第14話 ある罪人の記憶

 いったいどこに連れて来られたのかは分からないけど、辺りが「良くないもの」で満ちているのはわかる。

 気を抜けば、意識が塗り替えられそうになって、「あたし」が遠くなってしまう。


「オリーヴ、大丈夫かい?」


 ポールが名前を呼んでくれるから、そのたびに我に返ることができた。


「ポールは? 肉体がないなら、余計に大変じゃない……?」

「えっ、そうなのかい?」

「そうなのかい? って……」


 呑気だなぁ、この人……。


「そういえば、ちょっと前まで黒い霧の中にいた気がするし、ぼくが何者かもいまいち分かってなかったなぁ」

「……そ、そっかぁ」


 反応に困ることを言われてしまった。


「どうして……その、はっきり形を持てるようになったの?」


 今のポールは魂の状態らしいけど、肉体が存在しないことはこの空間では大きなハンデになる……はず。

 だけど、ポールは自我を保ち、姿すらハッキリさせている。

 私の問いに、ポールは少し考え込んで、どこからか木彫りの人形を取り出した。


「この人形を見つけてからかな」


 ……木彫り、の……人形……?

 ロデリックの本に書いてなかったっけ、それ……?


「ハッキリ声が聞こえたとかじゃないんだけど……名前は『我が友Mon ami』だったかな。ぼくの助けになりたいって言ってくれたんだ」

「……なるほどね」

 

 ある芸術家につくられ魂を宿し、次世代の芸術家を探し続ける人形……だったかな。今回はポールの支えになろうとしてるのかも。


「オリーヴ。ここから無事に出れたら、ぼくの芸術を広めてくれるかい? そのために、ぼくはここに立っているんだ」


薄い緑色の瞳が、しっかりと私を見つめる。


「任せておいて。その代わり、いい作品を期待してるから!」


 私が胸を張ると、ポールは「ありがとう」と嬉しそうに頷く。

 なんだ。魂だとか死者だとか言うけど、全然怖くないじゃん。


 果ての見えない暗闇の中を、二人で歩いていく。

 また、誰かの記憶が意識に滑り込む……




 ***




 嫌いで、憎くて、妬ましくて、邪魔で、頭がおかしくなりそうだった。

 とにかく鬱陶うっとうしくて、存在そのものを消したかった。


 脚立に細工さいくをすれば、あいつはなんの疑いもなく上に乗って作業を始めた。

 派手に倒れる音がして、成功したかと駆けつける。


「う……」


 ……が、あいつは動いていた。頭を押さえ、呻いている。

 ハサミを握り締め、忍び寄る。胸に思い切り突き立てれば、確かに肉を貫いた感覚があった。


「え……?」


 驚愕きょうがくと恐怖の入り交じった声。

 知らなかっただろう。私がこんなにも、あんたを消したがっていたのだと。


「そん、な……まさか……」


 血の海の中、呆然とした声が次第に小さくなっていく。……私が、殺した。

 胸がズキズキと痛む。刺したのは、私の方だと言うのに。


 そこからの記憶は曖昧だ。

 森の奥に死体を埋め、遠くへ逃げ、名前を変えて日々を過ごした。


 ポール・トマが死んだことすら、知る者は少ない。

 私は裁かれることもなく、ひっそりと息を潜めるように穏やかな時間を過ごしていた。


 ……それなのに……


『出して、くれないかい?』


 どうして、死んだあいつの声がするんだ……?




 ***


 


「オリーヴ?」


 名前を呼ばれて、ハッと我に返る。……冷や汗が止まらない。


「どうしたんだい?」


 ポールはきょとんとした表情で私を見ている。

 ねぇ……確か、事故死したって言ってたよね?

 でも、今の記憶は……?


「……何を見たんだ」


 私が黙り込んだことで何かを察したのか、ポールの声が少しだけ低くなる。


「ポール……私、あなたのこと……」


 ドクン、ドクンと心臓が鳴り響く。

 芸術のため? 本当に?

 だって、彼はまた嘘をついてた。……どこまでが、本当なの?


