1-6 過日の遺物

「――ああ、アトラスなら、一応同世代ではあったな」

「それは俺も知ってる」

「まぁ、そう焦るな。たった今、思い出のページを頭の中でめくり返しているところだ」

「めくり返すと言うよりは、必死で拾い集めてるように見えるけどな」

 魔術学舎七番棟二十七実験室、通称『新廃墟群』の瓦礫の中から這い出てきた蛍光色の頭を見下ろし、男の体勢に対する感想を述べてやる。

「実際、記憶なんてのはそんなものだ。記憶を綺麗に纏めて閲覧できれば、こうして膨大な資料を手元に置いておかずとも、一度目を通すだけでいいものを」

「そう思うなら、ヤネハはその資料を綺麗に纏めろ」

「ああ、それが出来たらまったく苦労はしない」

 ようやく俺の前に全身を起き上がらせた男がいかにも思慮深げに溜息を吐くが、その内容は単身で疑似廃墟を作り上げる人間公害の迷惑過ぎる諦めでしかない。

 このヤネハという男は、魔術学舎の一学生でありながら、常に実験室を二つ専有している事で学内の一部では有名人となっている。それも、一つの部屋は文字通り他人を完全に締め出し、もう一つは自身で散らかすだけ散らかしておいて放置した『廃墟群』なのだから始末に負えない。その上、学舎の職員が必死で片付けを頑張ったところで、その間にまたこうして新たな廃墟を築き上げ次の部屋に移るのだから、状況の改善も見込めない。

「それで、なんだ? たしか俺の恋愛遍歴に興味があるんだったか?」

「検索が面倒だからって片面一枚で終わる紙っぺらを選ぶなよ」

「残念だったな。一じゃない、零だ」

「そうか、残念だったな」

「ああ、まったくだ」

 冗談に片頬を歪めて笑うと、ヤネハはその笑みを浮かべたまま話を続ける。

「それに、アトラスの事も数行で終わるほどにしか知らん。あれは結局のところ一年余りしか学舎にいなかった上、講義でも個人的にも関わる機会はほとんどなかった」

 稀代の天才魔術師であり龍殺しでもあるアトラスは、ティアやヤネハと同世代、年齢にしてみれば俺の一つ上でしかない。

 もっとも、彼は俺が学舎に入るのとほぼ入れ替わりに学舎を出たため、俺にはアトラスとの直接の接点はない。同世代のヤネハならもしかして、と思ったが、結果はこの通りだ。

「なんだ、使えないな」

「……お前はまた、一段と傲慢になったな」

「元々こんなもんだろ」

 学舎への入学では一年先、年齢で言えばティアと同じヤネハは、しかし学舎の卒業過程では俺と並んでいる。なんでも、自主研究と副業に力を入れすぎたらしいが、理由はどうあれ過程で並んだ時点で俺はヤネハに形ばかりの敬意を払う事はやめていた。

「そもそも、この俺を情報源として使おうという方が間違っているとは思わないか?」

「だから、あくまで本題のついでだよ」

 雑談はそこそこに、ヤネハへと手を突き出して催促する。

「わかっている。そら、注文の品だ」

 手の平に放るように乗せられたのは、飾り気のない銀色の指輪。一部分だけが平坦な長方形に広がっており、そこに緻密な魔術紋様が刻印されている。

「そちらの規格に合わせて紋様形式を変更した。計算上、角度誤差は2度までなら魔術効率の減衰で済むはずだ。それ以上の角度と光量の差異については責任を持たん」

 ヤネハは第一種から第三種まで分かれた魔術分類の内の第二種、紋様魔術を扱う魔術師だ。

 俺のような第一種魔術師が詠唱を魔術現象の媒体に扱うように、第二種魔術は紋様を媒体として使う。即座に彫り込む事が難しい代わりに、半永久的に残る紋様は道具の作成に適しており、その道具を作るのが第二種魔術師というわけだ。つまり、第二種魔術師とは魔術具作成を専門とする職人のようなもので、実際に自ら魔術を行使して戦う第一種魔術師とは役割からして違う。

 もっとも、現在はそもそも第二種魔術が戦闘に使われる事からして稀だ。ヤネハはその風潮に逆らう第二種魔術師の内の一人で、俺の指輪の全てを制作した張本人でもある。今手渡されたのもその内の一つ、発生する魔術現象は――

「しかし、本当にそんなものが必要なのか? 記述書通りの代物なら、その紋様は危険過ぎる上に使い所も限られている。特に、お前なら尚更だろう」

「……まぁ、保険だよ」

 ヤネハの言葉通り、国の特別禁止魔術庫から引っ張ってきたその魔術紋様は禁止されるに相応しい危険性、そして実用性の無さを兼ね備えている。暴発を防ぐためにも、普段は紋様を覆い隠しておくべきだろう。

