1-5 統一魔術学舎 教職長 ヒース

 統一魔術学舎は、いわゆる後期教育過程、分化教育を施すための機関の一つであり、その名の通り魔術師を作るために必要なものを全て揃えた巨大な機関だ。

『殻の異形』による最初の大侵攻、人類と文明の大半が滅び、辛うじて残った人間が生き残るために世界統一政府を築き上げた時から、世界はそれ以前とは大きく様変わりしたと言われている。そしてその変化の内の一つには、教育制度も含まれている。

 統一政府の制定では、全ての子供は出生以後、まず前期教育過程に送られる。そこで規則や言語、思想教育や理論的思考等の生活を送るために必要な基礎教育を受けた後、適性と希望から数十種類に分化された後期教育過程へと配分されていく。

 そして、後期教育過程の中でも魔術過程、特に第一種魔術師過程は一、二を争うほど適性の必要とされる難関であり、同時にその学舎は最も充実した教育施設でもある。

 学舎には幼年期を終えて入ってきたばかりの者から最終過程まで、全ての学生が暮らすための広大な宿舎と彼らが授業を受ける講義室の数々はもちろん、外と比べて遜色のない種類の飲食所から、各種娯楽用品店に趣味用品店、その他おおよそ考えつく限りでは大抵のものが揃った一種の街と化している。学舎の物価が特別に低く設定されている事を考慮すればむしろ外よりも充実しているくらいで、そのために学舎の職員を志す者や、果ては教育過程を限界まで引き伸ばす学生すら常に一定数いるという。

「どうも、ルインくん……と、ティアさん、でよろしかったでしょうか」

 昼食を終えた流れで適当に学舎内の店を見て回っていると、偶然にも知人、と呼ぶべきかどうかも曖昧な相手から名前を呼ばれた。

「どうも、教職長」

 親しくもない間柄、しかも教職長という立場のヒースとの会話は正直なところ面倒ではあるが、真正面からの呼び掛けを無視するわけにもいかないため返事を返す。

「ああ、そう構えなくても大丈夫ですよ。宿舎の件は問題なく処理が終わりましたし、用件ではなくただの挨拶です。それに、お二人の邪魔をするつもりもありませんしね」

 しかし、挨拶だけという言葉の通り、そのままヒースは薄い笑みだけを浮かべると入れ違うように俺達の来た方向へと歩き去っていった。彼は俺との接点を求めているのかと思っていたが、強引な手段を嫌ったのか、それとも単に暇がなかったのか。

「ルイン、あいつは?」

 ヒースが去って少し経ったところで、隣から小さく問いが聞こえた。

「え? ヒース教職長、この学舎の教職長ですけど、知らなかったんですか?」

「いえ、知ってるわ。そうじゃなくて、あなたとの関係は?」

「特に関係と言うほどのものは。宿舎を出る手続きを手伝ってもらったくらいですかね」

 予想外の無知をからかってやろうかとの思いは、ティアの妙に真剣な声色と目に掻き消され、俺は正直に事実をそのまま口にしていた。

「……そう。でも、あいつには気を付けて」

「気を付けて、って。ティアさんこそ、教職長と何か関係でもあるんですか?」

「関係はないわ。ただ……そう、悪い噂を聞いた事があって」

 短く口淀んだのは、わかりやすい嘘の兆しだ。追求するのも一つの手だろうが、今はその噂とやらについて続けようとするティアを止めない事にした。

「アトラスの豹変について聞いた事はあるでしょう? それに、ヒース教職長が一枚噛んでるらしいって話なんだけれど」

「あの龍殺しが?」

 このE-13区画には俺を含めて公式で三人の龍殺しがいる。その内の一人、アトラスは幼い頃から天才として知られた魔術師であり、今では年齢から最前線を退いたライカンロープよりも上、E-13区画で最強の第一種魔術師と推す声も大きい俊英だ。

 ただし、アトラスには龍殺しの認定を受ける前後から、その素性に対して妙な噂が付き纏うようになっていた。実際、現在のアトラスは表にはほとんど姿を現さず、一説では対統一政府を目論む団体の一員となったとの憶測もあるくらいだ。

「そう。あなたも今はその龍殺しだから、もしかしたら、と思ったの」

「そうですね。気には留めておきます」

 ティアの言う噂が真実だと決まったわけではないが、状況証拠だけは整っている。ヒースが俺に接近して来たのは龍殺しの称号を受け取って以降であり、そして何よりアトラスがこの学舎の出身である以上、俺が彼と同じ道を辿っている可能性は否定できない。

「でも、ティアさんが俺の心配をしてくれるなんて意外でしたね」

「普段なら、あなたに心配なんて必要ないとわかっているわ。ただ、彼、アトラスが丸め込まれたなら、ルインも問題ないとは限らないと思って」

 茶化すように話題を終えようとするも、俺の思惑とは違いティアの口調は真剣なままだった。ただの噂に対する反応としては、やはり少し過剰だろう。

「次の講義が三番棟だから、私はそろそろ行くのだわ」

 しかし、そこを掘り下げるには、時間と、おそらく距離が足りなかった。

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