第20話 王子の本分

(寝過ごした……!)


 がばっと寝台の上で跳ね起きる。

 すでにアレクスは椅子に腰かけ、女官に髪を梳かれながらカップを傾けお茶を飲んでいた。


「僕、朝の警備がっ」


 慌てて寝台から飛び降りると、アレクスがおっとりと笑って言った。


「すでに隊長に人員の変更の指示を出してある。このまま、ここで身支度をして行け。まずは顔を洗った方がいい。髪がすごく跳ねてるぞ。そんななりで王宮を歩かれては、近衛騎士の名折れだ」

「本当に申し訳ありません。うわー……」

「そんなに慌てるな。よく眠れるように、催眠効果のある香を使ったんだ。寝過ごしたとすればそのせいだよ。以前、対魔族に使われていた戦闘用小道具の市販品なんだが、クライスは耐性がなかったようだ。効き過ぎたんだな」

「……そ、それはそれで情けないと言いますか……」


 部屋の中には二人の女官と男性の側仕えが一人いたが、いずれも品の良い笑みを浮かべている。恥ずかしい。


「昨日着ていた服は、普段使いではないよな。ちょうどいい、新しく採用する予定の隊服が出来上がっている。着てみて欲しい。サイズはお前に合わせているんだ。用意してくれ」


 アレクスはクライスの気まずさには触れずに、穏やかに話しながら、側仕えの者に指示をした。

 もはやすべてが流れるように進んでおり、クライスもぐずぐず言うのは得策ではないと、従った。

  

(新しい隊服……)


 新設の部隊用ということで若干警戒したが、特に女性的な意匠のものではなかった。白の襟の高いジャケットに、膝丈で動きやすい同色のズボン。青い縁取りや金色のボタンが嫌味なく配置されている。 


「着てみましたが、どうですか」


 衝立の影から姿を見せると、本を読んで待っていたアレクスが立ち上がって近づいてきた。上から下まで、無言のまままじまじと見つめてから、小さく息を吐いた。


「想像以上に似合っている。お前が着るイメージで作らせただけあるね」

「畏れ多いです」

「それでは、軽く朝食にしよう。部屋でとるから付き合ってくれ。昨日の話の続きが残っている」


 無駄のない話しぶりの中に、しっかりと用件が組み込まれていて、断る方便はあらかじめ封じられている。


(昨日から完全にアレクス様のペースだ) 


 これまで邪険にしまくってきた罪悪感もあり、強く出られないということもあったが、ずぶずぶと沈められている気がする。そこに悪意を感じないから、余計に始末が悪い。うっかりすると好感を抱きそうになる。

 結局、部屋で向き合って食事を取り、新しい部隊の編制について意見を求められて、クライスなりに思うところを話しているうちに時間が瞬く間に過ぎた。「この続きはまた今度、ぜひ」とアレクスに切り上げられて、自分が白熱して話し過ぎた、と気付くに至る。おそらく、アレクスの相槌が心地良過ぎたのだ。


「さて、せっかく和解をし、有意義な時間を過ごすことができたこともあるし。私も、一つ面白いものを見せようと思う」


 締めのお茶を飲み干しながら、アレクスが悪戯っぽく言った。


 * * *


 夜間の警備を終えて、勤務を離れた近衛騎士の数人が王宮内の一般兵と押し問答をしていた。

 中心となっているのは、見た目にも明らかに顔を怒らせたカインである。

 ぶらりと王宮内の廊下を流していたロイドとルーク・シルヴァことリュートは、何事かと興味をひかれてその場に近づいた。


「アレクス王子にお伺いしたことがある。どうしても聞けないと言うのなら、押し通るまで!」

「落ち着いてください、カイン殿。アレクス様は間もなくお越しになります。部屋に乗り込むなどというのは、さすがにあなたでも許されませんよ」

「部屋に用があってな。今すぐ。そもそも、アレクス王子にしては今日は起床が遅いようではないか。普段ならとっくに姿を現している時間だろう」

「ですから。今日は部屋で朝食をお取りになっているので」


 互いに譲る様子もなく、睨み合っている。

 好奇心の塊であるロイドが見逃すわけもない。

 リュートは波乱の予感に諦めの溜息をついた。


「なんの騒ぎ? なんかあったの!? 昨日一緒に戦ったよしみで教えてよ!」


 強引。

 恩をたてにぐいぐい迫る。かえって嫌われるぞと思うのだが、そこを押し切るのがロイドの奇妙な天真爛漫さである。

 兵士たちがぎろっと目を向けてくる。

 その中でカインが、ロイドではなくリュートに気付いた。


「昨日の魔導士殿か。ルーナ殿の兄上という噂だが、本当なのか?」

「なんだ、耳が早いな。そうだよ、妹が何やら世話になってるそうで」


 しれっと応じたリュートに対し、カインは大股に距離を詰めてきた。


「妹殿の彼氏が一大事だ」

「妹の彼氏って……まさかあの、ちっこい近衛騎士のことか」


(クライスお前何してんだよ)


