間章(2)
第43話 Once upon a time ……(1)
かつて聖剣の勇者は、魔王との最後の戦いにおいて相打ちとなり、命を落とした。
その道のりに同行し、力を尽くした魔導士もまた、勇者の後を追うようにこの世を去った。
相次いでパーティの主軸を失った勇者側であるが、当然そのときには死ななかった者、二十数年を経た現在、命を繋いでいる者もいる。
彼女もその一人。
当時は十歳をいくつか過ぎた程度の姿形をしており、パーティ最年少の
そも、パーティの筆頭がのほほんと我が道を行く勇者ルミナス。かの人を取り巻く、能力的には強い割に変に抜けた大人たちを叱咤激励する健気で可憐な美少女……という役どころを見事演じきった。
演じきった。
少々わけありな素性のその少女は、血筋や由来を辿れば当時の魔王ルーク・シルヴァと険悪な一族の出身だった。
魔族である。
最終戦まで面識はほぼ無いに近かったが、魔王への心証はただの魔族より断然悪かった。
かてて加えて、たまたま人間に扮して人里に下りてきたときにルミナス一行と知り合ってしまい、「魔族を殲滅されるのは困るが現魔王を倒してくれるのは構わない」という理由で力を貸しているうちに、主要メンバーまで上り詰めてしまった次第である。
とはいえ、対魔王戦で思わぬ二人が落命したのを機に、パーティからは離脱をした。
以来、魔族の元に帰る気にはなれず、かといってルミナスとあの魔導士ほど気の合う人間に巡り合うこともできず。ただぶらぶらと、
昔の知り合いに会ったときに言い訳が立つよう、最初の数年は「年齢を重ねた」擬態をしていた。
しかし、途中で飽きた。
結局、外見的には十代半ばから後半程度で止まっている。気分で男性型になることもあるが、さすがにもう今誰と顔を合わせても「あの頃の姿」から二十数年を経てこの姿なら、人違いとして処理されるだろうと、見た目に関しては投げやりだ。
ついでに生き方も。
おそらく、一番親しい人間も、かけがえのない時間もあまりにも早く駆け抜けてしまって、それ以上の何かがこの先見つかるとはどうしても思えなくて。
(あーあ。ひまだなぁ……)
最近は、変な動向の魔族がいるらしいと聞き、なんとなく追いかけている。
昨日は昨日で、ちょうど滞在している町の外壁を破ってベヒモスが乱入したという騒ぎがあったが、通りすがりの騎士が見事に討ち倒してしまったとのこと。現場についたときにはすでに後片付けが行われていた。治療師としての仕事があるかなーと思ったが、怪我人もいなかったらしい。
戦争が終わって二十数年、対魔族でそんなに手際の良い戦いぶりの騎士がいるとは。
人間界も安泰だ。
結局、朝からやることもなくぶらぶらと目抜き通りを流していた。
見るとはなしに出店を見て、「別嬪さんだねえ」とさんざん声をかけられて気のないそぶりでこたえ、「あー何も欲しいものがない」と思わず声に出してぼやきつつ歩く。
人とすれ違ったとき、ふっと何か嫌な感触が腰から臀部をかすめた。
(やられた)
触られた、と唇を噛んで振り返ろうとしたそのとき。
汚いダミ声の悲鳴が響き渡った。
* * *
「見たよ。死ねよ」
固い響きを持つ男の声が耳に届く。
顔を向けると、長身で黒髪の青年が中年の男の手をひねり上げていた。
目鼻立ちの甘い色男で、さして強そうな外見ではないのに、存外力はあるらしい。捕まった男の方が明らかに重量がありそうなのに、喚きながら拘束する手に掴みかかってもビクともしない。
「離しやがれっっ」
「だめだよ。離すとまたやるでしょ。こういう腕は切り落とすのが一番だよ」
男がもう一方の腕を伸ばして青年に掴みかかろうとするが、その腕も片手で受け止める。頭突きでもせんばかりに顔を肉迫させる男に、にこりと微笑んだ。そして、思い切りよく振り上げた足を、腹部に叩き込んだ。
同時に手を離す。
男は街路に倒れこみ、したたかに背や肩を打ち付けていた。
すかさず、青年はその傍らに優美な仕草で片膝をついて、笑顔のまま言った。
「腕を切り落とすのが一番なんだけど。二度とああいうことできない身体にしてやるよ。両腕に呪いをかけといてあげる」
低い声で笑いながら言っているのが何やら底知れない。
手を出す隙はまったくないのでただ見ていると、背後で交わされるぼそぼそとした会話が耳に届いた。
「楽しそうだな殿下」
「あいつ基本的に、なんでも楽しそうだぞ」
女と男。どちらも明瞭な発音の美声だ。
(殿下……?)
