第36話 side: Levi
──オリーヴ達には届けられませんでした。ですので、代わりにレヴィ、アナタに。
ワタシと関わるのは複雑でしょうが、今回ばかりは仕方がなかったのです。……どうか、受け取ってくださいね。
「もう一度、ブライアンのことも説得しに行くよ。何も分からないのに利用したのがダメだったんでしょ? じゃあ……今度は分かってもらうように説得すれば良くない? ぼくにはブライアンの痛みが分かる……ぼくには彼の受けた苦しみが分かる……!!」
「……なるほど。君は……ブライアンを『亡霊ツジギリ』にした存在か。……いや、亡霊ツジギリ本体と言った方がいいか?」
キースの問いに、マノンに乗り移った「少女」がニィと笑う。
「そう。ぼくが『亡霊辻斬り』だ。人を傷つけ、犠牲にするクズ共が笑う世界なんて要らない……! 贖罪……!? げにあやかしいこと言うなや! みんなズタズタに切り裂いて、滅ぼしゃあええちや!」
──それでは、ワタシはこれで……
***
母さんに声をかけられたかと思えば、意識に直接映像が流れ込んできた。「連絡をする時はもう少し落ち着いて欲しい」と伝えなければならないが……立て込んでいそうなので後回しにしておく。あの人は、無理をすると正常な判断力をすぐに失う。……
さて、ポール・トマが
担いでレニー達の元に向かおうとはしたが、今度はそちらの方でトラブルが起こったらしく、事態は停滞していた。
「よく考えてみたんだけれど、私は間違っていたよ」
ロバートからのメールを確認していると、ロナルド・アンダーソンの声に顔を上げる。ポール・トマの発声器官を利用していない……つまり身体の機能を勝手に使用していないことだけ確認し、視線だけは画面に戻す。
この外道が自らの非を認めるなど珍しい。何かの前触れか? ……と、思ったのだが。
「既に穴が空いているんだ。少なくともここに挿入されたのは初めてじゃないね」
どうやら、真面目に捉えた俺が馬鹿だったらしい。
「気色の悪い比喩を使うな……! 貴様、わざとだろう!」
文句を言いつつもロバートからのメールを読み返し、レニー、もしくはコルネリス・ディートリッヒからの連絡を待つ。
……とはいえ、このまま無視をしていてもポール・トマの身体に何かよからぬことを仕出かしかねない。何か、話題はないか……。
「……しかし、貴様があっさりとやられるとはな」
欲に溺れる外道とはいえ、ロナルド・アンダーソンは
もっと言えば、密かな幸福感もある。伝えないが。
「……まあ……可愛い子だったからね」
くだらなさすぎる理由だった。
そして、何ともロナルド・アンダーソンらしい。……余計に忌々しくなってきた。本当に消滅させてやろうか。
「清純そうなワンピース姿だったんだ」
「聞いていないが?」
「しかも……それを着ていたのが男の子だった」
「だから、聞いていないが?」
「見た目は紛れもなく少女なのに、明らかに『ついている』動きをしているんだ。脱がしたくなるのも理解できるだろう」
「何一つとして理解できないが?」
馬鹿らしい会話に付き合わされていると、レニー、ロバートからも連絡が届く。
伝えられた情報で、大筋は理解できた。
どうやら、今回の騒動を引き起こしたのは
……死と生の狭間に飛び込んだばかりの俺と、似たような罪を犯した魂とも言える。
「……カミーユさんおよびブライアンの母親……名前はユカコ・イヌガミだったか。彼女の住居に、犬上四礼の宿った刀が保管されていたのか……?」
「イヌガミ……ああ、親戚筋だったのかな。理屈としては、何もおかしくはないね」
「ああ……ユカコ・イヌガミは『敗者の街』を造り上げるきっかけを作ったほどの呪術師だ。封印とやらも可能だろう」
「けれど、あの愛らしい少年は封印を解いたばかりか、『敗者の街』にも干渉してしまったようだよ?」
「おそらく封印を解いたのがマノン・クラメールだ。彼女がユカコ・イヌガミおよびダミアン=ジャック・バルビエの住居に通っていたという情報もある」
「……なるほど」
しばし黙り込み、ロナルド・アンダーソンは何事か思案する。
腹立たしいが、ロナルド・アンダーソンはかなり頭が切れる。情報の整理が必要な場面において、下手をすればあのレニー以上に頼りになる可能性すらあるのだから、厄介な存在だ。
「繋がったね。かつてブライアンを操ったことでその母親に封印された怨霊が、マノンとやらを協力者にすることで『敗者の街』に侵入し、現実世界との境界線を薄くした。……それで、死者が生者に干渉しやすくなり、『扉』も緩んでしまった……ということかな」
「おそらくはな」
見込み通り、彼は限られた情報しか知らないのにも関わらず、見事に点と点を結んでみせた。
オリーヴ・サンダースはアンドレアの魂に紐づいた「扉」に吸い込まれ、ポール・トマの方はリヒターヴァルトの療養院にて「扉」に触れてしまった可能性が高い。……あの土地ならば、「扉」があってもおかしくはないからな。
「そうなると、今回の解決方法はシンプルだ。その少年さえ無力化させてしまえれば、野望は潰えるのだからね」
「……問題は、無力化が難しいことだ。犬上四礼とこの空間はあまりに