 カインの剣幕に、嫌な予感が背筋を通り抜けていく。


「そうだ。クライスが昨日、隊舎に戻らなかった。最後の仕事はあなたを部屋に送り届けることだったと聞いているが」

「そうだが、帰したぞ」


 さらに嫌な感覚が深まっていく。


「兄上殿を疑っているわけではない。クライスの早朝警備の交代と、今日一日の予定に関しての指示は第一王子のアレクス様から出ている。どうも、クライスはアレクス様の元で一夜を過ごしたらしい」


 そばで聞いていたロイドが、腕を組んできょとんとした顔で言う。


「何か問題なのか? 第一王子ってあのアレクス王子のことだろ。オレは結構良い奴だと思っ」


 リュートの様子がおかしい。不穏だ。と気付いて、ロイドは途中で口をつぐむ。


「王子のもとで、あのちっこいのが一夜を過ごした、だと……?」


「間違いないだろう。王子は以前から『男でも構わない』とクライスへの思いを明らかにしていた。部屋に引きずり込んで一晩何をしていたことか」


 直截的な表現はなかったものの、その場にいた者の想像をかき立てるには十分な内容であった。


「あの王子様、意外と手が早い感じなんだ。で、あの騎士が『ルーナ』の恋人で……? なに、つまりあの騎士は女の恋人がいながら、男と浮気してるってこと? うわっ」


 がしっとカインに両肩を掴まれて、ロイドが短く声を上げた。


「浮気ではありません。クライスはもともと恋人一筋、王子は眼中になかったんです。何かあったとしても、同意の上とは思われません」

「なるほど。洒落にならないね」


 そのとき、兵士たちがリュートに「おやめください」と声を張り上げた。

 昨日の今日で、リュートが恐るべき魔法の使い手という噂はすでに王宮内の皆が知るところであったし、何より迫力の容姿で眼光も強い。抑える側もかなり腰がひけていたが、なんとか職務に忠実であろうと踏みとどまっているようだった。


「通してもらおう。俺は王子と騎士に話がある」


 聞いていた者が思わず身をすくめるほどの、冷え切った声音であった。


「おやめください、何卒……!」


 兵たちは、ほとんど悲鳴のような懇願を繰り返すばかり。


「なんの騒ぎだ」


 騒然とした場に、落ち着き払った声が届いた。

 全員の視線を集めて、アレクスが悠々と歩いてくる。

 その後ろには、見慣れぬ白の隊服を着こんだクライスが従っていた。

 すぐに、カインが進み出た。


「王子! これはどういうことですか!? どうしてクライスを引き止めたりしたのですか。まさか、アレクス王子ともあろう方がそんな手に出るとは考えもしませんでした!」

「まず、落ち着け。何やら勝手に幻滅されているようだが、クライスとは話をしていただけだ。お前たちが何を考えているかは……。わからないでもないが、下衆の勘繰りというものだ。やめておけ」


 あまりにも堂々とした態度に、カインがぐっと息を呑む。

 やりとりを見守っていたリュートは凍てつくようなまなざしを、クライスに向けていた。

 気づいたクライスは、心配させまいとでも思ったのか、場違いなくらいにふんわりと笑った。

 無論、傾ききったリュートの機嫌がその程度で持ち直すことはない。


「まったく、お前らの血の気の多さにも少々困ったものだ。そんなに言うなら、ひとつ剣の試合でも受けて立とうか。この機会に私を打ち滅ぼしたい者は遠慮せずにかかってこい」


 誰も納得していないだろう空気をよく読んでいたアレクスが、不意にそんな提案をした。


「アレクス様……?」


 真意を伺うようにカインが声をかけるも、アレクスは鷹揚に頷くのみ。


「私とて、所属は近衛騎士隊にある。たまには腕を披露しておくのもいいだろう。我こそはと思う者はついて来い。中庭だ」


 言うなり、アレクスは身を翻す。歩く速度が存外に速い。

 何か言おうとしていたクライスだが、周囲に視線をすべらせる。

 険しい顔をしたままのリュートに目を向けて、早口に言った。


「そういう感じなので、皆さんどうぞ中庭に! 王子がお相手してくださるそうです!」


 それまでとは考えられないほど王子に友好的な態度のクライス。

 皆が大いに戸惑う中、それ以上の弁明もなくばたばたと王子に従って去ってしまう。

 見送った面々は、払拭しきれない不穏な空気を持て余しつつ、誰とはなしに「クライス……?」と呟くも、無言のままのリュートが動いたのを見て、我先にと後を追いかけた。

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