2-2 『龍殺し』の日常

 通りの右、酒類を主に取り扱う飲食店からは店の外にまで客の喧騒が響き、左では怪しげな露天商が第三種魔術具と称した明らかに胡散臭い人形の実演を行う。視線を先に向ければ延々と人の流れが続き、後ろを振り返れば見慣れた、それでいてやはり巨大な魔術学舎の要塞染みた姿が陣取っている。

 流石に学舎の講義終わりからの旧廃墟群への往復は時間的に厳しいものがあったか、すでに日が沈んで久しい時刻にもかかわらず、辺りを松明とその何倍もの魔術灯の明かりが照らし続ける学舎下の街並みはいまだ人々の営みを留めずにいた。

 ヒトの世界は一度、三百と数十年前に滅んだ。それは間違いない事実なのだろうが、この街並みを見る限りではすでにヒト種は再興を遂げていると言ってもいいだろう。

「――これは」

 やはりと言うべきか、エスはこの学舎下を訪れるのは初めてだったらしい。旧廃墟群の近辺とは比べ物にならないほど栄えた景観を目の前にして、エスは無表情ながらも驚愕に感じられる絶句を零していた。

 とは言え、物理的な距離だけで言えば旧廃墟群からこの学舎下までは、徒歩の往復で半日も掛からない程度でしかない。その気になればいつでも足を運べるはずの都市を眺めた事すらなかったというのは、やはり不可解ではあるのだが。

「まぁ、観光は後にしてくれ。とりあえず今日は家だ」

「そうね」

 エスの事情はさておき、実際に学舎と旧廃墟群の往復に時間を費やす事になった俺は、少しばかり体力的に疲労していた。早いところ家に入って休みたいのが本音だ。

「それで、その家はどこにあるの?」

「よくぞ聞いてくれた。実は、目の前のそれだ」

 エスの問いに答える形で、大通り脇に一際大きく陣取った一軒家を指差し示す。未だに自分でも慣れないが、この豪邸がすでに俺のものである事に疑う余地はない。

「そう、これ」

「驚かないのか?」

「何に?」

「……いや、なんでもない」

 並よりは数段豪華な邸宅を目の前にしても、エスはいたって平静を保っていた。この少女がどこか、というよりも大抵の部分が常人とズレている事は認識していたはずだが、それにしてもここまで無感動だと少しばかり落胆も覚える。

「それより、中に入ろう」

 エスに感慨がないのであれば、家の外装を眺めている理由もない。扉の鍵を開け、新居へと足を踏み入れる。

「……どう?」

「どう、って?」

 念のため再度様子を伺うも、やはり無機質な答えが返ってくる。どうやら高級感だとかそういう類のものは、この風変わりな少女の心には響かないらしい。

「文句なら、特にはないわ。少し物が多い気もするけど」

「それは前の家が少なすぎるだけでは」

 やっと出てきた感想も、何というか逆に予想通りの間の抜けたものだった。

「それで、今日はもう終わりという事でいいの?」

「終わり? ……ああ、特にやってほしい事はないな」

「そう。それじゃあ――」

 そこで、エスは唐突に言葉を止めた。

「ん?」

 どうした事か、と注意を向けてみても、特にそれ以上何かを続けるわけでもない。念のため周りを見渡したところで、高級感溢れる空間が広がっているだけ。

「エス?」

「――何? 何か用事を思い出した?」

 翠色の瞳を覗き込み、少女の名前を呼ぶと、何事もなかったかのような返事。

「い、いや、そういうわけじゃない」

「そう」

 そして短い頷きの後に、再び止まる。エスにしてみれば、すでに会話は終わっていたという事なのだろうか、それにしても視線一つ動かさない素振りから彼女の意図を読み取るのはどうにも難解だった。

「……ああ、夕食がまだだったな。何か店に持ってくるよう頼むけど、何がいい?」

 しばらく沈黙の時間を過ごしたところで、夕食の話題について切り出してみる。早く家を紹介しようと帰宅を急いだが、こんな事ならばあらかじめ外で済ませておいた方が良かったかもしれない。

「……………………」

「エス?」

「――できれば、用事は一度に済ませて」

 返って来ない返事に催促を投げかけると、エスの口から出たのはなぜか心なしか不機嫌そうな音色。そして、そこで何かを待つように口を噤んでしまう。

「……もしかして、寝てたのか?」

 この距離で俺の問いが聞こえていなかったわけもなく、仮に聞こえていなかったとすれば理由は寝ていたから、くらいしか思いつかない。不機嫌な声、状況を理解していないように取れる言葉も、寝起きの反応とすれば説明は付く。それでも疑問形なのは、先程までのエスが特に睡眠へと移る動作も見せず、目を開けたまま、座った体勢のままただ動きを止めているだけにしか見えなかったからなのだが。

