第5話 月明かりに夜の船

 不安になるくらいなら、聞けばいいのに。

 並んで指輪見ていても、全然集中してないのが痛いほど伝わってくる。


(王族にあれだけ生意気な口きく奴が、どうして俺に対して、そこまで臆病になるのか)


「指輪は次回にしよう。集中してないときに選んでも、ずーっと迷いが残る」


 リュートが声をかけると、消沈した様子のクライスは反論もなく頷いた。


「そうだね。ここまで付き合ってもらったのに、悪い」

「別に。次回って言ってるんだ。焦るな」


 上の空のクライスに言い聞かせてから、リュートは目をつけていた商品を店員に包んでくれるようにお願いした。

 クライスは心ここにあらずで店内を見て回っている。


「帰るぞ。……ほら」


 手を差し出しても、ぼんやりしている。

 ため息をついてリュートはクライスの手を掴んで引っ張った。


「気になるなら聞けよ。何遠慮してるんだよ。俺を信用しろって言っただろ。悪いことは何もなかった」

「クロノス王子ってなんか怖いんだよ。何考えてるかわからなくて。なんで鉢合わせするかな……」

「あれだけあしらっておいて、よく言う」

「僕のことはいいんだ。リュート……『ルーナ』が目をつけられたんじゃないかって」

「もしそうだとしても、俺は自分でどうにかできる。気にするな」


 ぐずぐずしているクライスの手を引いて、夕暮れの気配漂う街路を歩く。

 クライスの歩みが、遅れる。


「まだ何かひっかかってるのか?」


 振り返って見上げると、クライスから悩まし気な視線を送られた。


「ルーナって、誰? 女の人の名前だよね。僕、リュートの交友関係あんまり知らないし」


(しいていえばルミナス、前世のお前の愛称に近い……。言えねーな)


 ぱっと浮かんだから言ってしまったけど、今思えばあまり良くなかった。

 クロノスの記憶が、それで刺激されたのもあるかもしれない。


「いまの知り合いの誰かというわけでは。ただ、王子に言ってしまったし、今後はそれでいこう。それより、晩飯の店は目星ついてるのか」

「うん。予約いれてる。指輪買わなかったし、支払いはもちろん僕が」

「却下。今日使わなくても後で使う金だろそれ。俺に何回も同じこと言わせんな。宮廷魔導士だって給料出てるんだ」


 妙に落ち込んでしおらしくなったクライスを引きずって歩いていたが、ふと気づいて立ち止まる。夕陽を頬に受けているクライスを今一度見上げて聞いた。


「道を知らない俺に先を歩かせてる場合か。迷うぞ」


 クライスは、滲むような笑みを浮かべた。


「ごめん。こんなに可愛い女の子連れてるんだし、しっかりしないと。ついてきてくれる? 失敗したくなくて下見したんだ、美味しいお店だよ」


 カッコつけたいなら、「下見した」は言わなくても。

 そう思ったけど、ようやく持ち直したクライスを突き放すのは忍びなくて、黙った。


 * * *


 食事の後、王宮に戻るつもりだったが、クライスに反対された。


「女の子の姿でリュートの部屋を出入りしてるところ見られない方がいいよ。特に今日は監視がついてるかもしれない」

「王子の差し金か。近衛騎士のお前が言うなら、やりかねないんだろう。それなら、この後は」


 店を出て、すっかり暗くなり、人影も少なくなった道を並んで歩きながら何気なく聞く。

 クライスは無言のまま、リュートに肩を寄せてその手を握りしめた。


「僕は外泊許可をとってるから。隊舎に戻らなくてもいいんだけど」

「俺も、火急の用事はなかったから、焦って帰る必要は」


 言いながら、(ん?)と引っかかる。考えすぎかと思ったが、ここまできたら多分。


「もしかして、わざと監視に俺らが一緒に宿泊するところまで見せようと思ってるな。この策士が」


(そこまでやるか。偶然会ったクロノスはともかく、第一王子には日常的にそこまでの危機感を覚えてるってことだよな。近衛騎士隊で働いていて本当に大丈夫なのか)


「無理強いするつもりはなくて」

「べつに。『男同士』だし、俺は気にしない。宿もあてはあるんだろ? さっさと行こう。引きこもりにはハードな一日だった。眠い」


 見た目は若い恋人同士でも、何か起こりようがないのはクライス本人以上にリュートがよくわかってる。今日一日クライスがべたべたしてきたのはひとえに監視を意識してのことだろう。宿の中まで、女体リュートに何かをするつもりとは全く考えられなかった。

 そもそもクライス自身が女性だ。それがリュートにバレたらまずいのはわかっているはず。


「何から何まで付き合わせて、ごめんね。リュートはそこまでのつもりはなかっただろうけど、言ったら断られるかと思って、言えなくて」

「こちらこそ。何から何まで段取り組んでもらったみたいで。思った以上に楽しかったし、最後は乗りかけた船だ。夜の海にしばし漕ぎ出そう」


 昼寝が必要な体質なのに、今日は全然寝ていない。とにかく寝たい一心で誘うと、クライスはようやく踏ん切りがついたように、しっかり頷いて言った。


「ありがとう。いま僕、すごく幸せ」


 * * *


 クライスが決めていたのは、王都の観光客が泊まる中ではそれなりのランクの宿で、部屋はもちろん二人一緒。

 リュートとしては、何も思うところはなかった。

 むしろ湯浴みや着替えのタイミングで女と気付かないふりをしないとな、という点で少しだけ緊張した。


 部屋に併設された浴室にはきちんと沸かしたお湯が用意してあった。リュートが先を譲ってもクライスは頑として拒んだ。

 渋々先に湯を使うと、水を捨て魔法で新しく湯を用意した。

 湯上り用のローブは大きすぎたので、着て来た白のドレスを身に着け、髪を乾かしきらないまま浴室を出る。クライスは窓際の椅子の上で膝を抱えて座っていた。


「お湯交換しといた。どうぞ」

「ありがとう」


 ちらっとリュートを見つつ、困ったように視線を逸らして立ち上がる。


(そんな青少年のような反応しなくても。俺が困る)


 浴室に行くクライスとすれ違い、部屋を見渡す。

 寝台は大きいのがひとつ。

 眠かったので、先に寝てしまおうと遠慮なく潜り込んだ。眠りに落ちる直前、思い直す。


(あいつ変なところで律儀だし、声かけないと絶対ソファか床で寝そう)


 ソファで寝るなら身体の小さい自分の方が良い。

 目をこすりながら移動し、丸まって寝る。

 すぐにうたた寝したらしい。気付いたらクライスの気配がそばにあって、目を開けたら思った以上に顔が近くにあった。


「起きた。ごめん、寝台に運ぼうと思って」

「いいよ。お前が使えよ」

「そういうわけには!」


 言うと思った。面倒くさい。とことん面倒くさい。

 波打つ豊かな銀の髪をかきあげて、リュートは溜息をついた。


「不毛な言い争いは浴室の使用権のときで懲りた。あんな広い寝台なんだ、二人で使っても余裕だろ。俺そんなに寝相は悪くない。一緒に寝るぞ」

「え……」

「何驚いてんだよ、面倒なんだよそういうの。それともお前は寝相が悪いのか」


 クライスは、ベルトや小物、装身具の類は外していたが、昼間着ていた服装だった。湯上りのローブなんて胸元がすらっと開いてしまいそうなもの着られなかったのはよくわかる。それだけ服をしっかり着込んでいるなら寝乱れても肌が露出することはないだろう。


「いいか、俺は寝台に寝る。お前も寝ろ。口答えは許さない。今日一日付き合った俺の最後のお願いくらい聞け。ごちゃごちゃ言ったら絶交だからな」


 あまりの眠さゆえに、相手の弱みを余さず全部利用する暴言で締めくくり、リュートはふらっと立ち上がった。 

 そこで、ふと思い出して部屋に入ってクロゼットに押し込んでいた自分の荷物を漁りに行く。宝石店で包んでもらった小さな品物をクライスの胸に押し付けるように渡した。


「今、中身を確認して」


 戸惑った様子ながら、クライスが包みを開く。

 中から出てきたものを、不思議そうに目の高さにかざした。


「ブレス……?」


 シルバーの細いチェーンに、華奢なリボン型のチャームと青い宝石がついただけのシンプルな環。


「アンクレット。指輪はお前が買うって言うし。首輪は女物しかなかったけど、お前つけないだろ。耳に穴もないし、そのくらいしかなかった」

「僕、ふだん足が出るような服装はしない」


(だと思って、女物っぽいけどそれにしたんだ。下手に普段使いできるネックレスやブレスなら、義理堅い性格だし、俺に会うときはつけていそうで。女物だと洒落にならない。服の下に隠していても、何かの拍子に他の奴に見られるかもしれないから)


「いらないなら捨てて良い」

「捨てるわけないよっ」

「じゃあ、今俺の前でつけてみせて欲しい。俺、結構好きなんだよな。アンクレット」


 贈ったのは、つけているところを見てみたいから。

 ちょうど風呂上りに、部屋付けのサンダルをひっかけただけのクライスは、窓からの月明かりで慎重に足首にアンクレットをつけた。思った通り細い足首で、チェーンがゆるく垂れている。


「似合うな。綺麗な足だ」


 見るだけ見て満足したリュートは、そのまま寝台にもぐりこむと「おやすみ」と言ってすぐに眠りに落ちた。

 夢も見ないほどよく寝た。


 * * *


 早朝、目を覚ますと、寝台の反対側の隅に、身体を縮こませて寝ているクライスの姿が確認できた。赤毛が掛け布から少しだけ枕にはみ出ている。


(よし。寝てる)


 言いつけを守るか見張るなんて馬鹿らしいことはもちろんしなかったが、クライスなりに仁義を通したようでほっとした。

 それから、身体の違和感に耐え切れずにドレスは脱ぎ捨てる。さすがにそのまま寝たのは窮屈だった。胸が苦しかったのもある。

 ついでに、魔法の制限時間が切れていることに気付いて、さっさと男性の姿に戻った。 

 身体の大きさが全然違う。

 寝台の真ん中でのびのびと身体を伸ばした。


「ん……」


 クライスが寝返りを打ち、仰向けになった拍子に腕が触れてきた。さして気にならなかったのでそのままにしておいた。

 そして、再び眠りに落ちた。

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