第29話 希望

 しばらく時間が経ったけど、 レニーはキースとずっと話し込んでいて、マノンは不機嫌そうに押し黙ったまま考えごと中。

 すごく、気まずい。


「ヴァンサン……まだ気絶してるのかな」


 あたしがぽつりと呟くと、レニーが反応を返してくれる。


「レオがなんも言ってこねぇってことは、そうだろうな」

「……起こしに行ってきていい?」


 私の問いに、レニーは少し考える素振りを見せた。


「下手に首を突っ込めば、共倒れになるぜ。……アイツは、そういう地獄にいる」


 真剣な表情で、レニーは忠告する。


「もし本気で救いたいんなら、一緒に地獄に堕ちる覚悟を決めな」

「……ポールも、それで……殺されちゃったのかな」

「有り得るな。下手に手を差し伸べて、逆に恨まれるってぇのはよくある話だ」


 ずきんと胸が痛む。そんなすれ違い、あまりにも悲しい。


「おーい」


 と、ドアの方から明るい声がする。


「起きたぜ!!」


 レオナルドが、ヴァンサンを担いで立っていた。




 ***




 マノンはキースに話があるらしく、二人で別室に向かった。……外に出たいって言ってたし、交渉してるのかな?

 ヴァンサンはまだ頭がぼんやりしているのか、こめかみを抑えて瞬きを繰り返している。

 サングラスの奥を始めて見たけど、瞳の色はポールと全く同じライムグリーンで、ポールと同じく右目の下に泣きぼくろがあった。やっぱり兄弟だなぁ……


「……何でしょうか」


 私の視線に気付き、ヴァンサンは再びサングラスをかけ直して隅の方へ移動する。……物理的な距離も置かれているし、心理的な距離も感じる。


「つかよ。おめー、チンコある?」


 ……と、レオナルドがとんでもない話題をぶち込んでくる。いきなり何……?


「さっき担いだ時、なんつーのか……違和感? 的なのがすごくてよ」

「……ありませんよ。それが何だと言うのですか……」

「なんで?」

「そこ聞いちゃう!?」


 思わず口を挟んでしまった。

 それだいぶデリケートなことだと思うし、そんなにずけずけ聞いて大丈夫……!?


「……今となっては、覚えていません。母は私の肉体を汚らわしいと言いましたから……つまり、そういうことでしょう……」


 けれど、懸念に反して、ヴァンサンは普通に語る。

 ……そっか、母親はポールの肉体を完璧だって言ってたらしいし、日常的に虐待があったなら去勢されてたっておかしくは……ない、んだ。

 ポールとヴァンサンの過酷な生い立ちを、また思い知らされる。……更に、距離が離れていくようにも感じた。


「……そりゃ、兄貴……姉貴? を恨むのも仕方ねぇか。つったって、逆恨みは逆恨みだが……」


 レニーの見解にも、納得できてしまう。

 ポールは悪くない。……それでも、比較されたことで弊害を受けたなら、恨んでしまっても仕方がない。

 ロデリックも、お兄さんやお姉さんと比較されて育って、あまり兄弟仲が良くないんだと聞いたことがある。私は一人っ子だから全然分からないけど、それが辛いことだというのは想像できた。


「……母親の方をどうにかしようとは、思わなかったの?」


 だけど……逆恨みであることには間違いない。

 恨むべきは、……危害を加えるべきは、ポールじゃなかったはずだ。

 私の問いに、ヴァンサンは無理やり口角を持ち上げ、笑顔を作った。

 ああ、やっぱり、こういうところはポールと似ている。


「私が強ければ、それを選択できたのでしょうね」


 その言葉に、また胸が痛くなる。

 本当に……どうして、こうなっちゃったんだろう。

 憎い気持ちはある。でも、それ以上に……悔しい。

 過去が変えられない以上、ポールの死はくつがえせない。それでも、せめてヴァンサンが罪を悔い、ポールの想いを受け取ってくれれば……なんて、思ってしまう。


「一緒に、ポールに会いに行こう。ちゃんと話し合ったら、何か変わるよ」

「……」


 ヴァンサンは黙り込んだまま、なかなか返事をしない。

 やがて、彼は絞り出すように呟いた。


「……やはり、何も分かっていませんね。貴女は……彼女かれの表面しか、知らないのでしょう」


 震える声で、ヴァンサンは私の提案を拒絶する。


「純粋で、穏やかで、明るくて、美しい……人間は、それだけの存在だと思いますか?」

「思わないよ」


 ポールは確かに、負の感情を表に出さない人だった。

 ううん。出すのが、下手な人だった。

 たくさん傷を抱えて、たくさん苦しんで、それでも上手く発露できない……それが、ポールだった。


「あなたはポールを殺した。……そして、罰も受けてない。向き合う必要ぐらいはあるんじゃないの?」

「……それ、は……」


 ヴァンサンはハッと息を飲み、がくりと項垂れる。


「それは……その……通り、かも……しれません……」


 レニーの方もちらりと見る。キースが会わせられないと言っていた以上、許可は必要だろう。

 レニーはやれやれと首を振りつつ、「準備ができりゃ、こっちでお膳立てするつもりだったんだがな」と笑った。


「手間が省けて助かった。レヴィに連絡して、どっかしらで合流と行くかね」


 ヴァンサンはまだ死んでいないし、兄弟が話し合うことで、何か進展があるかもしれない。

 未来に続く道を、作っていけるかもしれない。

 そうすれば……私も、ようやく前を向けるのかも。


「そういや兄弟、ノエルはどうした?」

「どっか行った」

「……おいおい。それ、大丈夫かよ」


 レニーとレオナルドは、何やら不穏な会話中。

 とりあえず、準備ができるまで待機しておこうかな。


「エレーヌは、本当に満足したのかしら」


 ……と、どこかしらから声が聞こえる。

 彫像の方を見ると、ほとんど消えかけの姿で佇む青年の姿が見えた。ノエル……かな?