振り返る。
緋色の髪の目覚ましい美女と。
とぼけた黒縁眼鏡をかけてはいるが、どう見ても空恐ろしい美貌の銀髪の青年。
先に目が合ったのは美女の方だ。おそらく「大丈夫ー?」という類のことを言おうとしたように見える。中途半端に唇をあけたところで不思議そうな顔をした。遅れて、青年も目を向けてくる。
背筋に寒気が走るほどの、清冽にして激烈な威圧感。
本能的に、この男はやばい、と思わされる何か。
「すみません。少しお時間いただいてしまいました」
そこに、先程の黒髪の青年が戻って来た。
彼は二人の男女の美貌に、なんらひるむことなく笑顔で話しかけ、ついで自分が代わりに仇を討った形になった少女を見た。
にこりと笑みを形作っていた瞳が見開かれ、ついで軽くしばたいた。
そして、どこまで意識的なのか。おそらく、思わずなのだろう、見る者の心を奪わずにはいられないような妙に開けっぴろげな笑みを浮かべた。
「あ……。ごめんなさい。えーと、昔の知り合いに似ていて。うん。でも、年齢的には彼女の娘くらいかな」
独り言のように呟いて、照れくさそうな笑みをこぼす。
(うそ、似てる)
それは遠い昔に死んでしまった誰かを彷彿とさせるような表情で──
でも、死んでしまったその人が生き返るわけがないし、たとえその人が生きていても青年とは親子ほど年齢が離れているだろうし、そもそも完全に別人。
我知らず焦って、あわあわしていたそのとき、注意深く事態を見守っていた美女が口を開いた。
「久しぶりすぎてちょっとわからなかったんだけど。アゼルか?」
ものの見事に名前を言い当てられて、息を呑んだ。
どっと全身から汗が噴き出す嫌な感覚に襲われつつ、首をかくかくとまわして顔を向ける。
「オレだよオレ。ロイドだ。奇遇だな?」
極め付けの美女が、細い顎をすっとひき、半眼の渋い表情をして少女・アゼルを見ていた。
ロイド。
普段思い出しもしない記憶の片隅に、その名前は確かにある。一族の中でも変わり者の若手ながら、年長者からは一目置かれていた。魔王ルーク・シルヴァと懇意にしつつ、一族からははじき出されることもなく、かといって積極的に戦争に自分の一族を差し出すこともなく絶妙な均衡を作っていた立役者。
ただのつまはじき者で、勇者の仲間に加わっても誰にもさして気付かれもしなかった自分の名前まで覚えているとは、その如才のなさ、さすがとしか言いようがない。
何もかも見通しているかのようなロイドを前に、アゼルは一歩後退した。肩が何かに触れる。誰かがいた。強張った身体をねじって見上げると、先程の黒髪の青年がボサっとした表情で見下ろしてきた。
「アゼル?」
「はい……?」
青年は美女の方を見て、確認するように尋ねた。
「もしかして、この子はお二人と同系統の魔導士ですか?」
「オレの親戚だ。長らく行方をくらましていたが」
言葉にいちいち力が込められている。
いろんな相手とうまくやれる彼は、情報通だ。交渉上手でもある。アゼルには予想もつかない交友関係をさばいている。要するに、「久しぶりに会った親戚」を簡単には逃しはしないだろう。事情聴取される。
(ええ~!? 言うの!? 絶対言わされそうだけど……!! 勇者と一緒に旅をして、魔王を倒すお手伝いしましたって……。言うの……?)
