第24話
帝国においては、家名と爵位名が異なる事は無い。ヨーロッパ等では領地名が爵位名となり、それは家名とは別個の物であった。つまりは爵位とは領地に付属する物であり貴族家に付属する物ではないという事だ。
帝国ではそれを皇帝が嫌った為に、――歴史書では単純に覚えるのが面倒だったと書かれている――、領地を支配している貴族がその領地名を家名とするようになっている。
つまりはハクソン侯領を支配する者がハクソン家を名乗るわけである。
例外は皇帝と王族だけであり、フレイはクロファース家であるが先代の王より公爵領を譲り受けているのでセプテリア公爵であり、フレイ・クロファースである。
だが帝国貴族の中で最も特異な貴族と言えばフォーセス家をおいて他は居ないだろう。
何せフォーセス家は領地を持たない貴族だからだ。彼らは領地を持たない代わりに代々クロファース王家の宰相を務めている。
つまりはフォーセス家に限って言えば家門そのものが侯爵位を持っているのである。
その影響力は多大で王家とフォーセス家が争うことになれば国が割れかねない程である。幸いにしてフォーセス家と言えば忠臣の代名詞のような貴族として名を馳せており、歴史上そのような事が起きなかったのは王家にとって最大の幸運だっただろう。
テツは思わぬ大物貴族家の令嬢を前に
「こちらこそ申し遅れました、テツ・サンドリバーと申します。姫様により過分なれど近衛兵団団長の任を預かっております」
ああ、そんな、こんな小娘程度に近衛兵団長様が頭を下げないでくださいませ。
というクエル嬢の言葉をテツは無視した。
「それでクエル様は」
「クエル、とお呼びください」
「は?」
テツは流石に表情を保つことが出来なかった。
「テツ様は姫様がお選びになられた近衛兵団団長様で御座います。であれば事あれば姫様をお守りする為に
なんだその過激な思想は!
テツは内心で叫びそうになりながらも、相手の真剣な目でそれが何一つ冗談を含まない少女の本心だと理解する。
見た目は小動物のような愛らしさなのに、中身はこれフレイと同類だぞ。
近づきすぎると
これ他の貴族に聞かれたら、また無駄な恨みを買うのだろうなぁ。
テツは諦観に似た境地に立ちながらも開き直る事にした。もし後でフォーセス家から文句を言われたらジョン王に問題を放り投げよう。
「ではクエル。扉の前で何を?」
クエル、と平民であるテツに呼び捨てにされた事に満足げな表情を見せていた少女は、その質問に顔を曇らせる。
「私、今日より姫様の侍女へと付かせて頂いたのですが、姫様に侍女は不要なので下がって良いと言われてしまいまして」
ああ、成る程とテツは思う。
王族のとは言え、宰相を務めるフォーセス侯爵家が娘を侍女にしようという考えは理解できなかったが、フレイの考えは良く分かった。
王族や大貴族に付く貴族位を持つ侍女とは、つまりは主人と使用人との間に立つのが仕事の人間の事だ。
侍女とは言っても彼女達が主人の着替えを手伝ったり掃除をしたりお茶を用意するわけではない。それはメイドの仕事であり、彼女達にとって自分達の仕事とはそのメイドを主人の為に使う事なのだ。
そんな非効率をフレイが許容するワケがないのだ。彼女なら目の前にいるメイドに直接命令するだろうし、その間にわざわざ侍女を挟む理由を捻り出す事もしないだろう。
というわけでフレイの侍女団は毎朝フレイの部屋まで行っては、用は無いので下がっていろと命令を受けて引っ込むのが通例となっている。
そして今日が侍女として初日のクエルはその洗礼を受けて困っている、という事だ。
テツは一瞬どうしようもないから諦めて他の侍女と同じように控えの部屋で一日中お茶でも飲みながら他の貴族令嬢達と話の花でも咲かせていれば、と言いそうになったが口を紡ぐ。
確かフレイに付く侍女は三人だったハズである。
だがしかしここにはクエルしかいない。という事は何時からかは分からないが彼女は他二人が早々に去った後もここで悩み続けていた事になる。
同情と言われればそれまでだったが、テツはつい少女に言ってしまった。
「それではクエル一つ頼まれてくれるかな?」
失礼いたします。
そう言って扉を閉める前に美しいお辞儀をするクエルの姿は礼儀作法を身につけた貴族子女のそれで一種の美しさすら感じさせた。
ただし顔を上げテツの方へと向けた顔には、隠しきれない恍惚の感情が浮かんでいた。
うわ、やべぇ。
テツは素直にそう思った。
「テツ様」
「はい」
テツは少女の声に反射的に応えた。
「私、姫様にお礼を言われました」
そりゃフレイだって礼ぐらい言えるだろう。
という言葉は飲み込んだ。
「私は今死んでもかまいませんが、どうかコレが夢では無いと
「クエル、夢じゃ無い、ここは夢の中じゃない」
まさか同情心からちょっとした用事を頼んだだけでこんな事になるとは思いもしなかったテツは、気圧されるように応える。
礼を言われただけで人間はここまで感動できる物なのか?
テツが頼んだのはたった一つである。
中にいるフレイに自分が来た事を報せてくれ、という用事と呼ぶにもはばかるような物だった。
フレイであるならば仕事として接してきた相手を
実際の所、ノックをしてもフレイの場合は相手がテツであるなら、例え着替えの最中であっても平然と中に招き入れるのでテツとしては安心して部屋に入りたいのである。
何度か
それもあって今回クエルに来たことを伝えるついでに中に入っても問題ないか見てくれと頼んだわけだが。
まさかフレイからの礼の一言でクエルがこうなるとはテツには予想出来なかった。
自分ならどうかと一瞬考えるが、相手がフレイでもこうはならないとテツは答えを出す。むしろ相手がフレイであるなら礼など不要だし、なんなら礼それ自体が不愉快だ。
一言、地獄へちょっと付いてきてくれ、だけで良い。
ふむ、やはりクエルがちょっと変なのだ。もしかしたらフォーセス家特有の病気なのかもしれない、王家の者に礼を言われると感動しすぎるとかそういう。
テツは自分の事を棚に上げてそう結論づけた。
「ではクエル、俺は姫様に相談する事があるのでこれで」
「はいテツ様、どうもありがとう御座いました」
まだ夢うつつといった表情のクエルに若干の恐怖を感じながらテツは扉に手をかけた。
ふと気まぐれが起きてその手が止まる。
「クエル、姫様は仕事をする者を好む、身分を問わず。もし姫様の側で仕えたいというのなら何か自分で出来る仕事を探してみるのも良いと思う」
そう言ってテツは短く頭を下げて扉を開けた。
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