第27話「赤毛の娼婦」

 印象深い特徴の組み合わせから推察できる事象というものがある。例えるならば、中世ドイツの魔女……と言えば、多くの人間は魔女狩りや火刑を連想するだろう。


 ならば、赤毛はどうか。

 イギリスでは未だ差別が根深く、とあるファンタジー作家がそれに触発されたという話を聞いたことがある。過去には推理小説でも連合を組んだ話があったか……。ああ、有名なのはアンという少女の物語だな。


「赤毛の娼婦」……嫌な響きだ。

 ……いや、こちらの話はいいだろう。




 ***




「えーと、これってレポート?」

「メモ書きだが」


 A4用紙にワープロソフトでびっしり書いてあるメモ書きってなんだろう。


「…………あー、メモ書きもこれくらいちゃんとしてたら、経済史の単位落とさなくて済んだかなぁ……」

「経済は苦手か?」

「アダム・スミスあたりからもうちんぷんかんぷんで……」


 カミーユから聞いたとおり、彼は「噂」をまとめた資料を持っていた。

 きとんと整理整頓された本棚に並ぶ、ラベルの貼られた青いバインダー……うん、僕にはとてもできない。

 部屋の方もちらりと見る。シンプルな上にホコリ一つ落ちていない。……テーブルの上になんか東洋風味の人形みたいなのが置かれているのは、誰かからの貰い物だろうか……。


「レヴィくんが把握してる噂の数だけでも知りたいかな」

「索引はこれだな」

「さ、索引って……」


 そんなメモ書きがあってたまるか。


「カミーユさんのことだろう「殺人絵師」、ローランドさ……さんのことだろう「さまよう軍人」、後は俺の名前そのもの……。カミーユさんから聞いた「キース・サリンジャー」……」

「そこまでは僕も知ってる。あ、そうだ。レニーって人に関する噂はないの?」

「…………レニー? どんな外見だ」


 ……そっか、彼には見えてなかったんだ。あのクソガキの姿。


「黒髪の子供だよ。しゃべり方はなんか、うん……」

「……黒髪……イオリ、ではないのか?」

「イオリ? ううん、そんな子は知らないよ」


 イオリって子もいるんだ。会ったことなさそう……。

 でも、噂になってないと話が通じないはずだから、これだけリサーチしてるレヴィくんが知らないはずはない……と思う。


「……面識がないだけかもしれん。その線から行くと、「透明ギャンブラー」か、「顔のない男」、「赤毛の娼婦」、「路地裏の血濡れ獅子」…………子供だとするなら、まったく当てはまりそうなものがないな」

