第33話 律儀で摩訶不思議

 クライスの知る限り、ロイドという人物は、大変親切である。


 今回はまた、気絶している間に宿屋に運び込んでくれていた。起きたら服を用意してくれていた上で、「この宿、小さいけど温泉がついてるんだよ。行っておいで」と送り出してくれた。

 地元民のクライスとしては「そーそー、この辺温泉地帯なんですよ」無駄に胸を張ってから部屋を出てきたはいいものの。


(温泉、どっちに入るんだろうね僕は……!!)


 一階の男湯と女湯の入口の前で我に返る。

 服を着ていればギリギリ男だが、脱いでしまえば本来の性別の姿となる。これはものすごく困った。そう思いながら、入口前で行ったり来たりして、いっそ一度部屋に帰ろうかとしたそのとき、抱えていた服を落としてしまった。

 このときまでろくに確認していなかったそれを、この時はじめてしっかりと見た。


(うっそ……なんで)


 白のワンピースだった。袖口にフリルのついたパフスリーブで、胸元を赤いリボンで編み上げており、腰が絞られた作り。コルセットをしめなくても綺麗に着れそうな意匠。ご丁寧に、下着まで女性もの。


「ロイドさん」


 頭痛がした。

 確かに、ロイドに自分が『男性』であるなどと、わざわざ説明したことはなかった。聞かれもしなかったし。

 そのせいで、見た目で判断したのかもしれない。『女性』であると。

 そもそもロイドはルーク・シルヴァ(リュート)の知人であり、クライスと彼との関係はなんとなく把握している節がある。であれば、男性であるリュートの恋人は女性であると考えても不思議はない。


 これが普通の状況であれば、「着れません」と返したと思う。

 だが、旅先で知り合いはいない。地元なので誰かに会う可能性はあるが、隣町という距離感は絶妙だ。

 男装で女湯に入るのは気が引けるが、すぐに脱いでしまって、出て来るときは女性であるなら問題ないのでは……。

 状況的に、温泉は入りたいし着替えもしたい。

 複雑な思いを抱えつつ、クライスは決断を下した。


 いざ、と足を踏み出したとき、女湯から出て来た人とすれ違った。肩が触れそうになり、互いに避けながらクライスは咄嗟に目を伏せ、もう一方は顔を上げたままちらりとクライスを見た。

 ほんの一瞬の出来事で、声を掛け合ったりはしない。

 ただ、視界をかすった面影にクライスは後ほどふと考えることになる。

 誰かに似た人だったような、と。


 * * *


 うん、とクロノスは明るい表情で頷いた。

 陽が落ちて、部屋の中には申し訳程度の灯りがひとつ。

 その薄暗い光の中で、ルーナの姿をかなぐり捨てて男性体となったルーク・シルヴァは、不機嫌そのものの表情でクロノスを見た。


「この服を選んだわけは聞かせてもらえるんだろうな」

「何でも聞いてください。あ……、やっぱりおっかないお兄さんの方だと思うと、口調まで緊張しちゃう。中身は可愛い女の子のルーナなのにね?」


(なんだこの食えない感じ)


 ルーナが、たまたま服に合わせて兄であるところのルーク・シルヴァに変化したととらえているのか。

 しかし、なぜその変化をすると考えたのか。

 ルーナが男性になるとしても、「兄」の姿になる必要は本来ないはずなのだ。なのにクロノスは完全に読んでいた。少なくとも、服を選ぶ前にはすでに。


 クロノスは男性の間にあっても背が高い方だが、さらに上背のあるルーク・シルヴァに対しては、上目遣いになる。間近で見上げて顔を覗き込みながら、目を光らせた。


「やっぱり、同一人物なんだよなぁ」

「何の話だ。ルーナが男性体になっただけなんだから、当たり前だろ」


 視線を避けるように顔をそむけたものの、横顔になお視線を感じる。

 クロノスは、しげしげと顔を見つめてから、すっとルーク・シルヴァの脇をすり抜けて、簡易の小卓に置いてあった黒縁眼鏡を手にした。 


「これ、度が入ってないんです。良ければ使ってください。あなたの顔は人目をひく。食事に行くだけで人だかりができそうだ」


 ポケットから眼鏡拭きを取り出して綺麗に拭ってから手渡してくる。

 顔が派手という自覚はあるので素直に受け取って、使おうかと持ち上げたところで、ルーク・シルヴァは何気なく呟いた。


「似てると思っていたけど、俺が持っているのと同じだな、これ」


 それに対して、クロノスは「なるほどなるほど」と頷いてみせた。


「クライスにもらったんじゃないですか」

「そうだ」


 にこっと笑みが深まった。

 まずい。果てしなくまずい。何か言質を取られた。

 ルーク・シルヴァの緊張を感じ取ったかのように、クロノスは穏やかに言った。


「王宮が飛竜の襲撃を受けたとき──たまたま、何らかの理由があって『ルーナ』は兄の姿である『ルーク・シルヴァ』の姿を借りて現れた、という可能性も少しだけ考えていました。つまり、本体がルーナで、ルーク・シルヴァという人は架空の存在か、もしくは実在しても別人としてどこかにいるのでは、と。でも、そういうわけじゃなさそう。少なくとも、クライスが恋人として認識しているのは『ルーク・シルヴァ』の方で『ルーナ』は後付けなのかな……」