「……カミーユが永遠に自分の影に囚われて苦しむからこそ……だった……? ……ああ、もう、他人の感情なんてわかんないわよ……」


 どうやら、独り言を呟いているみたい。

 たぶん、一人になりたいんだと思うし、そっとしておこう。っていうより、邪魔する勇気がない。殺人鬼だったらしいし……


「あの……」


 その時、ヴァンサンに声をかけられた。


あねは、私の話を……よく、したのですか」


 私が振り返ると、ヴァンサンはうつむき加減に問うてくる。


「うん。写真も見せてもらったよ」

「写真……」

「当時からパンクなファッションだったよね。『弟はこういうのにハマってるんだ』って、教えてもらったよ」

「……一緒に、写っていましたか」

「え? ううん、ヴァンサン一人だったと思う」

「……でしょうね……。二人で……撮ったことが、なかったんです。だから、でしょうか……その……実感が、あまり……」


 ヴァンサンは言葉に迷いつつ、途切れ途切れに語る。


「プレゼントとか、貰ったことない?」

「何度も……あったはずです。確か、このピアスも……あにからもらったもので……」


 恐る恐る、ためらいがちに言葉を連ねているようにも見えた。


「本当は……分からないのです。なぜ、あんなにも、憎み、嫌い、消したいとまで思ったのか……。その……分からないのに……今でも、嫌いで、憎くて仕方がないのです……」

「……好きとか嫌いとか、下手に理由をつけると拗れるよ。今も、ポールやあなたの人格を歪めて捉えてるでしょ」


 感情には理由があるけど、それは知覚できる範囲だとは限らない。

 理由を探して根本から解決するのも時には大事だけど、主観で目測を誤ってしまった場合、修正するのが難しくなる。……目に見える形がないからね。


「……も、申し訳ありません……」

「謝るなら、私じゃなくポールにね」

「はい……」


 あー、もう。ほっとけないなぁ。

 ……まあ、ポールの弟なら、私の弟みたいなものだしね。将来的には結婚も考えてたし。

 そういや、顔立ちから年齢が読みにくいんだけど……彼、いくつなんだろう。老けても見えるし幼くも見えるような……。


「あなたは……その……あね以外を愛したことは……?」

「愛そうとしたことならあるよ。他の人と付き合ったこともあるし。……だけど、無理だった」

「ええと……あには、そんなに……魅力的ですか……?」

「私にとってはね」


 ヴァンサンは納得できなさそうに、「はぁ……」と呟いた。


 ──私ね、記者になりたいんだ!


 夢を語り合った記憶が、また、蘇る。


 ──そうかい。それは、どうして?

 ──お父さんが海外で働いてて、アメリカとか中国の新聞をよく買ってきてくれるの! それを見てたらすごく面白くて……私も色んなことを、たくさんの人に伝えたいなって思ったんだ

 ──良い夢だね。ぼくも応援するよ。きみなら、きっと素敵な記者になれる

 ──ほんとに!? ありがとう!


 彼はいつだって優しく、私の気持ちを包み込んでくれる人だった。

 ……偽りなんかじゃない。本心で応援してくれていたから、私の復讐に対して「ぼくのせいだ」って涙を流したんだ。きっと、そうだ。

 私は信じるよ。……そう、約束したもの。


 ──信じないでくれ


 それなのに、どうして……

 どうして、ポール本人まで、そんなことを言うの?


「なんか、私もムカついてきた」

「……は、はい?」

「帰ったら付き合って。美味しいものめちゃくちゃ奢るから」

「お、怒っているの……ですよね……?」

「そう、イライラしてる。だからヴァンサンが美味しいものたくさん食べて幸せーってなるとこ見せて」


 ヴァンサンはびくびくと震えながらも、私の言葉に目を丸くする。


「え、は、はぁ……?」

「人の不幸より、笑顔で幸せになりたいの。私の勝手だから、拒否権はあるよ」


 そういえば、これもポールが言ってたことだった気がする。

 私の笑顔を見てると幸せだって、言ってくれた。

 それを嘘だとか、人間はもっと汚いとか言うのは簡単だけど、人が笑うと癒されたり嬉しくなるのは多くの人にある感情だ……と、思う。

 世の中に醜いものがたくさんあるのは知っているけど、そういった善性も信じていたい。


 たとえ裏切られたとしても、信じた私を馬鹿だとは思わない。善性を守るために行動した私を、誇りに思える。

 だって、大切なことだから、「善」って概念があるんでしょう?


 ヴァンサンはしばらく口をぱくぱくとさせて、「……か、考えておきます……」と答えた。


「……レヴィから連絡が来たんだが……まだ、待っててくれるかい?」


 ……と、レニーが声をかけてくる。


「なんでも、ポールが突然意識を失ったらしい」

「えっ?」

「ロナルドって野郎と合流したらしく、レヴィはそいつの影響を疑ってやがるが……ロナルド本人は心当たりがねぇって主張してるんだと」


 よく分からないけど、揉め事が起こった……ってことで、いいのかな……?

 ポール……大丈夫なの……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る