3-3 朝の訪れ
「おはよう、ルイン」
短い眠りから目が覚めると、そこには少女の笑顔があった。
「……ティアさん? 夜這いですか?」
「よ、夜這いって……大体、今はもう朝なのだわ!」
「じゃあ朝這いですね。そう言えば、相手は俺じゃなくてヤネハって事になるんですか」
「そんなに無理矢理這わせようとしないでほしいのだけれど!」
金髪の少女の甲高い声で覚醒した意識が、昨夜は寝床として友人の部屋を借りていた事を思い出すまでそれほど時間は掛からなかった。
「しかし、自分以外の部屋で、部屋の持ち主以外の人に寝起きの挨拶をされるっていうのは中々あれな状況ですね」
俺とヤネハは友人であり、同時にティアとヤネハも互いに知人程度の関係にはある。つまり、ティアがヤネハを辿って俺の居場所を突き止めた事自体はごく普通の事だ。とは言ってみても、やはり今が奇妙な状況である事に変わりはない。
「いきなり見ず知らずの相手を部屋に押し込まれて、そのままその子と一晩過ごすよりは大分まともな状況だとは思わないかしら?」
「思いません」
「普通に否定された!?」
ティアの皮肉混じりの苦情は流して、寝起きの頭を少しづつ動かし始める。
「エスは今、どうしてます?」
「私の部屋にいると思うわ。ずっとおとなしくはしていたし、一応外に出ないようにも言っておいたから」
「そうですか、ありがとうございます」
多くの学生が行き交う学舎内なら、エスが一目で部外者と気付かれる可能性は低いだろうが、万が一ということもある。それに、単純に居場所を探す手間という点でも、エスにはティアの部屋に居続けてもらうのが最善だ。
「お礼を言うよりも、まずは説明してもらいたいのだけれど」
と、そこまでは俺に都合良く運んでくれたようだが、ティアが俺にエスについての説明を求めるのは当然で、いつまでも誤魔化し続けるわけにもいかない。
実際のところ、俺がティアの部屋にエスを連れて行ったのは寝床を提供してもらうため以外の理由はない。ただ、それ以上、なぜ俺がエスの寝床を探す必要があるのかまで正直に説明するのは、流石に色々とまずい。
「……説明できない、というのはダメですか?」
昨夜の調べ事の間にティアへ説明するための嘘の理由を考えもしたが、結論としてまともな口実が思い浮かぶ事はなかった。そもそも、エスと俺との関係は真実からして語って信じてもらえるとは思えないようなもので、そんな突飛な現実に代わる嘘が考えつくほどの想像力は俺にはない。
「流石に、それは無理ね。あまりこういう事を言いたくはないけれど、迷惑を掛けておいて何の説明も無しというのは流石に勝手過ぎると思うわ」
「言いたくないなら言わないでいいですよ」
「勝手過ぎると思うわ!」
言葉尻を捉えて揚げ足を取ると、ティアは声を荒げて地団駄を踏む。話を進めたくない俺としてはこのまま時間稼ぎをしてもいいのだが、最終的に話が流れるわけでもない限りティアをからかう事に大した意味もないだろう。
「エスは俺の知人です。あいつの寝床が必要だったから、ティアさんの部屋を借りさせてもらいました」
「そんなことはわかってるわ。私が聞きたいのは――」
「それで、これ以上は話せません。ここからは、聞かない方がいい」
勘の悪いティアには、多少乱暴な形でもわかりやすく釘を刺しておく。ティアが俺達の事情を知ったとしてどう行動するか、それが俺達にどう影響するかまではわからないが、少なくともそうなった時にティアが要らない面倒を抱え込むのは間違いない。
「どうして、あなたはそうやって……」
忠告に対して、ティアの反応は怒り。
もちろん喜ばしくはないが、想定はしていた。曖昧な忠告など、受け手側からすれば誤魔化しと大差はない。
それでも、俺は下手な作り話でティアの機嫌を取るつもりにはならなかった。おそらく今後の協力は得られなくなるだろうが、部屋に関しては今からなら教職長であるヒースに連絡を取るなどして都合を付ける算段はある。
「そんな事、とっくにわかってるのだわ! 私は、そんな余計な遠慮なんてしないで話してほしいって言ってるのに!」
しかし、ティアの怒りの方向性は俺の予想とは違っていた。
ティアは俺が彼女のためにも面倒事を隠していることまで察して、そのこと自体について憤りを覚えていたのだ。