「たしかに、そんなものを手に入れれば色々と試したくもなるか」

 指輪の右手を下げるのと入れ替わりに左手で掲げた球体を目にして、ヤネハが感嘆の声を漏らす。一見してただのガラクタに見えるそれは、反射ではなく自ら発光していた。

 第二種魔術については専門外のため原理は知る気もないが、基本原則として紋様魔術による魔術現象の発生に必要なのは、紋様よりもむしろそれに反射する光だ。同じ紋様でも反射する光の角度、強さ、色、その他の条件によって魔術現象の程度は大きく左右され、それどころか完璧に条件を満たさなければ何の現象も起きない魔術現象の方が多い。

 あるいは暴発という最悪のケースまであり得る事もあり、条件の設定がシビアな紋様魔術は第一種魔術師が戦闘に用いるには相応しくないとされている。実際、ヤネハ曰く、携帯できる規模の魔術具では、完全に条件を満たしたところで基本的には第一種魔術でいう単節詠唱程度の魔術現象の再現が精々だという。

 ただし、発生までの行程だけを見れば逐一詠唱を必要とする詠唱魔術よりもあらかじめ紋様を刻んでおける紋様魔術の方が早い。ゆえに、紋様を刻んだ魔術具を戦闘に持ち出そうという考え自体は現在でも根強い。指輪もその一つであり、詠唱による発光魔術で指輪に刻まれた紋様を照らし魔術現象を発生させるという行程を用いる事により、以前の俺達は紋様魔術の戦闘利用を試行していた。

 その点、この発光する球体は、発光魔術の詠唱の手間すらも省く。光量や色は流石に自在とはいかないが、それでもどうやら球体の下部の板を弄る事により一定の調整は可能なようで、あとは魔術紋様の方を球体の光の程度に合わせれば問題はない。球体はまさに、紋様魔術を戦闘利用するのにはうってつけの道具だった。

 とは言え、そんな便利な道具が魔術師の間で流通していないのには当然訳がある。

「過日の遺物、か。旧廃墟群にまで足を踏み込んだ成果はあったようだな」

「……どうかな」

 球体を手に入れるまでの過程、正確には手に入れた後の出来事を思い返し、ヤネハの言葉に疑問系で返す。

 発光する球体は、俗に過日の遺物、あるいは単に遺物と呼ばれる、統一歴以前の技術を用いて作られた、今現在では再現する事のできないモノの内の一つだ。

 かつて『殻の異形』が世界を滅ぼした際にその多くは破壊され失われたものの、今も旧廃墟群を始めとする世界各地には破壊されず残った遺物が偏在していると言われる。

 他でもない俺が球体を手に入れたのも、『殻の異形』との遭遇の危険性の高い旧廃墟群での事だった。危険を顧みず旧廃墟群に足を踏み入れ遺物を手に入れた俺は、その帰りに龍と出会い、そして『龍殺し』になった。

「龍を殺せるだけの力を手に入れて、まだ不服か?」

「そういうわけじゃないけどな」

 元々、俺が旧廃墟群に向かった目的は別の遺物、『殻の異形』を殲滅する力を持つとされる遺物の伝承を耳にし、それを手に入れようとしたためだ。

 もっとも、実際に手に入ったのは発光体が精々。それはそれでもちろん便利で強力なものではあるが、それだけで龍を始めとする『殻の異形』を倒す事ができるわけではない。もっとも、事情を知らないヤネハは俺が球体を手に入れた事で龍を殺す力を手に入れたと思っているようだが。

「まぁ、深くは聞かん。下手に面倒事を掘り出して、巻き込まれるのは御免だからな」

 濁した俺の言葉に何かを察したか、ヤネハがそれ以上踏み込んで来ることはない。

「薄情で助かる」

「褒めても何も出ない、とは言うまでもないか」

 ヤネハはティアよりも察しは良いが、性格的にはティアより大分ドライだ。秘密を暴露したがる癖もない俺には、当然その方が有り難い。

「とりあえず、俺はお前の指輪の作成に戻る」

「ああ、頼んだ」

 一通り話も終わったところで、資料と残骸の山の中へと掻き分けるように踏み込んでいく友人の背を見送る。ヤネハは道具作成の作業を好んでおり、それが俺の利にも繋がる以上、無駄に水を差すべきではない。

「……そうだ、アトラスの話だが」

 踵を返して立ち去ろうとした寸前、瓦礫の中から声だけが引き返してくる。

「アトラスがどうしたって?」

「あれとやり合うな、とは言わない。ただ、そうなったら間違っても加減はするな」

 言葉は、警告だった。

「どういう事だ?」

「具体的な意味はない。ただの思い付きだ」

 特に何かを含むでもないその言葉を最後に、瓦礫の山からの声は終わりを告げていた。

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