「まだ寝ては駄目だった?」

 しかし、どうやらエスは本当に寝ていたようで。

「いや、駄目ではない。駄目ではないけど、この家にはエスの寝室もあるから、寝るならそっちで寝た方がいいんじゃないか?」

「……わかった、そうする」

 意外と言うべきかしっかりとした足取りで立ち上がったエスを彼女用の寝室に案内し終わるまで、彼女もまだ夕食を取っていない事などは完全に頭から消え去っていた。

 龍殺しの少女の挙動は、明らかに俺の知る普通の規格を外れている。知識や住んでいた環境だけならともかく、ここまで来ると価値観の違いなどと片付けるには度が過ぎ、何か根幹から別の存在のようにも思えてくる。

「……間違ったか?」

 自ら選んだというわけではないものの、今後の生活をエスという少女と共に過ごしていく事に対して、不安が浮かび上がるのを止める事はできなかった。



 俺が学舎の講義を入れているのは週に四日、裏を返せば残りの三日は、基本的に予定の無い自由に過ごせる時間という事になる。

「……暇じゃないか?」

 統一歴以前の世界を舞台にした物語を読み終えるのに午前中を費やしたところで、確認した限りでは何もせずただ座っているだけに見えたエスに声を掛ける。寝室を出てこのリビングに来るのは俺よりも遅かったとは言え、この美術品のような少女はかれこれ数時間は彫刻のように固まっていた事になる。

「やる事がないという意味で言えば、そうね」

 返って来た肯定は、しかし空いた時間を悪いものとして捉えてはいないようだった。

「良かったら、読むか?」

「これは?」

「作り話だよ。特に役には立たないけど、それなりに面白い」

 統一歴以前、正確に言えば『殻の異形』がヒトを滅ぼす以前の時代が舞台の物語は、当時の資料がほとんど残っていない事から、世界設定の時点で書き手の空想が大半を占める。好みは別れるが、俺個人はそういった自由さを楽しめる方だった。

「……そうね、読むわ」

 どう悩んだのか少しの間を空け、エスは俺の提案を受ける事にしたらしい。本を手渡してやると、表紙と背表紙をしばし眺めた後、ゆっくりと頁をめくり始めた。

「その気になったところで悪いけど、そろそろ昼食にしないか?」

 このまま本格的な読書が始まる前に、と急いで食事について切り出す。

 軽くではあるが朝食も取った俺はともかく、エスは少なくとも昨日の夜に寝室に向かった時から何も腹に入れていないはずだ。夜中に一人家を抜け出して何か食べに行ったなどという事も、彼女に限っては考えづらい。

「昼食? 私は別にどちらでも構わないけれど」

「腹とか減らないのか?」

「あまり……でも、そうね、そろそろ食べた方がいいかも」

 ぱっとしない反応ではあるが、流石にエスにも食事は必要らしい。

 かの『原初の魔術師』エドワード・ベイカーは肉体を構成する魔術元素への干渉により食事、睡眠、排泄等の生体機能を代替していたと聞いた事があるが、流石にこの少女も存在そのものが眉唾モノと言われる大魔術師ほど人間離れしているわけではないだろう。

「料理はできるか?」

「多分。やった事はないけれど」

「……まぁ、とりあえずは外で食べよう」

 妙な自信を見せるエスの料理の腕前が信頼できないのもあるが、そもそも今この家には食材がない。昨日は後回しにしたエスへの街の案内も兼ねて外に出るのがいいだろう。

「っと、その前に、着替えてくれ」

 他に考える事が多く忘れていたが、エスの服装は以前の住処である廃墟を出てから同じ布切れ一枚のみだった。俺が見る分にはそれで構わない、むしろどちらかと言えばその方が喜ばしいのだが、日中の街を連れ回す相手の格好としてはあまりよろしくない。

「着替えを見たいの?」

「ああ、見たい。って、そうじゃなく――」

「わかった」

 通じるのかわからないままに口にした冗談は、案の定と言うべきか通じず、しかし結果的にはそれが良かった。いや、良かったと言っていいのか? とりあえず言える事は、エスに羞恥心が欠落しているという事と、彼女の裸体が起伏こそ少ないものの異常なまでに透明感のある美しいものだったという事だけだ。

「これでいい?」

「うん」

 無感情な瞳に覗き込まれ、辛うじて頷きを返す。

 当然だが、着替えなどにそれほど時間が掛かるわけもない。すでに俺の用意した、というよりも私物だが、エスは上下ともに特徴のない男物の衣服を身に着けていた。似合っていない、その不自然さも悪くない、など感想が浮かばないわけではないが、脳内の大部分は未だ唐突に晒された裸体への衝撃が大半で。

「……行かないの?」

「いや、行く。行きます」

 心なしか怪訝な色を帯びたエスの瞳とは反対に、俺は努めて無表情を装って外へ出た。

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