「…………透明ギャンブラーじゃないのかな。幽霊だし」


 あと、カミーユとポーカーしてたみたいだし。

 あの掴みどころのない性格も何となくそんな感じがする……。


「いや、だが子供だろう?」

「外見はね? 中身はおっさんかも」

「……なるほど。書き加えておくか」


 即座にペンを取り出して書き込む。…………この人、仕事できそう。でも結婚はしたくないタイプかな。

 性自認は男性だろうから黙っておこう。蹴られたくないし。


「……悪人を懲らしめる、みたいなのは?」

「よく聞く噂だが、名称がわからん。ただ、「キース・サリンジャー」がそれに近い気もするが……」

「確かに……。不正を暴く警官、だしね……」


 コルネリスも何か考え込んでいるように思えた。話したいことはまだないようなので、今のところはそっとしておく。


「他は?」

「他に知っているのは……「寂れた医院」、「亡霊ツジギリ」、……「強欲商人」……「片腕の警官」だな。全員、正体に心当たりがある」

「辻斬り? 日本の人もいるんだ?」

「あー……。いるにはいるが、亡霊ツジギリ……ヒトキリ? はどちらかと言うと日本かぶれだ」

「あ、そういう……」


「片腕の警官」はアドルフだろうけど、あからさまに複雑な顔をしていた。

 ……アドルフの話からしても、なんとなく事情は察せられる。妙な噂に同調した時点で、被害者にとっては他の奴らと同罪だ。顔見知りなら余計に、裏切られたと感じただろう。

 ……それにしても、辻斬りだの血塗れ獅子だの、不穏な噂ばかりだなぁ……わかってたけど。


「「赤毛の娼婦」に心当たりはないの? 君も赤毛だし」

「…………エルダ、という名らしいが……源氏名だとしても、名前には心当たりがある」


 レヴィとエルダ……どちらも民族的には、似た響きだ。

 まあ、エルダの方はラテン系にもあるけど……


「推測もできない?」

「……俺は、生まれつきこの肉体だったものでな。「もし女として生きるなら」という仮定で……「エルダ」というミドルネームも与えられている」


 …………流石に、とても申し訳ない情報を聞いてしまった気がする。


「だが、娼婦になった覚えはないし、もしそうなら多くの人に裸を知られている。それならば噂の質が違うものになるはずだ」

「と、いうことは……「情報に心当たりはあるけど、根幹のところで心当たりがない」ってこと?」

「そうなるな……」


「自分の姿を見失いやすい」僕とは対照的に、「自分と似通った姿を複数見つけてしまう」レヴィ……。こっちもこっちで、気味が悪い思いをしていそうだ。

 茶髪と赤毛では人口比が違うから、目立って感じるのは仕方ないのかもしれないけど……。


「「赤毛の娼婦」自体はどんな噂なの?」

「……美しく目を引く容貌だが、客に対してもそうでなくてもどこか素っ気ない女らしい。それでもひとたび心を開くと、慈愛に満ちた心優しい面を見せるそうだ」

「……うん、もう嫌な予感しかしない……」


 それで誑かして……ってことなんだろうな……と、思ったけど、


「いや、直接相手に危害を加えることは特にない」


 どうやら、違うらしい。


「え?ㅤそうなの?」

「ああ。……ただな、相手がそれをいいことに自分勝手な振る舞いに陥ると、突然相手の前から姿を消し……確かに愛されたはずの男は高確率で破滅すると言われている」

「……うーん、僕にはただの、ダメンズを引き寄せる女性に思えるけど……」


 だってそれ、相手がそもそもクズだから、支えがなくなると身を持ち崩すんじゃ……。


「それも解釈次第だろう。噂としては成り立つ」


 そう言えば、カミーユの絵も呪われているとは限らないんだった。

 うう、頭がこんがらがってきたけど、「噂として成立していれば真偽や善悪は関係ない」って感じがすごく嫌だ。……ああ、でも、噂って本来そんなものかも。


「さて、そろそろ帰れ。夜に一人で出歩きたくはないだろう?」

「そうする。今日はありがとう!」

「……くれぐれも油断はするなよ」

「大丈夫だよ。一応軍人一家の生まれだし」

「……血を過信している時点で既に不安要素しかないな」


 …………。

 そう言われると、確かにそんな気がしてきた。


「レヴィくんって優しいよね……」

「そんな渋い顔で褒めているつもりか?」

「いや……胃痛すごい理由がなんか分かったというか……」

「……蹴られたいようだな」

「ごめんなさい」


 相手の苛立ちを感じたので、そそくさと玄関に向かう。


「あ、こっちも新しい情報があったらまた来るね」

「無闇に嗅ぎ回るのはやめろ。安全対策もなしに首を突っ込むのは愚か者のすることだ」

「そうだね。心配ありがとう!」

「……ポジティブすぎないか」

「そうかな?ㅤだって事実じゃない?」

「煩い胃痛が酷くなるからとっとと帰れ」

「そうする。じゃあね」


 根はいい人なんだろうなぁ……。人と関わるのが嫌なのは本音だろうけど。

 ……僕の方が年上のはずなのに、頼れるように思えてきた。まあ、頼れる人には頼っておいた方がいいかも。




 スタスタと歩いていると、突然景色が歪んだ。

 ……イギリスじゃない。ここは……どこ?


「君が、「赤毛の娼婦」?」


 口が勝手に動いた。……コルネリスが喋っている。

 そうか、だから見える景色も影響されてるんだ。


 視界の端に、綺麗な女性。声をかけられてぎょっとしたのか、気まずそうに目を伏せる。

 ……また、見えないふりをしてたのか、僕……

 赤い髪、緑色の瞳、どこかレヴィと似た顔つき。

 ……赤い、髪……?


「…………赤?」


 僕が言葉を発すると、彼女の表情が変わった。


「……アナタ……「見えている」の……?」


 彼女の姿が、赤毛から金髪に変わっていく。

 ……ええと、コルネリスには赤毛に見えていたのに、僕には金色に見えるってこと……?


「…………神の思し召しなのです。私は再び機会を与えられたのです」


 うわ言のように呟く女性の声が、景色が変わると、違う言葉へと変わる。女性の髪色も、金色から赤へ。


「…………冷やかしのつもりなら、どこかに行け。私もそこまで暇じゃない」

「……君は、誰?」


「ロバート」が話しかけると、赤毛の女の存在が揺らぐ。


「そんな目で私を見るな」

「私を見ないでください!ㅤ私は戻りたくないのです!ㅤ 私をエルダでいさせて!!」


 二つの言葉が同時に重なって聞こえる。


「……そうか、君は、「赤毛の娼婦」であることを選ぶのか」


「別人になること」が、必ずしも、本人にとって不幸とは限らない。


「そっとしておいてあげよう、キース。……少なくとも、今は、まだ」


 僕の口から、コルネリスの言葉が返ってくる。


「……君にはわかるのか?別人になってしまいたい気持ちが」

「……わかる、というよりは……。……そういうこともあるだろうなって感じ、かな」


 後ろ髪を引かれる気持ちはあったけれど、彼女の傷に触れる覚悟はまだ、ない。

 目をそらして歩き続けると、また、僕の口から勝手に言葉が紡がれた。


「……君は、むしろ敏感なんだね。直感的に「察せられる」から……あえて、目を閉ざす方を選んでいたのか」

「……そうかも」

「僕はね、知っていて目を閉ざすのは間違いだと思ってるし……君にとっても、良くないことだとは思う。けど、」


 そのまま、コルネリスは何も言わなかった。

 …………責めるなら、責めてくれてよかったのに。




 だって、僕は、本当は……

 ずっと、自分の手で何かを変えてみたかったんだ。




 景色が歪む。ぐにゃりぐにゃりと歪みながら、ありとあらゆる景色に変わっていく。


「……逃げないの?」


 誰かの声がした。


「君も苦しかったよね。逃げたっていいんだよ」


 聞き覚えがある。


「……っ、違う……逃げた方が、苦しいんだよ……っ!!」


 思わず、叫んだ。胸が苦しい。締め付けられるかのように、痛い。


「……そう」


 雨の音がする。

 ざあざあ、ざあざあと、僕にとっての始まりを、思い出させる。

 喪服、葬列、泣き声、柩、噂話、


「自殺なんじゃないの?」

「聞いた話だと、胴体が……」


 そこで、僕の……「ロバート」の意識は、プツリと途絶えた。

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