第15話「キース・サリンジャー」

「ポール!!」


 床に倒れたポールに走り寄る。ポールは軽く呻くと、重そうに身体を持ち上げた。

 顔や首元に亀裂が走っていて、ボロボロと破片のようなものがこぼれ落ちている。


「……芸に携わる者は、肉体を補えることも多いんだったか」


 金髪の青年は茶色い瞳をポールの方に向け、歩み寄った。


「だけど……君の場合は表面だけみたいだな。憑依先を探そうとは思わなかったのか?」

「憑、依……?」


 苦しそうに荒い息をつき、ポールはゆっくりと顔を上げる。

 亀裂の走った「表面」は次第に回復していくけれど、なかなか元の姿には戻らない。


「……あなたは誰?」


 あたしが聞くと、青年は「申し訳ない、名乗り忘れた」と姿勢を正し、こちらの方を見た。


「僕はキース。一応、今はキース・サリンジャーと呼んでくれ」

「……一応……?」

「少し事情があってね。本名を明かせないんだ」


 それだけ言うと、キースは起き上がれないポールの方に向き直り、すっと膝を折る。


「オリーヴ、マノン以外にもう一人、この空間に迷い込んだ人間が見つかった」

「……それを、どうして……ぼくに……?」


 ポールの問いには答えず、キースは続ける。


「彼は他の生者ふたりと違い、半死半生の状態で現れた。……なんでも、自殺を図ったらしい。殺した兄の声に呼ばれたと主張している」

「……え……?」


 殺した兄の声に、呼ばれた。

 それって……まさか……。あの「記憶」と関係があるの……?


「おいで、と言われたのだとか」


 キースの言葉に、ポールはヒュッと息を漏らした。


「そんな……嘘だろう……?」


 目を大きく見開き、固まっている。


「……まあ……もし君が故意に導いたとしても、殺された君には復讐の権利がある……という考え方もある。それに、罪状を判断する権限は僕に与えられていない」

「……ぼくはそんなつもりじゃ……。……ヴァンサン……どうして……」


 ポールはかたかたと小刻みに震えながら、消え入りそうな声で呟く。キースに反論している、というよりはひたすらショックを受けているようで……見ていられなくなって、二人の間に立ち塞がった。

 どうしてかは私にも分からない。……だけど、どうしても放っておけなかった。


「やめなよ。こんなに苦しそうなのに、まだ追い詰めるの?」


 キースは茶色い瞳を一瞬だけ私の方に向け……気まずそうに伏せる。


「人は、人を騙すものだ。……どれほど信じたくても、僕は疑わなくてはいけない。それが秩序を守るということだから」


 彼には彼なりの立場がある。……それは、わかる。仕方の無いことだ。

 だけど……私だって目の前で震えているポールを見捨てたくない。


「ポール、大丈夫?」


 私がポールに手を差し伸べるのをしり目に、キースはすっくと立ち上がり、しっかりとした口調で語り続ける。


「ともかくだ。疑わしくとも僕が罰することはできないし、逆に信じて放免するわけにもいかない。……その代わり、真実が明らかになるまで君達を守るよ。それが、僕の贖罪にもなるからね」


 ポールは差し出された手を呆然と見つめ、やがて、握ってふらふらと立ち上がった。

 胸にはまだ、大きな穴が空いている。その奥には黒々とした闇が広がっているようにも見えたし、何もない空洞のようにも見えた。


「ヴァンサンは……?」


 言外に込められた意味を察してか、キースは静かに頷く。


「傷の具合からして、長く放置すれば危ないだろうけれど……ここは時間が止まっている。まだ手遅れではないよ」

「……会うのは……厳しいかい?」

「残念だけど、それは許可できないな」

「そっかぁ……」


 ポールは項垂うなだれつつも、口角を持ち上げる。


「じゃあ、仕方ないね」


 私には、それが……あまりにも痛々しい笑顔に見えた。


「……さっきの襲撃で、少し『持っていかれた』かもしれない。どうしても『自分』を保てなさそうなら、憑依する器を探した方がいい。……相手に許可を取ることも忘れずに」


 キースの忠告に、ポールは「うん」と力なく頷く。

 ……かなり堪えてるみたいだけど、大丈夫かな……。


「ところで、さっきの影は……?」


 私が尋ねると、キースは難しそうな顔で腕を組む。


「正体や原因、被害についてはまだ調査中だ。ただ、ずいぶんと暴れ回っているのは事実らしい」

「そ、そうなんだ……」


 不安ではあるけれど、私にできることは限られている。とにかく、今は脱出方法を探さないと。

 ……と、気になったことがひとつある。


「マノンは? 無事?」

「彼女の方は、レニー達と行動を共にしているよ。安心してくれ」

「良かった……」


 レニー「達」ってことは、レオナルドもそこにいるのかな。

 戦力としては、むしろそっちの方が強そうかも。


「とにかく、レヴィの元に行こう。君の携帯電話も彼が保管しているから」


 キースの提案に、私は大きく頷いた。

 ロデリックと連絡がつけば、大きな突破口になるかもしれない。それなりに希望が見えてきたような気がして、ほっと胸を撫で下ろす。


「行こう、ポール」


 突っ立っているポールに手を差し出す。

 ポールは一瞬躊躇ためらったけど、やがて、「そうだね」と微笑んで私の手を握った。


 途端、指先がぼろりと崩れ、掴めなくなる。


「……あれ……?」


 ポールが呆然と呟いたのも束の間、消えたはずの指先は、何事も無かったかのように形を取り戻した。


「不安だろうね。肉体がないって」


 キースの声が響く。


「不安や恐怖、疑心は、容易く人を変える。……僕がそうだった」


 それだけ告げて、キースは先導するように歩き始めた。


「……ぼくは……」


 誰に宛てるでもない声が、虚空こくうに消えていく。

 立ち尽くすポールの姿が、記憶の中の誰かと重なった。


「死にたくなかった、だけなんだ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る