第19話 人攫いの夜(後)

 見覚えのない部屋。

 ざっと目を走らせて、品よくすっきりと整った内装や調度品を確認。

 まずいことになったと、直感した。


「手を放すが、まずは落ち着いて欲しい。もう夜も遅いし、大きな声は慎むように。私はお前と少し話をしたいだけだ。誓って、妙な手出しはしない。近衛騎士のクライスとして、聞き分けてくれ」


 耳元でごく落ち着いた声が囁く。

 それが誰か、理解した瞬間に「うううう」と抗議の叫びが突き上げてきたが、予期していたようにおさえこまれる。


「この話し合いを、どれだけ早く終わらせるかはお前にかかっている。いいか、手を放すが、わめいて時間を浪費するのは勧めない。冷静さを取り戻せ。ここが戦場だと思ってもいい。カウントするぞ。三、二、一。放す」


 宣言通り、口をおさえていた手も、身体を抱き込んでいた腕も放して、その人物は速やかに身を引いた。

 怒っていたし、抗議したかったし、こんなやり方は卑怯だと言いたいことはたくさんあった。だが、近衛騎士として冷静であれと言われたのが決め手となった。

 すぐに身体をひねって向きあい、真正面から睨みつける。


「用件だけうかがいます、アレクス殿下」

「座れと言っても聞きそうにないな。では、単刀直入に言おう。クライス、お前を現在の近衛騎士隊から外そうと考えている」


 クライスはぎりっとまなじりに力を込める。

 深い呼吸で声を落ち着かせてから口を開いた。


「理由を。まさか」

「プロポーズの件は悪かった。あの時はあれしか打てる手がなかった。その後私なりに動いて、現実的な目途がついた。お前は私を避けていたので、なかなか話す機会がなかったが、計画はだいぶ進んでいる」


 すでに礼装はといて、長衣に布のベルトをしめた寛いだ姿のアレクス。

 肩をすべった長い黒髪を軽く首を振って払ってからソファへと視線を向けた。


「座らないか? 今日は朝からずっと休んでいないだろう」

「お気遣いありがとうございます。鍛えているんで、平気です」


 クライスがすげなく返すと、「そうか」と答えて、アレクスは部屋の中へ進む。クライスは真意を掴みかねて、追うか追うまいか逡巡した。見透かしたように、アレクスが振り返らずに言った。


「あまり大きな声を出したくない。お前が来い」


 支配階級らしい物言いに、クライスは内心の反発をぐっと堪えつつも無駄な問答を避けるべく従った。

 アレクスは一人掛けのソファに腰を下ろすと、目だけでテーブルを挟んで向かいの広いソファをクライスに示す。アレクスのペースになりかけているのを警戒しつつ、クライスも腰を下ろした。


「話が見えていません」

「そうだろうな。簡単に言うと、女性の要人警護を担当する、新たな部隊を編成するつもりだ。お前にはそちらを任せたい」

「女性の……? どうして僕を」


 アレクスは目を閉ざすと、軽く眉間を指で揉んで言った。


「この場でそれを言いたくはない。ただ、お前が入隊するときには近衛騎士隊には女人禁制のしきたりがあり、苦労をかけたな、とだけ言っておこう」


 クライスは目をみはったが、ひとまず沈黙を選んだ。


(この場でそれを言いたくはない、とは……?)


 言葉の意味の浸透を待ったように、アレクスは目を開くとクライスに視線を流した。


「女性の兵士を中心に組む新しい部隊。他の部隊より明らかに練度が劣るというわけにはいかない。その点、近衛騎士隊で腕を磨いたお前を上に据えられれば、計画には非常に都合が良い」

「僕は近衛騎士隊でいたくて、今までやってきたんですが」

「たしかに、国内最高峰だからな。のみならず『聖剣の勇者の国』の名にかけて、周辺諸国に比肩する部隊はいないとの自負もある。とはいえ、新設の部隊をどこまで鍛え上げられるかはお前自身にかかっているんだ。近衛に負けたくなければ、そうあるように隊の者を鍛えればいい」


 言われている内容を検討する。

 筋は通っている。


「アレクス様とは今までまともに話したことがありません。あの件もありましたし、心情的にはまだ反発があるのですが、お考えには賛同します。僕をそこに異動というのは……。近衛騎士隊に未練があるので、すぐには納得できないんですが」

「理解しているつもりだが、自分が伸び悩んでいる自覚はあるだろう。少し環境を変えた方が良い。さしあたり、王宮内に部屋を用意するから、隊舎も速やかに出るように」

「そんな、急にですか……!?」


 これってそこまで差し迫った話なんですか、という意味で問い返したのだが、なぜかアレクスには無言で見つめ返された。

 沈黙が重い。

 ややして、アレクスは溜息をひとつついた。


「近衛騎士だからといって、誰もが高潔で人品卑しくなく明朗闊達で裏表なしというわけではない。あまり言いたくはないが、少し前から、お前が『本当に男か』確かめたがっている連中がいる。母上もだいぶ気にかけていた。お前は目立って優秀だったから、もしものことで失いたくない。そこで、私の思い人ということにでもしておけば、最悪の事態は避けられるのではないかと手を打ったつもりだ。燻っている連中より、お前自身の反発が大きくて、少々手に負えなくなっていたが」