「……だとしても、ダメです。ティアさんは俺達の事情について何も知らない。知ってから後悔しても遅いんです」
ティアの勘を侮っていた事はたしかだろうが、例えどれほど勘が良くても俺達が抱えている事情の内実までは察せない。『神の器』を相手に回した偽の『龍殺し』の問題に首を突っ込むことになるとわかっているわけではない。
「後悔なんてしないわ。話を聞いたとしても、どうするかは私が決めるのだから」
「何も聞かなければ、何も決めなくていい。その方が、きっと楽ですよ」
「っ、どうして、あなた達はいつもそうやって――」
二度目の激昂を甘んじて受け入れようとした刹那、その怒声は喧しく何重にも鳴り響く警鐘の音により遮られた。
「警鐘!?」
「……そんな、訓練じゃなくて?」
先日にも耳にした特別警鐘ではあるが、よりによってその発生源が学舎内となると流石に耳を疑わざるを得ない。
基本的に、警鐘はその周辺の危機及び撤退指令を出すためのものだ。つまり、非常時訓練の予定でもなく学舎内の警鐘が一斉に鳴らされた現状は、学舎への『殻の異形』の侵入を意味するものに他ならない。
「すいません、話は後です。ティアさんは避難を」
「私は? それじゃあ、ルインはどうするつもりなの?」
「俺はエスと合流します」
今も一定の法則に従い成り続ける警鐘音は、三つの情報を内包している。
一つは、そのまま学舎内への『殻の異形』の侵入。
二つは、侵入した『殻の異形』の数。音列の規則を読み解けば、その数は不特定多数を意味していて、つまりは第一級の危険状態だ。
「それなら、私も――」
「魔術師等級三等以下の職員、教員及び全ての学生は避難を。これは、学舎の指示です」
そして、三つ目が避難命令だ。
学生は当然避難するとして、更に学舎の上層部は事態の深刻さから一定の魔術師区分に達した職員のみで対応を行うべきと判断したらしい。
「だったら、ルインだってそうじゃない!」
「俺は名誉一等の肩書、龍殺しの魔術師です。最高で仮三等までの学生身分とは違う」
「そんな屁理屈が通るわけないわ!」
「いえ、通します」
ティアの主張は気に留めず、最低限の身支度を整え部屋の扉へと向かう。
たしかに、ティアの言う通り、警鐘の学生に対する指示は魔術師区分にかかわらず一律避難だ。ただし、仮にも『龍殺し』、名誉一等相当の肩書を持つ俺なら無理も通せる。何より指示がどうあれ、この状況でエスを放置するわけにはいかない。
「……それなら、私も行く」
扉に手を掛けようとしたその時、隣に並んだティアがそう呟いた。
「だから、ティアさんは――」
「なんでもいいわ。警鐘の意味を聞き違えたでも、どうしても部屋に回収したいものがあったでも、なんでもいい」
迷いのない声には、どこか危うげな覚悟を感じた。
「ルインが何を言おうと、私は付いていく。元々、行き先は私の部屋なのだから」
「なんでですか。別にエスがどうなろうと、ティアさんは困らないでしょう」
「たしかに、あの子とは一晩だけの付き合いで、ほとんど話もしなかったわ。それでも嫌な感じはしなかったし、それにあの子だけじゃなくてルインも心配だもの」
余計な世話だ、と切り捨てたいところだが、おそらくティアもそれは承知だろう。
「――急ぎます」
苦渋の言葉を吐き捨てて、勢い良く廊下へと飛び出す。
この非常事態では、説得に時間を掛けるだけ愚策だ。力づくで従わせるにも、無理矢理避難場所まで連れていくのでは手間が掛かりすぎる。
せめて振り切れば諦めるかと不意を付いて全力で駆け出すも、流石にティアも遅れることなく隣に並んでくる。ここで無駄に体力を使っても仕方ない、振り切るのは諦め、廊下を走り階段を飛び降り、更に廊下を疾走する。
ヤネハの部屋からティアの部屋までは、男性宿舎と女性宿舎を跨ぎはするものの、距離で考えればそう遠くはない。急げば『殻の異形』に遭遇する前にエスと合流することも不可能ではないどころか、可能性で言えばむしろそうなる方が余程高いはずだ。
「っ――шаффоф」
全力疾走から、急停止。舌打ち代わりの詠唱が風の刃となり、曲がり角の先で宙空に浮いていた薄く小さい灰色に激突。
「сари」
衝撃を受けて宙をふらついたそれは、駄目押しに至近距離から撃ち込んだ雷撃で完全に力を失い墜落した。
「眷属、か。支配種まで来てるのか」