ユカコ・イヌガミは死の間際に己の生命力すべてを注ぎ込み、「敗者の街」の土台を作った。その上で母さん……エリザベス・アダムズの妄念やカミーユさんたち芸術家の悲願、ハリス兄弟およびアンダーソン兄弟の強い願望や欲望、コルネリス・ディートリッヒや
ユカコ・イヌガミの行動は、無念の死を迎え、死者としての道を踏み外したカミーユさんと孤独になってしまったブライアンを救うためだったのだろうが……おかげで破綻による世界の歪みも収束し、現実世界と新たに生み出された異界が
……だが、犬上の呪術が根底にあった以上、同じく犬上家の人間がそれを利用した場合にどうなるかは目に見えている。
「イオリちゃんに頼るのはどうかな」
「貴様が言うと下心にしか聞こえんが……ユカコ・イヌガミおよび犬上四礼が用いる呪術は日本のものだ。イオリが対処しやすい可能性は十分にある。……だが……それでも対抗できるかは賭けになる」
おそらくだが、イオリも犬上四礼との関係性はあまり濃くない。
それに、もし何かしらの縁があったとして……
「生者をこれ以上巻き込んで良いものか。……しかも、イオリはまだ少女だ」
「真面目だね、君は。とっくに君の手に負えない事態だと言うのに」
その言葉に、何も返すことができなかった。
俺が「敗者の街」の
「責任感といえば聞こえは言いけれどね。出来もしないことを闇雲に抱え込むのは、ただの無謀だ」
言い負かされているのが悔しくはあるが、正論でしかない。……俺ではどうしようもないのは、紛れもない事実なのだから。
「しかし……こうして考えると、オリーヴはむしろ浮いているね」
何気ないボヤキだったのだろうが、俺も「そういえば」と思い至ることがあった。
偶然緩んだ扉の近くにいたことで巻き込まれた彼女は、犬上四礼どころか俺達とすら因縁が薄い。
マノン・クラメールはノエル・フランセルと濃い因縁があるし、ポール・トマもカミーユさんと関係があり、ビアッツィ兄弟と血縁の可能性もある。
しかし、オリーヴ・サンダースの場合は、前述した彼らに比べると大した因縁ではない。ロデリック・アンダーソンとはそれなりに関係があるとはいえ、彼自身は「敗者の街」に一度たりとも訪れていない。
「……何か、突破口になるかもしれないよ。以前も、他と因縁の薄いイオリちゃんの力が重要になっただろう?」
「非常に不本意だが……同意だ」
状況は既に手詰まりになりつつある。
……だが、希望が残されている限りは、進み続ける他ないだろう。
「う……」
「……! 目を覚ましたか」
ポール・トマが呻き声を上げ、薄目を開く。声をかけると、返事はないが視線はこちらを向いた。
ロナルド・アンダーソンにより胸の穴は塞がったが、まだ、顔や首筋のひび割れは目立っている。
「ねぇ……そいつ、ちょうだい?」
突如、声が背後から響いた。
振り返ると、花柄のワンピースを着た少女……いや、少年が立っている。……いつの間に近付いていた?
いや、考えている暇はない。こいつに、これ以上力を与えるわけにはいかないのだから。
ロナルド・アンダーソンは息を潜め、見つからないように隠れているらしい。……全く、抜け目のない男だ。
「こいつは悪人なのか?」
俺が問うと、少年……犬上四礼は「んー?」と首を傾げる。
「ポール? 別に、悪いヤツじゃないと思うよぉ?」
「ならば、なぜ狙う」
「だってそいつ、もう消えかけだもん。ただ消えるだけじゃ、勿体ないでしょ?」
人の形を保ってはいるが、担ぎ上げた時の軽さに意識を失う頻度……それを思えば、「消えかけ」という表現も頷ける。
「意味もなく消えてくのって、可哀想じゃん」
ポール・トマは人間の魂としては「不十分」だ。与えられた情報からの推測にはなるが、今、目の前にいる「彼」は本来の魂から切り離された断片……と、言えるだろう。
ああ、だが……赦しがたいな。
「可哀想、だと……? 勝手に命の使い道を定める理由に、哀れみを使うのか? ……それで善悪を語るつもりか、小僧」
俺が睨みつければ、犬上四礼はムッとした表情で睨み返してきた。
「何が? 無意味に消えてくよりずっと良いじゃん! ぼく、何も悪いこと言ってないよ!?」
「貴様に無意味と
一度ビクッと肩を跳ねさせ、犬上四礼の表情が見る見る怒りに染まっていく。
……ああ、俺も落ち着かねば。感情の制御が得意な方ではないが……それでも、怒りや怨嗟に身を任せてはならない。
「無意味じゃん!? だって、何も残せず、何もできず、ただただ消えてくだけの魂だよ!?」
犬上四礼は怒りをあらわにし、喚く。
ポール・トマは論争が聞こえているのか聞こえていないのか、
「貴様に裁定する権利などない……!たとえ状況が無意味で哀れだったとしても、餌として利用する免罪符にはならん! 絶対にだ!!」
犬上四礼はぐっと言葉を詰まらせ、今度はポール・トマの方に歩み寄った。
「どうなの!? このまま消えてくの、嫌でしょ!?」
今にも掴みかかりそうな剣幕で、少年は詰問する。
「ぼくは……」
弱々しく、それでいて、芯のある声が響いた。
繕えなくなってきたのか、ヒビがポール・トマの顔一面に広がっていく。見かけよりも、かなり消耗しているのだろうか。
緑の瞳から、光は既に失われかけていた。
「まだ、諦めてない……」
それでも、光はまだ消えてはいない。
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