「それが理由でしたか」


 いきなり平伏することはできなかったが、理解が進むにつれ申し訳なさは感じた。


「しつこくて嫌な男だとばかり思ってました」

「思っても言うな。本人の前だぞ」


 ツンと顔を逸らしてそっけなく言ったアレクスだが、クライスが重ねて何か言う前に、耐え切れなかったように小さく笑いをもらした。


「まさか、あてつけの為に女性の恋人を連れてくるとは思ってもいなかった。隊から信頼のおける者を見繕って、念のためお前には護衛をつけていたんだが。お泊りデートの報告が上がったときは、さすがに考えてしまったな。楽しかったか?」


 クスクスと笑いながら言われて、クライスはいささか情けない気持ちになりつつ答えた。


「そこまで気を遣って頂いていることにまっったく気付かず……。隊の誰が僕担当だったかも把握できていないのが痛恨の極みです。でも、ルーナのことは、あてつけとは言わないでください。きっかけはたしかにそうでしたけど、好きだからお願いしたんです」

「そうだな。それも、彼女を実際に見てわかったつもりだ。しかし、兄というあの男とは話せたか? あれはただ者じゃないぞ。あの若さであの魔力。何より、魔族との交戦経験があるかのような態度が気にかかる。もしかしたら、ルーナともども、今後とんでもない出自が明らかになるかもしれないぞ」


(アレクス様の目からみても、やはりなるか)


「今まで、彼女に詳しい素性を聞いたことはなかったんです。覚悟はしています」

「そうだな。好きだけでは乗り越えられない、かなり厳しい事情が立ちはだかるかもしれない。彼女ともよく話し合っておくことを、強くすすめる。誤解やすれ違いほどつまらないものはない。払える不安は払っておけ」


 人を落ち着かせるような、深みのある声。

 裏を探るのも馬鹿らしくなるほど、言葉には誠意がある。


「今まで、王子を避けてきてしまって。どんな人かもわかってなかったのに。僕が馬鹿でした」

「私はそうは思わないよ。警戒するのは悪いことじゃない。先に誤解されることをしたのは私だしね。さて……話はだいたい終わった」


 きっぱりと言われて、クライスは居住まいを正した。

 アレクスの人柄にひかれるものを感じ、長く避けてきたが為にできてしまった溝をもっと埋めたい気持ちはあったが、こんな夜更けにぐずぐずしてもいられない。

 しかし、今にも部屋を辞そうというクライスに対し、アレクスがふと目を細めて言った。


「提案だが、今日はこのまま、ここで過ごさないか?」


 真意のよくわからない話に、ほぼ考えなしに答える。


「そういうわけには」


 気にした様子もなく、アレクスが続けた。


「断られるのはわかって言ってる。これも、下心はないものとして聞いて欲しい。今日はこの後も隊舎は落ち着かないはずだ。湯を使うタイミングも掴めないだろうし、それとなくお前につけている護衛にも今晩はさすがに余力はない。こういう、ざわついたときは危ない。気になるなら、私はこの部屋を出てどこかに行っても良いから、朝まで休んでいけばいい」

「殿下が良い人すぎて戸惑います。心配してくださってるのは理解しました。これ以上お気持ちを煩わせたくないので謹んでお受けしますが、王子もどうぞこのまま。ここは王子の部屋です。どこにも行かないでください。僕は床で寝るので十分です」

「物資の乏しい前線ならいざ知らず、必要な物の手配が容易な我が城で、そんな風に部下をいたぶる趣味は持ち合わせていない。湯と着替えを頼もう。寝台は簡易のものを入れる。私の誠意を受け取るつもりがあるのなら、何も心配せずに眠るといい。手は出さないからね」


 重ね重ね……と言葉もなく腰を折って礼をしたクライスに「気にするな」と鷹揚に言って、アレクスは側仕えの者を呼び、手配を開始した。

 すべて快適に準備されてしまい、湯を使って着替えをすませ、さて丁重にお礼を言って寝よう──

 という段になって、クライスは打ちのめされることになる。


 自分が寝るはずの簡易の寝台にはアレクスが安らかに寝ていて、なんとか声をかけて起こすも「お前はあっちだ」とアレクス自身の天蓋付きで豪奢な寝台を指し示された。

 無理です、だめです、という言葉はまったく聞き入れられず。

 どうしてこうなったと畏れ多さに震えながらアレクスの寝台で寝る羽目になった。


(緊張して眠れない) 


 そう思ったのは、本当に一瞬。

 神経を休めるような香が枕からほのかに漂っており、深く呼吸したのを最後に眠りに引きずり込まれた。

 長い一日の終わりは、静かで温かかった。

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