第26話 ある罪人の記憶

「姉さん、呼んだ?」


 呼んだつもりはなかった。ただ、話をしたいと少し思っただけで彼はやってきた。

 ……見たくはない。哀れで悲惨なあの子の姿を、これ以上見ていたくなんかない。


「ローランド、私のことはいいわ。ロデリックかロバートのところにでも行ってなさい」

「ロッドのところにはよく行ってる。ロブもたくさん呼んでくれてるし……」


 ごく普通の青年にしか見えないような、素朴な笑顔で……壊れたナニカは、語る。


「ご苦労なものね……」


 人のために……なんて殊勝な気持ちは、残念ながら私には持てないわ。……私に流れているのは、あの醜い男と同じ血。


「…………やれやれ。君はずいぶんと変わってしまったようだ」


 著名ブランドの椅子に腰掛け、彼は呆れたように告げる。


「ロナルドとよく似ている。さすがは兄妹と言ったところか」

「……やめなさい」

「おっと、済まない。私はもう、以前のように君を愛したりはできないのだよ」

「そうよ。私は変わってしまった。でもね、貴方に愛されようとも思ってない」


 私は、私のやりたいことをするだけよ。

 だから、邪魔をしないでちょうだい。


「……姉さん、用事がないなら俺は行くよ?」

「勝手になさい」

「うん、またね!」


 ローランドが、煙のように姿を消す。


「おや、いいのかい?」


 背後からの声に、思わず眉をひそめた。


「貴方も失せなさい」

「はは、かつての夫に酷い言いようだ」

「……貴方を夫だと思ったことは一度もないわ」

「けれどね、ローザ」

「……ローザは、死んだのよ。兄に殺された哀れな女がローザ。それでいいじゃない」


 ニタリと、男の顔が醜悪に歪んだ。


「そうだね。そして……夫に愛されなかった可哀想な女でもある」


 ……ロジャーは、


 ロジャーは、そんなふうに笑わなかったわ。




 ***




 メールを確認して、すぐに画面を閉じた。バクバクと、心臓の音が煩い。……クソ兄貴の声が、あの穏やかで憎たらしい猫なで声が蘇る。


 ──なんだ。そんなに好きだったなら、いつでも言えばよかったじゃないか。


 鬱屈した思考を追い出しても、浅い息をどうにか整える。

 くそ。姉貴まで、得体の知れないとこで戦ってたってのかよ。……まあ、そうだよな。俺は情けねぇし、頼りねぇだろうし……言う必要もないか。

 ……何一つ、守れもしなかったし、救えもしなかったんだからな。




 第二次世界大戦後、国連軍に共に従事した二人の英国軍人がいた。

 レイモンド・ハリスとレックス・アンダーソン。

 彼らは互いをレイ、そしてロイ、と呼び合い、年月を経ても信頼しあっていたように見えた。……実の子である、俺たちにさえも。

 レイモンドは妻ナタリー、レックスは妻ドーラとの間に、それぞれ3人の子を授かっていた。幼馴染として兄弟のように育った6人は……やがて、互いに大きな歪みを抱くことになる。

 徐々に入ったヒビは、ある青年の死により途端に深まった。


 忘れもしない2001年の夏、ハリス家次子の凄惨な事故によって、ついに亀裂は決定的なものとなる。


 彼らの……いや、俺たちの因縁については、また、いずれ。

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