「信じて、いいんだよね?」


 顔を上げるのが怖い。

 ……返事を聞くのも、怖い。


「……」


 ポールは黙り込んだまま、何も言わない。


「いや……」


 どれほどの時間が経ったのかわからない。たった数秒だったようにも思うし、何時間も経っていたような気もする。


「信じないでくれ」

「え……?」


 予想外の返事に、思わず顔を上げる。

 笑顔は消え失せ、苦しそうな……それでいて、悲しそうな表情が目の前にある。


「ぼくにも……わからないことだらけなんだ……」


 まるで置き去りにされた子供のように、不安そうで、辛そうな表情がそこにある。


「……ポール……」


 もしかして、彼もそれなりに怯えていたのかな。

 呑気そうに見えたし、ポジティブに振舞ってもいたけど、本当は彼だって怖くて仕方なかったのかもしれない。


「あなた、殺されたの?」


 思い切って、踏み込んでみる。

 聞かなければ始まらない。彼が嘘をついているとしたって、何か、事情があるのかもしれない。


「……うん」


 私の質問に、ポールはこくりと頷いた。


「ぼく……」


 つう、と、透明な雫が頬を伝う。


「救いたかったのになぁ……」


 たらたらと、赤い血があごから滴る。無理やりにでも持ち上げられた口角が、逆に痛々しい。

 赤いシャツの胸元が、濡れているようにも見える。


 思わず手を握る。冷たい手のひらが、怯えるように跳ねたのがわかる。……なんだか、放っておけなかった。


「信じるよ、私」


 真っ直ぐ、薄い緑の視線を射抜く。


「あなたは悪い人じゃない……って」


 見開かれた瞳が、ぱちくりと瞬いた。


「……それは、ずるいな……」

「えっ、なにが?」

「いや、何でもない。何でもないんだ」


 ポールは狼狽うろたえつつも、そっと私の手を握り返した。


「やっぱり、きみは素敵な人だね」


 満面の笑みが……なんというのか、かっこよくもあるけど可愛らしくもあって、ちょっと胸の奥がキュンとした。

 いやいやいや、さっき自分で言ったじゃん。「そんなに早く切り替えられない」って! しかもポールだって死者だし!!


「どうしたんだい?」

「な、何でもない。探索続けよ!」

「う、うん」


 ……色々と聞きそびれてしまったけど、まあ、今はいいや。この直感が間違ってたって、真実が遠ざかってたって、別にいい。これからいくらでも挽回ばんかいできるし。


「ありがとう」


 安心したような声が聞こえる。

 ……名前も、顔も、声も忘れてしまった「誰か」の存在が頭を掠める。


「お礼なんていいって」


「誰か」の記憶はしつこく浮かんで来るくせに、ぽっかりと空いた穴は埋まらない。……もう……忘れてしまった方が、楽なのかな。忘れたくないのにな。

 ……あれ? 今……何か、視界に映った気が……?


「……! 危ない!」


 ポールが私を突き飛ばす。過去の記憶に気を取られていたからか、反応が遅れてしまった。

 暗闇を転がり、どうにか起き上がる。ドス黒い「何か」に羽交い締めにされたポールが目に入って、息を飲んだ。


「う……ッ」


 苦しそうにもがくポールの顔に、ぴしり、ぴしりとヒビが入っていく。


「に、逃げ……て……オリーヴ……!」


 助けなきゃ。

 ……そう、思っているのに、足が動かない。


「……っ、あぁあッ」


 黒い塊はポールの胸を深々と貫き、大きさを増したように見えた。

 瞬間、つんざくような破裂音が響き、暗闇ががらがらと崩れ落ちていく。塊はポールを離し、うなり声を上げながら逃げていった。


「……やっぱり、混乱が起こってるな」


 暗闇が崩れ去り、コンクリート造りの建物が見える。冷たい色の廊下に、ポールがぐったりと横たわっている。


「とにかく、間に合ったみたいで良かった」


 金髪の青年が目の前に立ち、私達を見下ろしていた。

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