難なく『殻の異形』の一体を葬ったところで、一切の安堵はない。
すでに背後に置き去りの床に転がった小型の『殻の異形』は、俗に眷属と呼ばれる小規模の熱線以外に攻撃手段を持たず『殻』も比較的脆い無力なものだった。ただ、眷属種はそれ自体は大した脅威ではないが、多くは支配種と呼ばれる龍を始めとした巨大で強力な異形の偵察役として行動を共にしている。つまり、眷属一体の撃退に意味を見出すよりも、むしろ今の遭遇で支配種に位置を気付かれた可能性を不安視するのが正しい。
「илиk,изил」
前進を続ける中、隣からの詠唱と共に炎の槍が上方へと飛ぶ。
ティアの紡いだ炎の魔術は、頭上を飛んでいた眷属を襲うと一撃の元にその身体を地に落としていた。
「…………」
「…………」
視線での無言の訴えは、目線を向けないことにより無視。
ティアが魔術師として優れていることは、今更目の前で示されずとも知っている。相手を『殻の異形』に限れば、俺よりも上である可能性の方が高いくらいだ。
だとしても、俺が自分の問題にティアを巻き込みたくないことには何も変わりはない。
「――っ」
ティアの部屋は女性用宿舎の中央区画三階に位置する。すでに中央区画にまで到着した俺達に残された距離は僅かな距離の廊下とそこから階段を上に二段、そして三階の廊下を一本のみ。
しかし、そこで俺達の足は完全に止まらざるを得ない。
「илиk,изил」
ティアの詠唱は遮られることなく紡がれ、炎槍が前方へ放射。
「――駄目だ。たった二人で『玄武』と戦うのは得策じゃない」
直撃を機に薄れていく炎の中、ほぼ無傷の姿を現した人の胸元ほどまでの大きさの黒の塊に、空気の弾を放ちながら後退する。
『殻の異形』の中では中程度の脅威度とされる玄武は、縦幅で人の胸部まで、横幅はその倍以上の大きさの楕円形に広がった極端に重厚な姿形。そして、その姿に見劣りしない圧倒的な耐久力が特徴の異形だ。十節からなる戦略級魔術以上でなければ傷を付けることすら難しい玄武を相手にするには、俺達には人数も準備もあまりに足りていない。
「そ――кк, кумуш ранг」
苦情か弱音か、それとも提案か。ティアの紡ごうとした言葉は、自らを守るべく紡がれた詠唱により消える。俺達の前に発生した粘性の液体の壁が、爆裂と衝撃を緩衝。
「шаффоф」
それでも抜けてきた衝撃は、俺の紡いだ風の盾でどうにか払い除ける。
玄武の攻撃性能は防御の固さに比較してそう高くはなく、近接での爪や尻尾を除けば口孔からの息吹くらいしかないが、その息吹に限れば威力は準戦略級魔術、七節相当の詠唱に匹敵する。
「―――――― ――」
しかも、それが詠唱もなしに連発可能というのだから、魔術師としては真っ向からの戦闘などとてもじゃないがやってられない。
「кк, кумуш ранг」
「шаффоф」
後手で繰り返した魔術詠唱により、二撃目までの俺達の被害は最小限で済んだが、すでに玄武の口孔には三発目の息吹の前兆が覗いている。次が間に合う保証はないし、その次に関しては絶望的と言ってもいい。
「кк――」
後がない状況で、俺は懸命に詠唱を紡ぐティアの身体を思いきり突き飛ばす。そして、驚きにも音を外さず詠唱を続けるティアとは反対方向へと前進した。
「кулранг」
そして、玄武の息吹。受け止めるもののない熱と衝撃の標的は、二人の人間の内より近い位置にいた俺。
直後、熱と衝撃が俺の身体を襲う。だが、それは自身の詠唱により喚起した爆発によるものだった。強引な回避行動は痛みを伴うものの、結果として玄武の息吹の軌道上から外へと俺の身体は吹き飛ばされる。
「このまま逃げます」
落下の衝撃を転がりながら殺し、着地点近くにいたティアの手を引いて勢いのままに玄武の横を抜ける。階段前で跳躍、三段飛びに駆け上がり、背後を追ってくる息吹を躱すべく寸前で踊り場を切り返したところで、玄武の姿は完全に俺達の視界から消えた。
玄武が『殻の異形』の中でそれほど大きな脅威と見なされていない理由は、一重にその鈍重さにある。攻撃が通じず防御も追いつかない相手ではあるが、索敵能力の低さもあり、また息吹の放つ方向の転換も鈍いため、逃げるだけならばそう難しくはない。
