第27話 エピソード0(後)

 たとえば空に輝くあの星のように。

 気になっていた人が、ものすごく美人だったら、どうする?


 リュートの素顔を知ってからは、クライスはその点について悩み抜いた。

 美人だから気になったわけではなく、あくまで近づいたら美人であることを知ってしまっただけ。本音を言えば、どんな顔かは興味があったが、顔に用があったわけではないので「あそこまでじゃなくても」と思った。ずっと思っている。 


 それとなく、友人の話だなどと偽って周囲に聞いてみたこともあったが、まず「顔も知らない相手を気になる」状況が理解されない。そいつは文通でもしていたのかと聞かれるが、そういうわけでもない。


 * * *


「そうだなー。嫌いな顔じゃないなら、好きだと言っておけばいいんじゃないだろうか。美人すぎてひいた、と言われて喜ぶ美人はいないだろうし」


 カインはそのように言っていた。


(もう遅い。言ってしまった)


「その人が自分の顔を面倒に思っていそうでも?」

「それなら、なおさら言っておいた方がいいんじゃないか。美人が自分の顔を疎ましく思う理由なんて、嫌な過去でもあるとしか思えない。それで自信を失ったりするのは勿体ないだろ」


(そういうものかな。あの人は実際、自分の顔がどうこうなんて考えてなさそうに見える。それでも僕は誉めて誉めて誉めまくっておくべきなのだろうか。ちょっとチャラ過ぎない? それでも言わないよりはマシなの? 僕自身はどうだろう……。綺麗とか可愛いとか。言われると実はちょっとうんざりしている)


 かっこいいとか、強いと言われるのは好きだ。

 あの人に対してはどうしよう。そばにいたい。

 好きかどうかは考えないようにしている。仮に好きだとしても、どうにもできないから。

 たとえば空に輝く星のように。手が届くなんて思っていない。ただ心の中ではどう思おうと自由のはず。


 * * *


 リュートとはいつも裏の森で会った。

 不思議と、食堂などで顔を合わせることはなかった。廊下ですれ違うこともない。


「ここ以外では遭遇しないね」


 木に登り、上下に分かれて昼寝しつつ、下の枝で寝ているリュートに聞いてみた。

 木漏れ日の仄かなぬくもりが心地よいが、風が吹くとさわさわと葉擦れの音に光が舞って少し眩しい。


「ここで会って話している。それで十分じゃないか」

「そうだけど……」


 きっかけがなく、宮廷魔導士リュートが友達であると、近衛騎士の面々には言いそびれている。べつに言う義務もないのだが、秘密が増えてしまったような座りの悪さがあった。


「前はさ、結構すれ違っていたと思うんだよね」

「ふーん。お前、実は気付いていたのか」

「気付いてって、何を?」


 リュートに気安い調子で言われて、本当に何の気なしに聞き返した。


「さて、何かな」


(流された……。リュートもすれ違っていたことに自覚的だったってこと? たしかに僕のことを覚えていた。それはどんな理由があって? 僕は灰色魔導士のことを気にしていたけど、リュートは何を?)


「リュート」


 聞いてみようと下を覗いたら、顔がフードに隠れていなくて、翡翠の瞳に見つめ返されてしまって。

 いつから見ていたんだろうと思っているうちに身体が不安定な木の上でバランスを崩した。


 とすっ。


 軽い音を立てて落下して、リュートに危なげなく抱き留められる。


「お前、いきなり落ちてきたら俺も落ちるだろうが。気を付けろよ」


 思った以上に、固い胸板の感触だったり、身体に直接響く声に震え上がらんばかりに慌てて、胸に手をついて起き上がる。「それ痛い」とリュートの右手に手首を掴まれて、はずされた。重心を失ってかくっとしたはずみで再び胸に飛び込んでしまいそうになる。顔が近づく。

 そのとき、リュートの左手の指先がごく微かに、首に触れた。


「……なに!?」

「怪我はないかと」

「首に!? ないよ!?」

「そうだよな。うん。綺麗な首だよ。顔も綺麗だな、近くで見ても」

「綺麗!?」


(普段そんなこと全然言わないくせに、不意打ち!)


「リュートだって顔、超綺麗だよ。女の子だったらやばかったね!」

「女にもなれるけどな」

「……え? それって、どういう……」

「魔法で女性型もとれるってこと。お、なんだいま想像したのか?」


(しました。たぶんとんでもない美人……)


 間違いなく、王宮中の話題をさらってしまう。

 空に輝く数多の星々さえ、きっとかなわない。


「見たいけど、人には見せたくないな。絶対、いろんな人が興味を持っちゃう。僕の手の届かないひとになってしうまうくらいなら、リュートの素顔を知っているのはこの先も僕だけでいい」


 思わず本音が口をついて出てしまい、(なんでひどい独占欲)と、クライスは自分自身でも辟易した。

 リュートは口元に微笑を浮かべると、目を伏せ、クライスの背に腕をまわして力を込めて抱き寄せながら言った。耳元で。


「お前がそう望むなら、俺はそうするまでだよ」


 声が直接耳に注ぎ込まれるという強烈な体験に、心臓が追いつかない。

 クライスは、リュートの腕から逃れて木から落ちた。

 完全に落下して激突する前に、リュートの魔法が働いて衝撃を消した。


「びっくりさせるなよばかーっ!!」


(冗談でもきついってそういうの!!)


 見上げたクライスの視線の先で、リュートが木の枝からひょこっと顔を見せた。


「そうだ、今度何か眼鏡のお礼をする。しそびれていた」

「お礼……あの眼鏡使ってるの?」

「使ってるし、今も持ってる。助かってるよ」


(素直……!)


 本当はなぜかクロノス王子とお揃いになってるみたいだし、やめたらって言いたかったけど、木の上から眼鏡をかけてみせてにこっとされるともう何も言えなくなる。


「じゃあ考えておくね! 何かこう」

「なんでもいいぞ。たいていのことなら叶えてやる」


(そういうこと普通言うかな。あの顔で、あの声で、そういうこと言ったら誰だって期待するよ。そういう性格なの? ただ一緒にいるだけ、それだけで他には何も望まないのに。どうしてリュートはいつもちょっと攻めてくるんだろう。ひくにひけなくなる。からかってるなら許さない。覚えてろよ)


 決意を胸に。

 返り討ちにあう未来など、もちろんその時点で思い描いているはずもなく。


 * * * * *


 クライスが立ち去った後、リュートは木の枝の上でバランスを取りつつ、深い溜息をつく。


「素顔を知っているのは僕だけでいい、とか……。ちょいちょい煽ってくるのは、どういうつもりなんだ。魔王と勇者で前世で殺し合ったくせに、そんなに俺に興味津々で何がしたいんだよ。何が気になっているんだよ」


 ご丁寧に変装用の眼鏡までくれた。親切。

 ぼやきながら、ふと自分の手を見て、先程触れた彼の首の、なめらかで傷一つない肌を思い出す。


「前世は、前世だからな……。関係ねーけど」


 その呟きは、もちろん彼にも、誰にも届かずに深い森の緑の大気に溶けていった。

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