一章 龍殺し
1-1 『龍殺し』と魔術宿舎
「つまり、ルインは宿舎を出たいのか?」
長髪を後ろで結んだ妙齢の女性、ルインこと俺の魔術学舎における担当教職であるユリエ教職は、予想通り俺の言葉に怪訝な表情を浮かべていた。
「はい、できれば今日にでも」
「それは別に構わないが」
「良かった。じゃあ、手続きの方を」
「ああ。これでお前ともおさらばか。寂し……くはないな、別に」
「……ん?」
やたらとスムーズに進む手続きの中、あらかじめ用意していたように差し出された数枚の書類、その一番上に書かれた文字に目を止める。
「あの、これ除名届って書いてあるんですけど」
記憶が正しければ、俺が頼んだのは宿舎を出るための手続きだ。間違っても、学舎除名の手続きなど頼んだ覚えはない。
「合っているだろう。統一魔術学舎の規則では、在籍中の学生は規定の宿舎での生活を義務付けられている。宿舎を出るという事は、つまり除名だ」
「……色々とあれですけど、とりあえず、だとしたら止めないんですか?」
「私も相手は選ぶさ。それで、お前は止めない」
「なんでそんな酷い扱いを……」
特に教職に好かれている覚えはなかったが、そこまで嫌われているとも思っていなかったため、それなりに凹む。
「まぁ、そんな冗談はさておいて。そこをなんとか、住居だけ移せませんかね。ほら、俺には一応学舎卒業相当の資格もありますし」
「……あまり調子に乗るなよ。私はお前を特別扱いするつもりはない」
ユリエの視線が鋭く尖り、すぐに元の、それでも穏やかとは言えない目に戻る。
「お前の言うとおり、統一魔術学舎卒業の経歴など今のお前には不要なものだ。無理を言ってまで学舎に残る理由もないだろう」
「それは……」
統一魔術学舎は世界で唯一の公的な魔術教育機関であり、種別、等級などの区分こそあれど、学舎の卒業は職業魔術師として生計を立てる上では最低限の経歴でもある。
ただ、当然それ以上の経歴、資格があるのであれば、学舎卒業の経歴は必ずしも必須のものではない。つまり、事実として俺にとっても学舎卒業の肩書は不要だ。
「まぁまぁ、ユリエ教職。そう若者を急かさなくても」
「ヒース教職長?」
口籠る俺に助け舟を出したのは、まだ若い外見に見合わぬ老人の笑みを浮かべた細身の男。
「教職長、しかしルインは……」
「学ぼうとする者には手を差し伸べるべきです。それが有望な若者であれば、尚更」
男は片目だけでこちらを見ると、言葉を続ける。
「学舎卒業経歴保持者のための特別学習制度では、宿舎外の居住が認められています。ルイン君は学舎卒業相当資格、名誉一等の称号を持っているのだから、それを部分的に適用するというのはどうでしょうか」
「ですが、ルインの所属は通常の学生としてのものです。特例制度を適用するのなら、所属自体を変える手続きが必要で――」
「そういった些事は二の次です。大切なのは、彼がここで学ぶ事ですから」
「……っ」
断言する男の言葉に、ユリエは返す言葉を失う。
「そういう事で、手続きは学舎の方で済ませておきます。住居を移すにあたって、他に人手など必要なものはありますか?」
「いえ、大丈夫です」
こちらに話を振られ、何とか取り繕って返す。
柔和な笑み、完璧な対応。だからこそ、男の行動は俺にとっては不自然に映っていた。
統一魔術学舎区域E第七支部、要するにこの学舎の最高責任者である教職長の名は当然聞いた事があり、その姿を目にしたのもこれが初めてというわけではない。だが、俺と彼の直接の繋がりは皆無だったはずだ。教職長であるヒースの職務は学舎運営が主で、他の教職と比べて魔術師見習いと接する機会は少ない。記憶の限りでは俺が直接ヒースと会話するのはこれが初めてで、特別な便宜を計られるような関係性には程遠い。
「では、俺はこれで」
「ま、待て、ルイン。私はまだ――」
「いえ、これは決定です、ユリエ教職。あなたにそれを阻む権限はない」
「……失礼します」
俺を引き留めようとするユリエを、ヒースが静かな口調で遮る。不可解ではあれど、都合がいい事に変わりはないため、この場は大人しく退散を選んでおく。
「――それで、ルイン君はどういった事情で宿舎を出たいのですか?」
「っ、教職長?」
しかし、教職室を出た俺を、今度は背後から隣に並んだヒースが引き留めていた。
「ああ、ヒース、で構いませんよ。魔術師等級は君と同等ですから」
「流石にそういうわけには……」
「それなら、せめてヒースさん、などで。一々肩書で呼ぶのは面倒でしょう」
「……じゃあ、ヒースさん、で」
親しげなヒースの態度には、重ねて困惑。
「それで、事情の方は? 話したくなければ無理に、とは言いませんが」
「……実は、仕事の依頼を受けたんです。その都合で、宿舎暮らしだと色々と不都合があったので」
「なるほど。その依頼は、それほど重要な?」
「はい、そういう事になります」
学舎の規則には、学生が魔術師としての仕事を引き受ける事を禁じる条項はない。とは言っても、当然ながら仕事の都合が宿舎滞在の規則に対する特例として認められているわけでもないわけで。
「そうですか。それなら、仕方ありませんね」
しかし、やはりと言うべきかヒースは特にそれを咎めるでもなく頷いた。もっとも、すでにその理由には薄々勘付いてもいたが。
「その若さで『龍殺し』ともなれば、色々なところから引く手数多でしょうから」
要するに、そういう事だ。
特別なのは事情でも教職長との関係性でもなく、俺自身。正確に言えば、その立場。ヒースが俺に便宜を計る理由はおそらく、俺を特別扱いしているから、の一言で足りる。
「とは言え、まだ経験的に依頼者との契約等で揉める事もあるでしょう。もし面倒事が起こるようなら、いつでも私の方に相談に――」
「すいません、荷物を纏める必要があるので俺はこれで」
宿舎の自室前、ヒースの言葉を遮って自室の扉を開く。
元来、俺は特別扱いを好む方だ。だが、今はそれを喜ばしいと思えない自分がいた。
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