「なんの話をしているんだ」

「その眼鏡は男性用です。クライスがルーナに選ぶとは考えにくい。ルーク・シルヴァに贈る方が自然だ。つまり、クライスの中ではルーナとルーク・シルヴァは同一人物なわけだ。……オレから見てもその線で間違いないんだけど」 


 正解。

 ルーナに男性の服を渡して着るかどうか確かめるだなんて、少し力技過ぎないかとは思ったが、クロノスの中では明確な仮説があり、確かめたに過ぎないようだ。

 何故だかわからないが、いち早くそこに気付いてしまったらしい。


(こいつの目には何が見えてるんだ。かなり鋭いな)


 鋭くはあるが敵意も悪意も感じないので、緊張は解いた。解せない気持ちは以前として残る。


「何が決め手なんだ」


 短く尋ねると、顔を上げたクロノスが真面目くさった様子で言った。


「魂の形が見える。なぜルーナとルーク・シルヴァは同じなのだろうと考えていたけど、同じ人間なんだ」


 手持無沙汰で、後ろ髪を指で梳いて束ねようとしていたルーク・シルヴァは無言で聞いていた。


(人間では、ない)


 さすがに言えない。

 クロノスは声に詠嘆を滲ませて言った。


「クライスが男もいけるとわかっていたら、俺ももう少し積極的に行くべきだったかな。遠慮しているうちにアレクスには先を越されるし、いつの間にか『男』までいるし。いや、遠慮している時点でオレにはじめから勝ち目はなかったんだ」


 滔々と語っている様を、ルーク・シルヴァはぼさっと見てしまったが、つい気になって口を挟んでしまった。


「『魂の形が見える』と言ったか」

「見えるよ。見ようとすれば。無意識無自覚な能力ではないから、限られた人間しか見ないけど。ここぞという相手のことは見る。クライスとルミナスが同一人物だって気付いたのも決め手はそれだ」


 おそらく、その能力はきちんと役割を果たしている。

 だとすれば言わずにはいられない。


「お前……、魂レベルで物を考えるせいか、変なところで疎いよな」


(なんでクライスが男だって嘘は律儀に信じているんだよ。そこは気付けよ)

 

 言葉にはせず、胸の中で盛大に毒づいてしまう。

 ついでに、ルーク・シルヴァの本質が人間ではないことにも気付いていないらしい。

 魂とはそこまで種族間の差異すらならして無効にしてしまうものなのか。

 とりあえず、宮廷魔導士リュートまでは、まだたどり着いていないと考えて大丈夫かもしれない。


「ところでお腹空いてませんか? 外に食べに行きましょう。さっき美味しそうなお店を見つけたんです」

「わかった」


 特に準備も無かったので、ドアに向かうクロノスの後に続いてルーク・シルヴァも歩き出す。


「それにしても、オレは男になる必要はあったのか……?」


 まんまと検証を許してしまったが、クロノスは『ルーナ』を気にしているそぶりだったのに、消してしまって良かったのだろうか。それこそ『おっかないお兄さん』と一晩過ごすことになって納得はしているのか。

 背を向けたまま、クロノスは答えた。


「お互いにその気もないとはいえ、女の子と同室ってやっぱり落ち着かないです。あと、この宿、実は温泉があるんですけど……。あなたの中身が男性だと知って、他の女性もいるであろう女湯をすすめるわけにはいかないから」

「お前、本当に、無駄に律儀だよな」


 聞いてるそばから、言わずにはいられない。

 そんな、意味があるようで実は全然無い理由で検証されたのか。

 クロノスは、ドアノブに手をかけてから、肩越しに振り返った。


「あとで一緒に温泉行きましょうか? お背中流しますよ」

「王子だろ。流されることはあっても、流すことはないだろ、普段」

「俺、尽くすの好きだから」

「俺に尽くしてどうするんだよ」


 すると、クロノスは甘く微笑んで言った。


「俺は前世から勇者に自分のすべてを捧げているし、今生でもそう。俺のものはクライスのもの、そしてクライスのものは俺のものでもある。クライスの恋人は実質クライスみたいなものだし、俺の恋人ですよね」

「すごいねじ曲がり方だけど、大丈夫か……?」


 クロノスは答えずに、ふふっと笑みをこぼしてから背を向けてドアを開けた。

 自分の強さには自信のあるルーク・シルヴァは、身の危険こそは感じないものの、釈然としない思いを抱く。

 それこそ「この男、何だか嫌だ」という感覚はどうしても拭い去ることはできなかった。


 クライスがこの男のことを苦手としていた理由がよくわかる、と心の底から思ってしまった。

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