というか。
より大きな問題はその隣。もう二目と見る気もしない銀髪。明らかに、高位の魔族。
あれほど本能的に「やばさ」を感じる相手など、そうそうこの世にいるはずがない。
困ったな、とうつむくアゼルの横に、黒髪の青年が立った。
「普段、自分と別の流れを汲む魔導士の魔法にはあまり立ち入らないようにしているんですけど……。あなたがたは外見上の性別も年齢もある程度変えられる?」
ロイドは軽く溜息をついた。
「子どもの頃から魔力特性があると年の取り方は緩慢になる。だから、幼児が老人の姿をとるような、あまりに本来の姿からかけ離れた年齢にはできないが、男女を行ったり来たりするときなんかに、ある程度の誤差は出る」
「誤差は数十年単位? たとえば女性で十代、男性で二十代の姿の者は、二、三十年程度経過してもその誤差が縮まらないままということはありますか?」
「寿命に即せばそうなる」
アゼルが青年を見上げると、ちょうど青年が見下ろしてきたところだった。
端正な顔がくしゃくしゃに笑み崩れて、目は泣きそうなほど優しい。
何か言おうとしても、喉から笑いがもれてなかなかしゃべることができなさそうだったが、やがて小さく吐息してから言った。
「おかしいと思っていたんだ。ずいぶんこまっしゃくれたガキだったし。本当に十三歳かって何回も聞いたのに、そうだって言い張ってたよな。このやろう、よくもだましてくれたな」
憎まれ口を、ここまで親し気に、愛しそうに言う人をアゼルは見たことが無い。
まして、まったく知らない相手だというのに。
(魔族じゃない。人間よね?)
青年は首を傾げるようにしながら、アゼルの顔を覗き込んできた。
「ずっと気にしていたんだ。良かった、無事だったんだね。アゼルはしっかりしていたけれど、甘えん坊さんだったから。探そうにも、噂話すら聞こえなくて心配していたよ」
(誰?)
親し気な話しぶりも、蕩けるほどに甘い睦言のような囁きも、ただただ不思議でしかない。
なのに、嫌な感じがしない。
青年は慈しむようなまなざしのまま、続けた。
「今はどうしているの? 寂しくない?」
「寂しくない? って……」
戸惑うアゼルに、青年は穏やかに微笑んだ。
「どうしたの? アゼルにきゃんきゃん言われないと変な感じ。元気ないの?」
「誰だっけ、と思ってまして……」
視線から逃れたくて、顔を逸らしながら目をさまよわせる。
「そうか。ごめん。アゼルを見たら、すっかり安心しちゃって。この見た目じゃわからないか」
横を向けば、妙な困り顔のロイド。その隣の銀髪に関しては、意識して見ないようにして、黒髪の青年に目を戻した。
彼を見た瞬間、後悔した。
その目は、誰かに恐ろしくよく似ていた。
もう二度とは会えないと思っていた人だ。
感傷的な言い方をすれば、自分が人間側についた一番の理由であり、今も魔族の元に帰らない言い訳であり、生涯でこれ以上惹かれる存在はいないだろうと思っていた人に本当によく似ていた。
青年は、一度ロイドの方へと向き直って、きっぱりとした声で言い切った。
「ロイドさんの魔法について聞いてしまったので、オレも自分の魔法については言います。オレは前世の記憶がある。以前はステファノという名前で魔導士でした」
ステファノ。
胸の中で、たった今、あり得ないと自分に言い聞かせた名前だった。
アゼルは黒髪の青年を見上げる。
彼は、記憶にあるその人とは全然違う容姿ながら、とてもよく似た表情で品よく笑った。
「私だよ、アゼル。君にいつもぼんくらって蹴とばされていたステファノだ。覚えてる?」
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