状況だが、すでに戦闘は終わったのか上方から詠唱や破壊音らしきものは聞こえない。

 警戒をわずかに緩め、踊り場から先を覗き込むと、そこには首のない麒麟の死骸。

「――は?」

 それに加えて、踊り場から見える廊下のほんの一部だけで少なくとも朱雀、妖精種、双頭獣の身体の破片が積み重なっていた。

 そして、更に階段を上がって目にしたもの、女子宿舎棟の最上階に広がる光景にはあらゆる意味で情報量が多すぎた。

 並ぶ『殻の異形』の数は先程のそれを大きく上回り、優に十を超える。その全てが破壊しつくされた死骸の山の先にあるのは、たった二つの人影。

「エス!?」

「アトラス!?」

 背後からの叫びが、俺の声に重なる。

「ん……そうか、君か」

 答えを返したのは、一見してこれといった特徴のない男。

 強いてその男の特徴をあげるとすれば、希代の魔術師と呼ばれる龍殺しである事、そして右手に細く伸びた半透明の紐を握っている事くらいだろうか。

「なんでお前がここにいて、エスを拘束している?」

 アトラスの持つ紐の先には、少女の両の手首。両手両足を紐で縛られたエスは、口元に布を巻かれ拘束された姿でそこに立っていた。

「わかっているだろう。他でもない、君なら」

 空いた左手で、示すのは骸の山と化した『殻の異形』。

「これは『殻の異形』を学舎に侵入する手引きをした。一応は学舎出身の魔術師である僕としては、そんな危険なモノを放置しておくわけにはいかないだろう?」

「エスが『殻の異形』を?」

 予想もしていなかった言葉に、一瞬だけ思考が止まる。

「あり得ないな」

 だが、俺の出した結論はそれだった。

「あり得ない? 学舎内で、部外者がこれだけの異形を引き連れていたというのに?」

「俺が見たのは、今ここにある死骸の山だけだ。それより前の事は知らないし、お前の言葉を鵜呑みにするつもりもない」

 実のところ、俺はエスについてほとんど何も知らない。

 だが、それはアトラスについても同じ事だ。

 エスは俺に連れられ、たまたまこの学舎に転がり込んだだけだ。彼女が『殻の異形』を学舎に引き入れたなんて事よりは、アトラスが嘘を吐いていると考えた方が余程納得できる。

「たしかに、そういう考え方もあるかな。だから、別に信じてくれとは言わないよ」

 アトラスには、俺の言葉に憤慨する様子もない。

「ただ、決定を下すのは僕でも君でもない。この子は然るべきところに引き渡す。後の事はそっちで考えてくれるだろう」

 そして、交渉は静かに決裂した。それもそのはず、アトラスの立場がどうあれ、素直に引き下がってくれるなんて事はあり得ない。

「わかった。なら、すぐに終わらせよう」

 そして、俺もまたエスを諦めるつもりは一切なかった。

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