第44話 Once upon a time ……(2)

「ステファノ……生きてたの……?」


 頰に手を伸ばして触れながら尋ねると、黒髪の青年は恥ずかしそうにアゼルの手を手で掴んで言った。


「死んだよ」

「そうだよね。しょうもない死に方したよね……」

「アゼルは私には相変わらずキツイな」


 ふふっと笑う青年に、アゼルは陶然と見とれてしまった。


 別人。

 だけど、紛れもなく本人。


 じわじわと実感が湧いてくる。この笑い方。この表情。何度も何度も何度もまた会いたいと恋焦がれた相手と同じ。

 胸がいっぱいになって、鼻の奥がつんとした。涙が浮かんできた。


「生きていたなんて」

「完全に死んだけど」


 律儀に訂正してくる青年の胸に拳を叩き込みながらすがりつく。


「会いたかったんだからねっ……ばかっ」


 青年はアゼルの背中に腕を回す。

 指で髪を梳きながら、低い声で囁いた。


「私も会いたかったですよ、アゼル。あの頃思い描いたより、ずっと美人になって。あまり私を驚かさないで」


 美人だなんて、他の人に言われても何も響かないのに。

 全身が痺れて、うまく喋れない。胸に頬を寄せて、耳を当てて彼の鼓動を聞いた。


(生きてる──)


 これ以上ないくらいに幸せを感じていたそのとき。


「あのさ。殿下、つかぬことをうかがうけど。前世と性格違うでしょ」


 だるそうな美女であるところのロイドが、ごく低調に言った。


「そうですね。今の俺とは結構違うかな。前世の反省があって、今があるので。生まれ直してまで同じ性格だなんて、意味がないですし」


 見上げた青年は悠然とした微笑を湛えて、ロイドともう一人に目を向けていた。

 あ、今のステファノって「俺」って言うんだなとか、前の容姿も悪くなかったけど黒髪も良いななんて思いながら見ていたアゼルだが。

 ひんやり。

 控えめに言えばひんやり。

 正しく言えば怖気おぞけがはしる冷気に当てられて硬直した。


「アゼルと言ったか」


 きた。

 よく通る声だ。脳内に直接響き、しんと体の芯まで冷えきらせる凍てついた声。

 アゼルはさらさらの金髪を背に流し、首には大判のストールを巻いているが、なめらかな褐色の肌は肩から指の先までむき出しになっている。緑色のドレスは豊かな胸から丈は膝上まで。細い腰をベルトで絞っており、足元はロングブーツ。露出が多めだ。

 今日のように痴漢に遭うなど言語道断だが、見られて恥ずかしい身体のつもりはないし何を着るのも自由だと思っている。しかしこのときばかりは薄着を後悔した。


「寒い……」


(口からブリザード出す魔族がいるんですけど)


 ぬくもりを求めてステファノに擦り寄るとしっかりと抱きとめられた。安堵した。自分の味方だと思った。

 しかし見上げたステファノは、輝くばかりの笑みを浮かべて、アゼルではない何者かを見ていた。


「彼女は俺の前世での知り合いなんです」

「勇者絡みか」

「ええ。一緒に長い旅をしました」


 おっとりと語るステファノをなんとか止めたかった。

 どういう理由があってステファノが魔族と一緒にいるかはわからなかったが、「あの銀髪はやばい」と叫べるものなら叫びたかった。


(まさか、魔族だって、知らない…? そういえば、魔法が魔導士が云々とずいぶん遠まわしな聞き方をしていた。……あ~、あり得る。ステファノは変なところが致命的に鈍いから。あり得る)