もっとも、それは『殻の異形』の特徴と対策を学舎で叩き込まれていたからこそだ。同じく、いや『殻の異形』に対しては俺以上に専門のはずのティアが咄嗟に動けなかったのは意外だったが、考えれば初の実戦で咄嗟に考えて動けという方が難しいのだろう。
「……倒すつもりかと思ってたわ」
「これでも、急いでるので」
強引に突き飛ばされたためか、不機嫌そうなティアの呟きには当たり障りのない答えを返しておく。実際には、この最短距離を通るには逃げるしか手がなかっただけだが、龍殺しが玄武程度の『殻の異形』を倒せないと自白するわけにもいかない。
「っ――」
口を溢れかけた呻きを、無理矢理に噛み殺す。
玄武の息吹を避ける瞬間、余波が掠めていたのだろう。脇腹からの鈍い痛みと熱さを感じる。治癒系統の魔術など習得してはいないため、苦痛への対策は我慢と放置しかない。
「これからも、基本的に戦闘は避けます。亜人……いや、鎌鼬以上の『殻の異形』と遭遇したらすぐに逃げる、それ以下なら様子を見て戦うか逃げるか決めましょう」
溢れかけた声を誤魔化すためにも、早口に今後の動き方を告げておく。詠唱中は声での意思伝達が困難である以上、魔術師にとって事前の意思疎通は重要だ。
「学舎内の『殻の異形』を放っておくって事?」
「それは俺達の仕事じゃない。闇雲に危険に身を晒す必要はありません」
ティアは正義感と道徳心の強い、理想的な第一種魔術師だ。彼女にしてみれば目の前の問題を放置するのは我慢ならない事なのかもしれないが、残念ながらティアが思っているほど俺達、と言うよりも俺にはこの事態を解決するだけの力はない。
「……それは、私がいるから?」
俺の答えに対するティアの反応は、自責だった。
「違います。ただ、エスと合流する事を最優先にしているだけです」
言わなくてもいいかもしれない事実を、この場ではあえて口にする。俺の能力に疑念を抱かれる事は許されないが、そのためにティアに余計な心労を与えたくもない。
「それが本当なら、彼女はあなたにとって――」
再度のティアの問いかけは、押し殺した驚愕の叫びに塗り替えられる。
階段を上りきった俺達の目の前、エスのいる、ティアの部屋のある宿舎の階層は地獄だった。
「……くっ、そ」
まず目に飛び込んできたのは、亜人の上位種と位置付けられ、人型でありながら亜人より一段階強固な身体と強力な疑似魔術を持つ『殻の異形』の一種である鬼。それだけならまだしも、その奥には龍に次ぐ戦闘能力を持つとされる麒麟の姿までもがあった。更に加えて言えば、階段上の踊り場に亜人が一体、まるで逃げ道を塞ぐように立っている。
「っ……」
反射的に詠唱を紡ごうとするも、状況を打破するような魔術が思い当たらない。最善手は一目散の逃走だが、位置的にティアの部屋は鬼と麒麟のいる先にあり、逃走はエスを諦めるのに等しい上、逃げたところで生き残れる可能性はごく僅かだろう。
残りは廊下をほんの少し、視界の奥にはティアの部屋の扉が見えているものの、麒麟を相手に正面突破など仕掛ければ優に三度は死ねる。あるいはそもそも、この先でいまだにエスが生きていると考えている時点で間違っているかもしれない。
停滞した思考は動きをも止め、致命的な硬直が続く。ティアも同様で、口を開きかけては止めるような事を繰り返している。
一刻も早く何かしらの選択を取らなければ死に繋がるのは考えるまでもないが、思い浮かぶ選択の全てが事態の打開にはまったくもって繋がらない。要するに、俺達は完全に詰んでいた。
「――――?」
永遠にも感じる考慮、あるいは死を待つための時間は、しかし体感的なものを差し引いても少しばかり長過ぎた。
ヒト種の天敵たる『殻の異形』は、どの種であってもほぼ例外なく遭遇したヒト種を即座に殺しにかかる。この至近距離で三体の異形が今の今まで俺達にただ絶望する時間を与えてくれるなんて事はあり得ない。
「ルイン、これって……」
同じく異常に気付いたティアの視線の先には、四足で立ったまま彫像のように微塵も動かない麒麟の姿があった。
「……はい、多分死んでます」
俺達にとっての絶望、上位種である麒麟を含む三種の『殻の異形』の姿は、何者かの手により既に朽ちた後の亡骸だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます