第6話 Magic mirror on the wall,(前)

 もし魔族がまた台頭したら、クライスは聖剣を手にするんだろうか。


 がむしゃらに身体を鍛えて、腕を磨いているのは、来るかもしれないその「いつか」に備えているんだろうか。

 こなかったらどうする気なんだ。

 この世界は、あの頃に比べたら平和だぞ。魔王もいないし。

 それなのに、戦いに生きようとしているクライスの最終目標はなんなのだろう。


(きっかけはその辺だ。こいつから目を離せなくなった理由)


 勇者の魂がいる──気付いて、気になって。知り合って、いつの間にかこんな近くまで。


 寝返りを打ったクライスが、左腕に乗り上げてきた。

 リュート自身、半覚醒状態。クライスを起こさないように腕をずらしているうちに、首を支える形になって、腕枕になってしまった。


(男の身体には慣れてるようなこと言ってたし、本人的には「男同士」なわけだから、男性型の俺と接する分には問題ないはず)


 眠さを堪えて薄く目を開けると、楽な姿勢を探すようにクライスがもぞもぞと動いていた。落ち着くとすぐに安らかな寝息を再開する。顔が思った以上に近い。薄暗がりの中、首の白さが目についた。


(ごめんなあの時は。痛かったよな。命を落とすほどの物理攻撃)


 今でもルミナス──勇者の死に様を思い出すと苦い後悔が胸に満ちる。クライスには関係ないことだけど。

 当然、この先も知ることはなく、何事もなければ年老いて死んでいくだろう。せめて自分はそれを見守ろうと思う。

 クライスが再びゆるく動く。


「う……ん……」 


 うなされているような、悩ましい吐息をもらしている。リュートは腕を傾けると、クライスの身体を胸に抱き込んだ。寒いのかな、と。他意なく。

 クライスもまた、すがりつくようにリュートに頬を寄せた。胸に触れた鼻先が冷たい。リュートは右手の指で軽くつまんで温めてから、ひとり微笑を浮かべて眠りに落ちた。


          *


「リュート……、リュート、起きて。リュート……、お願いだから起きて……! リュートってば……!」


 どこか遠くから呼ばれている。

 覚醒に向かうにつれ、遠いどころか、近い、と気付いた。

 重い瞼をなんとか持ち上げてみると、クライスの顔が目に入った。なぜか頬や目元が真っ赤だった。


「どうした。お前、熱でもあるのか」


 左腕の上にクライスが乗り上げているので、右手で目をこする。

 ぶれぶれの視界で、クライスがくわっと口を開くのが見えた。


「僕のことはいいから! これ、どうなってんの……!? なんでリュートが裸で、男で、一緒に寝てるの!?」


 先に目覚めて、文句をつける為にそのまま待っていたのだろうか。

 そんな陰険な性格だったけ、と考えつつ、左手に伝わる感触を思うにつけ、クライスの身体ががちがちに固まっていることに気づく。


(もしかして動けなかった? 俺を起こすと思ったから? いや、起こしたかったんだよな??)


「一回起きたときに、男に戻った。服は着ていられないから脱いだ。この状況は、お前が転がり込んできたから受け止めた、と思う。何が問題?」

「問題っていうか……。びっくりしただけ!」


 声を荒げると、勢いまかせのように飛び起きる。

 その拍子にリュートにかかっていた掛け布がずれて上半身がほぼあらわになり、目撃したクライスは瞬間的にさらに顔を赤らめると、裸足のまま寝台から抜け出て行った。


「……そ、そんな無計画に戻っちゃって、服とかどうすんの……っ」


 顔を逸らした上に目まで瞑って聞いてくる。

 どういう反応だ、と首を傾げつつリュートは答えた。


「考えてなかった。何かその辺のローブでも借りて」

「無理だよ、外歩き用じゃないんだから! この近くに行きつけの店があるから、店主起こして見繕ってくる……。もうほんと、びっくりした……」


 恐る恐るといった調子で片目だけあけて、視線を向けてくる。


「男物の服。俺結構大き目じゃないと着られないぞ」

「そんなの見ればわかるよ! ていうかいつ鍛えてんだよその身体。引きこもりのくせに、筋肉しっかりついてるし、どこの騎士かと思ったよっ。可愛いルーナはどこいったんだっ」


(さすが男の裸を見慣れているだけあるな)


 筋肉に注目するのは職業柄だろうか。たしかに怠惰な生活のわりに、魔族としての最盛期で止めた肉体はそうそう衰えていない。しかし近衛騎士にでもまざれば特筆するほど立派なものでもないとリュート自身は思っている。

 クライスが何に対して興奮しているか全くわからない。

 わからないなりに、服がないと帰れないのは事実だったので、がたがた言いながらも身だしなみを整えて出て行くクライスを素直に見送った。


(もしかして、女だとバレたかと気にしていたのかな。そんなに焦るなら、俺を起こさないでさっさと起きて距離おいていれば良かったのに……。)


 よくわからん奴だな、と思いつつリュートは起き上がって浴室に向かった。

 寝なおす気にもならないし、湯上り用のローブでも身に着けて何か飲もう、とのんびりと考えながら。


 * * *


 死

 ぬ

 ほ

 ど

 恥ずかしかった!!