 何せ、アゼルはなんだかんだと前世でかなりのアプローチをしたのに、当時全く気持ちに気付いてもらえなかったのだ。

 ステファノが、アゼルではない人をずっと見ていたというのが大きい。

 それでいて、アゼルにはとてもとても優しく、中身のない溺愛を惜しげもなく注いでくれた。


「仲が良さそうだ」

「妹分ですよ。しっかり者で腕も良くて。彼女なくして魔王討伐はありえませんでした」


(や~~~め~~~て~~~。やっぱり今でも「妹」認識だし!! 「美人」も何もこの人絶対下心ゼロでこの優しさにも裏表何ひとつないよね? というか。魔王討伐って言っちゃったよ。あの銀髪の素性が知れない以上、その話はまずいよ~~~。ロイドは立ち位置が特殊にしても、あのやばそうなやつが魔王派の魔族だったらやばいって)


「あの、ステファノ……? もうルミナスもいないんだし、そういう話はやめない?」


 曲りなりにも最大攻撃力のあのうすら馬鹿がいない今、得体の知れない魔族に二人で対応するのは現実的じゃないよ? との意味で。

 勇者のパーティーで中核にいた者らしく、アゼルは速やかに戦闘を見据えた考察をして進言した。

 しかし、ステファノの反応は全く予想を裏切った。


「実はルミナスも転生しているんです。今は赤毛の小柄な青年で。俺と違って前世の記憶はまったくないし、今後も思い出すことはないと思うんだけど」


 小首を軽く傾げて、きらきらと星を浮かべた夜空のような瞳でじっとアゼルを見つめながら、ステファノは唇に笑みを浮かべた。


「まだ好きなの?」


 思ったそばから直截的な言葉が転がり出てしまい、耳にしたステファノは笑みを深めた。


「ルミナスには恋人がいる」

「あいつそういうとこは手が早いっていうか。また」


 ごくごく素直な感想を述べたのに、再び猛烈な冷気を感じた。気のせいではない。おそらく無意識に、制御しきれない魔力を迸らせている凶悪な魔導士が近くにいる。 

 ステファノも、痩せても枯れても死んで生まれ変わっても世界最高クラスの魔導士なのだ。気付いていないわけがない。


(寒いんですけど……)


 目だけで訴えると、笑みを浮かべたまま力強く頷かれた。何? それ何? 全然以心伝心できてない。今の何?

 ひたすら疑問符を浮かべるアゼルに、ステファノは悪戯っぽく言った。


「ちなみに、あそこで前世のルミナスの恋人にまで嫉妬しているのが現在のルミナスの恋人です」


 ルミナス。

 あんたちょっとボケるのもいい加減にしなさいよ。

 なんで魔族と付き合ってんのよ。


「平和な時代に生れ落ちると、そういうこともあるのかな……?」


 勇者一行と魔王討伐をした自分の所業は完全にそれはそれとして横に置き、アゼルは心底呆れた。

 今の話、どう? という思いでロイドに目を向けると、穏やかな表情で微笑まれた。

 諦念とか諦観とか、悟りの下位互換的安らかさに満ちた態度だった。

 何? 何それ。まさかまだ何かある?

 あるなら聞いておきたいけど、それは絶対に聞いたら後悔する類の内容なんじゃないの?

 聞く前からすでに、全身から汗が噴き出してきてるし、それを氷結させる勢いのブリザードを発しているやばい銀髪がいるし。


 口内がからからになっている。アゼルは声を出せぬまま、口をはくはくと不自然に動かしながらロイドに尋ねた。

 ロイドは落ちて来た髪を軽く首を振ったり手で払ったりして背に流し、薄ら笑いを浮かべて言った。


「こっちのこいつ……。前世名で言うところの勇者ルミナスの恋人なんだけど。アゼルは面識ないから知らないと思うから紹介しておくね。名前はきっと知っているよ」


 やばい。

 知らず、足が後退した。それを、やむなしという優し気なまなざしで見ているロイドの態度がもう嫌だ。


「ルーク・シルヴァだ。……知っているよね?」


 魔族的な体感でいうとわりと最近、殺すつもりで挑んでいるし、見事殺した気になっていた相手ですね。


「ルミナスって……死んで生まれ変わっても馬鹿が治らなかったのね……」


 万感の思いを込めて呟いてから。

 アゼルは凶悪な魔族の前で恋人を罵るという失態を犯したことに気付いた。

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