第70話 行きつく先まで(前編)

 ※会議再開※


「イカロスに関しては、私が説得しよう。ただの親子喧嘩と兄弟喧嘩の混合だ。たまたま親が国王夫妻だっただけで、騒ぎ立てるようなことではない。さっさと言い聞かせて終わらせてくる」

「物は言いようですね、勉強になります。兄上」


 笑って言ったクロノスに対し、アレクスは顔をわずかに傾けてクロノスの耳横に唇を寄せ、低い声で囁いた。


「お前に任せておくと、不慮の事故で全員始末されそうだ。仲が良くないのは知っているが、感心しない」

「人聞きが悪い」


 やりとりをしている二人の横で。

 両膝の上で、両方の拳を握りしめて、歯を食いしばっているロイド。

 動揺を表情に出すまいと堪えているが、微かに身体が震えている。 


(変だとは思っていたけど、これって。やばい)


 考えられる中でもかなり最悪の状況に突然放り込まれて、一人悶えていた。

 そのロイドの様子に、クライスだけは気づいて心配げな視線を投げている。

 そのうちに、アレクスがさっさと会議の終了を宣言した。


「うちの魔導士に、すごく使える男がいたみたいなんですが。使います?」


 安らかに寝ているルーク・シルヴァを示し、クロノスが投げやりに言ったが、「必要ない」とアレクスはきっぱりと答えた。


「疲れているようだ。クライスも、昨日からあまり休んでないだろうから、休ませておくように。用事があればあとで誰か呼びに行かせるから」


 * * *


(親子喧嘩+兄弟喧嘩。ずいぶん簡単に言ってくれる……っ)


 今生の家族の誰ともうまくやっていない自覚のあるクロノスとしては、何も言い返せない。

 不慮の事故狙いだろうとまで言われてしまっては、積極的に関わりにいく気も失せるというもの。

 健やかに寝ているルーク・シルヴァとクライスは今日は非番扱いということで、そのまま会議室に置き去りにしてきた。自分がついている、と申し出て来たロイドもいることだし、心配はしていない。

 なぜかアレクスと知り合ってしまっていたらしいアゼルは「ちょっと気になるから見てる」とアレクスと行動を共にすることを告げてきた。


(寝よう。俺も疲れている)


 変に頭がぼんやりとしている。もうだめだ。軽く朝食をとって、惰眠を貪ろう。

 そう決めて、足早に廊下を歩いていたときに、どん、と腰に鈍い衝撃を受けた。


「殿下……ッ」

「ロイ、!?」

「ごめん……、ちょっと話せる?」


 振り上げかけた腕を素早くおろしたクロノス。

 瞳を潤ませたロイドが、唇を噛みしめて見上げてきたところだった。


「どうしました?」

「ごめん、ちょっとやばい」


 これまでの落ち着き払った印象とは違う弱り切った様子に、クロノスは何事かと目をしばたく。足元が覚束ない。クロノスは、掴まれていた腕を引き抜いて、咄嗟に支えるように抱き寄せた。あっ、とロイドの口から甘い叫びが漏れる。


「ごめんなさい、どこか変なところ触りました? わざとじゃないんですけど」

「そうじゃないんだけど……。殿下、はやくどこか、ひとのいないところ」


 息を弾ませたロイドに言われて、クロノスは混乱しつつ足を踏み出す。ロイドと足並みが揃わない。支えた身体に、まったく力が入っていない。よほど具合が悪いらしいと了解し、「失礼」と声をかけてロイドを抱き上げた。


「殿下っ!?」

「このまま俺の部屋まで運びます。少し我慢してください。どこか見えないところでも怪我しています? アゼルを呼びますか?」

「いい、大丈夫……んん……」


 はぁっとロイドのこぼした吐息が熱い。

 頬を紅潮させて目を瞑り、弱く「ごめん」と言い続けている。


「何謝ってるんですか? 疲れが出たんじゃないですか。無理しないでください」


 何回謝ってるんだこのひと、と思ったせいでつい口調が強くなってしまった。 


「ああん……もぅ……」


 辛そうに呻いて、ロイドがほっそりとした指で顔を覆った。

 旅の魔導士「ロイド」に結び付けられないよう、女性として振舞っていると頭では理解しているが、男性体とは外見年齢も違うせいか、妙に色っぽい。


(近衛隊の連中もだらしない顔をして見てたな……。アゼルといい、レティシアといい、どういう種族なんだ……? 人間じゃ、ない?)