 ばたばた部屋を後にして、人通りも少ない朝の道を駆けながらクライスは叫び出したいのを堪えていた。


(起きたら、ものすごく整った顔が目の前にあって。いや、起きる前の夢心地のときから変だなとは思っていたけど!!)


 リュートの、しなやかでいてしっかり筋肉のついた左腕に頭を支えられていて、右腕は身体の上にのっていた。

 腕一本でも意外に重かった。

 体感的には抱きしめられているかのような状態に頭が真っ白になって、硬直して、動くこともできずにリュートを起こした。

 ほとんど助けを求めるような、祈るような気持ちだった。


(けだるい表情のくせに、なんでいきなり、お前熱でもある? って気にしてくるんだよ。こっち見んなよばかやろう。緊張するし……っ)


 やりとりを追想すればするだけ恥ずかしいのに、どうしても打ち消すことができない。

 そのくらい、朝、目を覚ましたら、好きな人が横にいるというのは衝撃的な出来事で。


(※しかも裸……ッ)


 顔を赤らめ、目を潤ませて泣く寸前で走っていると、ちらちらと見られているのを感じる。

 しっかりしないと、と自分に言い聞かせつつも、足は止められない。

 身体にこもった熱を逃がすように、クライスは目当ての店まで走り続けた。



 開いていない店の裏口にまわって、店主を起こして謝り倒して服を買い求め、ついでに通りで開いていたパン屋でハムや野菜のはさまったパンを選んで宿に戻ると、リュートは窓際の椅子に座り、気持ちよさそうに風に吹かれて寝ていた。

 いちおう、部屋着のローブは身に着けていたので、クライスは大いに胸をなでおろした。


「おー……帰ったか。おかえり」


(なんか全然余裕。ひとりで焦って馬鹿)


 普段通りののんびりした様子を見ると、気が抜ける。


「服。早く着て。靴とか一通り。気に入らないかもしれないけど」

「お前趣味良いし、選んでもらって文句なんか思いつかないけど」


 受け取って、確認もせずにその場で着替えをはじめたので慌てて背を向けた。


「んー。昨日は男同士気にしないってノリだったのに、今日はずいぶん恥じらうんだな」


 しゅるしゅると衣擦れの音をたてながら、軽く揶揄されてまた顔から火が吹くかと思った。


「予期してない裸は無理だよ……ッ」

「そうは言っても、一晩過ごした時点でお前の監視にはあれもこれもしたと思われてるはずだぞ。そんなに動揺しまくりなのはどうなんだ」

「実際には何もしてないんだから、そこはもう触れないで欲しい……」


(リュート相手にはノミの心臓なんだよ。気付いてないみたいだけどね!)


「着た。お前すごいな、見るだけでサイズわかる特技でもあるのか。ぴったりだ」


 振り返って、また死ぬかと思った。

 丈が長めのシャツに、細身の黒のズボン。腰の位置が高い。適当に真ん中だけボタンをはめたシャツからはちらちらとへそが見えているが、指摘することはできなかった。そういう着こなしなんだ、と納得しておくことにした。

 無言になったクライスには構わず、リュートはどこかから取り出した紐を口にくわえて、髪を束ねはじめる。朝の光の中で、その光景は息を止めて見つめてしまうほど様になっていた。

 見とれていることに気付かれたくて、無理やりに視線を逸らした。


「朝ご飯もあるから食べよう」


 一緒に泊まって、寝て、朝ご飯か……。

 向かい合って座りながらパンをかじってしみじみしてしまったクライスであったが、不意にリュートから視線を感じて目を向けた。


「なに?」


 まだ何かある? との思いから聞くと、リュートがくすっと笑う。


「言い忘れてたけど、おはよう」


(このタイミングで)


 思わずクライスは胸を手でおさえた。なんとか笑みを浮かべた。


「うん、おはよう」


 ほんの一時間で何度殺されかけたかわからない朝だな、と。

 そんなこと、「偽装結婚」を露程も疑っていないらしいリュートには言えないし、知られるわけにはいかなかったけど。

 不自然にならないように目を逸らして、パンをかじる。

 まだ視線を感じたが、気付かないふりをした。

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