第34話 近づくほどに
「お、なかなか似合うな。可愛い可愛い」
部屋で林檎をシャリシャリ食べていたロイドは、少女然としたクライスを見るなり言った。
「ロイドさん……僕、男なんですけど」
「その演技付き合わないとまずかった? 嘘だよね?」
「なに? 今の何!? なんで今嘘って断定しました!?」
「だって君、女の子だよね?」
会話が途絶えた。
返事待ちの間、シャリシャリという小気味好い音だけが空間に響いていた。
「えっ」
改めて、クライスは聞き返してみた。時間を巻き戻そうと試みた。
シャリッと林檎を齧って噛み砕いて飲み下してからロイドが言った。
「女の子だよね?」
「誤魔化されてくれなかったー!!」
「なになに? オレは何を誤魔化されれば良かったの? ごめんね、ちょっと話についていけてない。クライスは女の子だけど男だって言い張ってるあたりかな?」
「完璧に見透かされている」
ふらりと足元をふらつかせ、ドアにすがりつきながらクライスはさめざめとした泣き真似をした。
「そんなに女装が嫌なの?」
「嫌というより、女装だと、絶対に男に見えないので。長いこと女の子の服なんか着たことなかったけど、これはまずいよ……」
ロイドには悪意も何もない。
それがわかるだけに、ぐずぐず言ってはならないと思うのだが、すぐに切り替えることができずにぐずぐず言ってしまった。
「そうか。オレも今まで気にしたことなかったけど、そうしてみると完全に女の子だな。さっき受付で確認したけど、今日は他に部屋も余ってないっていうから、同室だ、悪いことしちゃった」
「悪いこと……」
男性であるロイドと同室。
それがどうした、と自分に言い聞かせる。
とはいえ、久しぶりに着た女性用の服というのは、ひらひらとして頼りない。ものすごく防御力が低そうで、これまで意識していなかったはずのロイドにまで、男性を感じてしまう。
まずい。
一晩一緒だと思ったら、変に緊張してきた。
相手が自分を女だと認識していて、なおかつ自分が女の子にしか見えない状況というのは何かがまずい。
「大体、なんで同じ赤毛で、体格もそんなに変わらないのに、ロイドさんは女の人には見えないんですか」
言われたロイドは、はて、というように首を傾げた。
「男性型だからな。人間が顔のどこで男と女を分けているかはわからないけど、この姿だと女には見えないんだよな」
クライスはドアにすがりつくのをやめて、ふっとロイドに視線を流した。
「もしかして、ロイドさんもリュート、いえ、ルーク・シルヴァみたいに女性型をとれるんですか?」
「うん」
だんだんだんだん、とクライスは足音も高くロイドに歩み寄った。
「ではロイドさんも女性になりましょう!!」
「なんでだよ」
「僕一人女装なんか恥ずかしいです!! ロイドさんも一緒に恥ずかしい思いをしてください!!」
「オレは別に女装しても恥ずかしくないんだけど……」
クライスの姿も客観的に見て何も恥ずかしいところはないよ? とロイドは極めて紳士的なことを言ったが、紳士ではないクライスは遠慮のない距離まで詰め寄り、まったく人の話はきかずに一方的に宣言した。
「決まりです!! ロイドさんも女性になってください!!」
一歩もひく気配がない。
少しだけ考えてから、ロイドはこくりと頷いた。
「わかった。いいよ。付き合ってあげる」
* * *
「『俺のものはクライスのもの』ここまではわかる。すべてを捧げているんだよな。しかし、『クライスのものは俺のもの』ここからわからない。なんで奪うつもりになってるんだ。取り返してどうするんだよ捧げる気は無いだろそれ。あげく『クライスの恋人は実質クライスみたいなもの』ここでかなりのひねりが入るよな。そして『クライスの恋人は俺の恋人』絶対に違うよな?」
広く野外に席を設け、頭上の木々の枝にいくつもの灯りを渡したレストランの一角。
ルーク・シルヴァはクロノスにこんこんと説明をしていた。
果実酒の入ったグラスを傾けながら、クロノスは「うんうん」と上機嫌そうに頷いている。
「おい。わかっているのか」
手ごたえのなさに、ルーク・シルヴァはつい低い声で脅しをかけるように言った。
クロノスは目を細め、酔いのせいかほんのりと上気した顔に蠱惑的な笑みを浮かべる。
「はい、見とれてました」
(聞いて無いだろ)
「……くっそ。頭が腐りそうだ」
道中も食事の間も常にこの調子である。
酒が入ってからは完全に悪化した。
ルーク・シルヴァの心中においては寒々しいことこの上ない。
「そんなに見とれたいなら、
「やめてください。それは絵面的に良くない」
杯を卓にカタン、と置いたクロノスは、潤んだ瞳で軽く睨みつけてきた。
「ルーナの何がだめなんだ?」
素朴な疑問として、ルーク・シルヴァは問いかけた。
多少幼い見た目ではあるが、酔いに任せて甘い美貌を全開放している今のクロノスに不釣り合いとは思わないのだが。