 部屋の前までたどり着くと、清掃に入っていた女官が出て来たところで、戸惑ったように言われた。


「殿下。お部屋に女性の方がいらっしゃると聞いていたのですが、わたくしどもが来たときにはすでにどなたも……」

「レティのことはいいんだ。掃除どうもありがとう。この後少し取り込むと思うから、急用以外は取り次がないでくれ。朝食もあとで二人分お願いする。いつもすまないね」


 にこやかに早口で言うクロノスを、三人並んだ女官が気圧されたように見る。


「銀髪、じゃない」


 腕の中に抱かれたロイドを見て、ひとりが正直な感想をもらした。


(そうだね。昨日とはまた違う女を連れ込んでるように見えるよね。アレクスも女連れ朝帰りだし、イカロスも死体で帰ってきたはずなのに起き上がってクーデター起こしているし、今日の三兄弟はどうかしているよね)


 一番どうかしている問題が宙に浮いているというのに、日常生活が保たれているこの王宮の優秀な人材に心から感謝したい。


「声をかけるまで、なるべく部屋には近づかないで」


 もうどう思われてもいいや、とクロノスは女官たちに微笑みかけつつ、ドアを開けて身体をすべりこませた。


 * * *


 部屋の中を見回して、クロノスはソファにロイドを横たえた。

 はぁ、はぁ、と荒い息をしており、胸が弾むように上下している。顔は手で覆われたまま。


「大丈夫ですか?」

「殿下、ごめんね」

「謝り過ぎ。まず自分の体調を気遣ってくださいよ」

「体調……。あの、ひかないで聞いて欲しいっていうか。ひかれても仕方ないんだけど……」


 言い淀みながら、ロイドは身体を起こして、ソファに座り直し、床に足をおろす。その動きだけで「うぅん」と呻き声を漏らしていた。かなり具合が悪そうに見えた。


変化へんげの魔法がきかない。男に戻れない」

「体調に魔力が影響を受けているんですか? すぐに戻らなければいけないということもないでしょうし、俺もできるだけのフォローはしますよ」


 クロノスは速やかに答えたが、ロイドは「うぅ~」と呻きながら両手で顔をおさえて沈み込むようにこうべを垂れた。


「他にも何か?」

「ひかないでね」


 ロイドらしくない、弱り切った声で念押しをされて、クロノスはいぶかしみつつ「はい」と返答をする。

 自分の身体を抱きしめるように両腕でおさえながら、ロイドはのろのろと顔を上げた。今にも涙を流しそうなくらいに瞳を濡らし、顔を辛そうに歪めてクロノスの目を上目遣いに見て来る。


(そんなに具合悪い……!? この短時間に何が? 毒でも盛られたか?)


 記憶をさらうクロノスに対し、小さな唇を震わせてロイドが言った。


「私、人間とはちょっと違う種族だって言ったと思うけど……。発情期がきちゃったみたい……」


 めまぐるしく考えていたせいで、クロノスの反応はやや鈍かった。言われた内容がよくわからないまま、問い返してしまった。

「発情?」


 ロイドが細かく頷く。


「いまかなりやばい……。からだが……」


 ああ、さっき急に赤くなったり反応がおかしかったのはそれか、と一通り考えてから、クロノスは動きを止めた。

 ロイドが口にし、自分が問い返した言葉を、今一度口の中で小声で繰り返す。頭に染み渡った瞬間、思わずのように言ってしまった。


「発情!?」


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