1-2 『龍殺し』と友人
「――あぁっ!!」
簡単な荷造りを済ませ、宿舎から出ようかとしていた俺の背後で文字通りの悲鳴、悲しそうな鳴き声が大音量で甲高く響いた。
「このっ、ルイン!」
「わ、わっ、ちょっ――痛っ」
そして次の瞬間には、背を襲った衝撃に身体が宙へと浮いた。更に突進と同時に器用に両腕を拘束されていたため、受け身も取れずに床へと一直線に飛び込む始末。
「薄々嫌な予感はしていたけれど! だからってあんまりだわ!」
「……いきなり背後から襲われるなんて、俺は欠片も予感してませんでしたけど」
「言い訳なんて聞きたくないし、聞いてあげたりなんてしないから!」
「言い訳もいいですけど、とりあえず退いてください、重いんで」
「重くない!」
背後からの襲撃者は、俺を下敷きにした後もそのままの体勢で俺の背に張り付きながら覆い被さり続けていた。重さはともかく、耳元で叫ぶものだから喧しくて仕方がないし、垂れ下がった金髪が首元に触れて非常にくすぐったい。
「それともなんですか、そんなに俺を離したくないんですか?」
「当たり前なのだわ!」
「えっ」
「私に黙って学舎を辞めるなんて、許すわけがないじゃない!」
「……いや、辞めませんけど」
「えっ」
困惑した少女の顔が至近距離で俺を眺めるも、こちらとしても返す言葉はない。と言うよりも、おそらく俺も似たような表情を浮かべている事だろう。
「で、でも、それ、荷物。宿舎を出るのよね」
「宿舎は出るけど、学舎は辞めません」
「…………えっ、えっ!?」
俺の言葉に金髪の少女はしばらく固まると、やがて弾かれたように起き上がった。
「ん、んんっ……そういう事なら、先に言ってくれれば良かったのに」
「いや、今から取り繕うのは無理ですよ、ティアさん」
何事も無かったかのように澄まし顔を浮かべる少女、ティアと俺の周囲では、すでに学舎の学生達が数人その場で足を止めて観衆と化していた。その誰に対してであっても、ティアの演技が意味を成さない事は明らかだ。
「それより、いいんですか?」
「何の事かしら? 私は何も取り乱してなんていなくてよ」
「そうじゃなくて、俺を離したくないんでしょう? 好きなだけ抱きついていいですよ」
「っ! それはっ、違っ、忘れて! 忘れなさい! 忘れてください!」
「無理です。あんな熱く抱き締めながら言われて、忘れられるわけないじゃないですか」
「~~~~~っ!!」
一瞬で仮面の崩壊したティアをからかうのは、純粋に娯楽だった。
この統一魔術学舎区域E第七支部において、このティアという少女は最も有望な魔術師候補の一人であり、それ以上に随一の容姿をした少女として知られている。特別に、というほではないが、俺もティアの事は好ましく思っていた。
「とにかく、とにかく! ルインはこれからも学舎にいるのよね!?」
「はい、いますけど。やっぱり、俺に辞めてほしくないんですか?」
「当たり前なのだわ」
強引に話を進めるティアを再びからかってみるも、返って来たのは真剣な言葉だった。
「だって、私、まだあなたに勝っていないのだもの」
年齢でも学舎の教育過程でも俺の一年上に当たるティアとの接点は、極論で言えばその一点のみに集約される。
学舎内の行事として行われた模擬対人魔術戦における勝利が、俺がティアと知り合った最初の出来事だった。以来、数回に渡る模擬魔術戦闘で尽く敗北したティアはやがて俺に興味を持ったらしく、いつからかこうして会話を交わす程度の仲になっていた。
「……それに、龍殺しの認定を受けたあなたは学舎を辞めてしまうと思ったから」
続いたティアの小さな呟きには、気付かない振りで流す。
「まぁ、これからも学舎にいるならいいわ。それより、宿舎を出るなら、これからどこで暮らすつもりなのかしら?」
「俺がどこで暮らすのか気になりますか?」
「気に……ならない! そんな事どうでもいいのだわ!」
単に問い返してやると、なぜかティアは顔を赤くして大きく頭を振り始めた。色々と意識し過ぎているのだろうが、結果的に説明せずに済むのならそれはそれでいい。
「じゃあ、俺はティアさんと違って暇じゃないんで、そろそろ行きますね」
実際のところは特に急いでいるわけでもないが、かと言っていつまでもここで遊んでいる理由もない。適当なところで別れを切り出す。
「また馬鹿にして! どこにでも行くといいわ!」
いつものように冷静さを失ったティアの声を背に、宿舎の廊下を再び歩き出す。
「――ティアさん?」
そんな俺の足を止めたのは、微かに服の裾を掴んだ細い指だった。
「本当に、戻ってくる?」
力無く零れたその言葉の意味は、俺にはわからなかった。
「はい、残念ながら」
それでも俺の答えは一つで、その答えは指を解くのに十分なものだったらしい。
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