クロノスは椅子の背もたれに背を預け、腕を組んで薄く微笑みながら言った。
「クライスの恋人であるルーナが、例え相手が俺とはいえ、他の男とデートしているなんてありえないですよ。俺は俺を殺すか、俺はクライスだからまあいいかと割り切るかの二択しかないじゃないですか」
「俺そんなに飲んだかな……。さっきから度々お前の言ってることに理解が及ばないんだが」
本人がしれっとしているだけに、論旨に大回転やらひねりを感じている自分が間違えているかのような気がしてくる。まさか。
「あ。今の困ったような顔、良いですね」
少しでも隙を見せるとぐいぐい迫られる。
いつもの腹の探り合いより、数段面倒くさい。
可能ならば「おい、どうした」と言って早々に正気に返したい。
そう思いながら、結局この酔っ払いに付き合ってしまっている理由は、すでに思い当たっている。
(俺、前世のこいつの間接的な死因を作ってるんだよな……)
その時は敵同士だったから仕方ないとはいえ、この男の人生を少なからず左右したかと気付いてしまっているので、無下にしづらい。
「クライスはあなたのどこが良いんだろうと思ってましたけど……。正直、さっきから良いところしか見えなくて参りっぱなしです」
きらきらと潤ませた目でまっすぐ見つめながら、そんなこと言われても。
対応に困って、酒をあおれば「困ってて可愛いなぁ」と微笑まれる。
(疲れる。これから同じ場所に帰り同じ部屋で朝まで過ごすと考えると心の底から疲れる)
クロノスはルーク・シルヴァの心的疲労などまったく構わずに、いささか行儀悪く、卓に肘をついて身を乗り出してきた。
「ところで、あなたはクライスのどこが良いんですか……?」
「俺か? クライスのどこが、か」
(嫉妬深いくせに、自分は周りの男に警戒心がなくていいようにされている。強くなろうとはしているけど、正直まだまだ。魅力……?)
思いがけず沈思黙考してしまったルーク・シルヴァは、顔を上げてクロノスを見た。
「そういうお前はどこがいいんだ。なんで前世から今まであいつを追いかけている?」
「俺ですか? 可愛いところが好きです」
即答。
「他に……は?」
「他に、ですか。無いですね。前世では世界救ってましたけど、今回はそんな奇跡起こしそうにないですし。ただ単純に可愛い生き物ですよね」
いやそれはさすがに。もっと何か。
何か……。
(何かあるだろ。無いのか?)
「参考までに……。前世ではどういうところが?」
「答えられません。全部。何もかもです」
ふざけた様子は何一つなく、まなざしは痛々しいほどに真摯で、ルーク・シルヴァはいたたまれない思いから目を逸らした。
「クライスはルミナスとは別人だ。お前自身、それはわかっているようにも見える。そろそろ諦めないか?」
近場のテーブルに目をやると、紳士淑女の皆々様方とばちばち目が合う。相当に注目されている、と今更ながらにうんざりする。断じて自分のせいだけではない。
この、悪酔い一歩手前の黒髪の王子様も、魅力が駄々洩れで十分に人目をひいて余りあるのだ。
甘やかな笑みを浮かべたまま、ほんのりと表情を曇らせている。それがまた物憂く危うい。
(なんで俺の前で弱るかな、この男)
落ち込むならよそでやってくれないか、と切実に思う。
うしろ暗くて突き放せないことなんて知らないだろうに、本当にタチが悪い。
「諦めることはできないですよ。だってそんなことしたら、俺が俺でなくなってしまう。俺だって、忘れられるものなら忘れたかった。生まれ変わるときに。なのに覚えていて。そんなことになったら、ふつう、何か意味があるって思いますよね。また選ばれちゃったのかな、とか。あいつの為に命かける運命なのかなって」
「……重」
「だてに前世の記憶あるわけじゃないので。そこらの若造と一緒にしないでください」
(言っていることはわかる。意味が無いなんて思えなくて、意味を見出そうとしているうちに、それが生きる意味になる。気付いたら他の人生を考えられなくなるほどに)
「長居したな。店を変えるか」
まだ人の視線は痛いほど感じる。
これ以上、この男を目立つところに置いておくわけにはいかないな、と席を立つ。
「それは、今晩はとことん付き合うって意味ですか……?」
座ったまま、ぼさっと見上げてきたクロノスに、ルーク・シルヴァは溜息をついた。
「帰ってもすることがない。夜通し話に付き合わされても面倒だし、お前をさっさと潰す。立て」
「うわあ……。ぞくぞくするな。そうやってクライスも落としたんですか?」
溶け崩れるように笑いながら、クロノスも席を立った。
今は何を言っても、混ぜっ返されるだけだと、無視を決め込んでルーク・シルヴァが先に立って店内を横切る。
大股で進むそのとき、ここにいるはずがない人物の姿が、不意に視界をかすめた。
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