第27話 最悪の……
「夏なので陽が落ちるのが遅いんですよね。あと、暑い」
廊下から中庭への階段に腰かけて、ファリスがのんびりと言った。手でひさしを作って、日暮れ前いまだ水色に透き通った空を仰ぐ。
「そうだな。確かに暑い」
「ローブ脱いだ方がいいんじゃないですか」
剣での立ち回りを想定したファリスは、長衣を着ていない。
「うーん……」
ファリスは立ち上がると、階段下に立つアリエスのフードをさっとよけてローブに手をかけ、手際よくはぎとり、丁寧に畳んだ。
抵抗する間もなく脱がされたことに、アリエスは少しの間ぼんやりとしていた。ファリスは気にした様子もなく、階段にローブを置いて、アリエスの顔を見た。
「その方が良いです。顔を隠さないでください。どうせならずっと見ていたい」
「あのなぁ……」
嫌そうに掌で顔を覆う。
その手首をファリスが掴んでやや強い力で引きはがした。
「気になっていたんですけど、エンデのことを少し苦手にしていませんか?」
「顔の綺麗な男は苦手なんだ」
「それ、自分も含まれてるんですか。同族嫌悪?」
口調は丁寧なくせに、手首に込められた力は強く「痛い」とアリエスは小さく抗議する。
「ごめんなさい。男に対しての加減はよくわからなくて」
にっこりと笑ったファリスを、アリエスはとても嫌そうな顔で見返しつつ、ぼやいた。
「苦手というか……。たぶん……好きだから」
最後の一言は、迷いを含んだ、それでいてとても暗い響きを帯びていた。
誰が、という疑問の言葉をファリスは一度飲み込んだ。そして、伏し目がちなアリエスの顔を遠慮なくのぞきこんだ。
「もしかして、『彼女』が好きなんですか? 顔の綺麗な男のこと?」
アリエスは苦しげに眉を寄せ、切ない息をこぼした。
しかしすぐに、本人は皮肉っぽく決めたつもりなのだろう、悪そうな笑みを唇に浮かべて言った。
「そうでなければ、俺といる理由がないからな」
近くの木から、鳥がぱさぱさと軽い音を立てて飛び立った。
「それ…………マジで言ってんの!?」
ファリスの遠慮のない問いかけが響き渡り、ばさばさばさっと鳥が飛び立った。
アリエスが答える隙を与えず、ファリスはまくしたてる。
「ヤバい……理解が追いつかないんだけど……。うちの馬鹿王子でもあるまいし。この顔で? これだけ魔力もあって? 不老長寿で長く連れ添っていて? なんで『彼女』のこと信じらんねーの!? その自信の無さ何!? ヤバい。自分が誰の味方なのかよくわからないけど。ヤバい。今これを見過ごしちゃだめな気がする」
アリエスそっちのけで、ファリスは猛烈な勢いで独白。
その後、ようやくアリエスに向き直った。
「そもそもなんでアリエス様は『彼女』のことが好きなんですか。どこが好きなんですか」
「改めて聞かれると、難しい。ものすごく難しいんだ」
「わかりました。好きは好きなんですね。そこは認めるわけだ。『他の誰かと恋愛しても、俺は平気だ』みたいなあれは、強がりなんだ。よくわかりました」
アリエスは瞑目し、掌で口元を覆った。頬には赤みが差していた。ファリスはまったく躊躇しなかった。
「そのくせ、彼女に愛されている気がしなくて、自信がない?」
烈しい苛立ちのままに、ファリスはアリエスに詰め寄る。
もはや胸倉を掴みそうな勢いであった。アリエスはひるんだ様子こそ見せなかったものの、瞳にはわずかな寂しさを浮かべて言った。
「実際あの人は、ああ見えて誰かに気を許す人間じゃないんだ。たいてい、何をするかはいつも一人で決めてしまう。どんなに俺がそばにいても、頼ってくることなんかない」
ついにファリスはアリエスの胸倉を掴んでしまった。
「あ~の~ですね。本当にわかってないんですかね~、エリスは! 『お師匠様』に激甘えでしたけど!!」
「それは『エリス』だから」
「俺がそういう風に育てたって言いたいんですか!? だったら、そんなまどろっこしいことしてないで、愛せば良かったじゃないですか。子どもじゃないんです、いくらでも愛の示し方はあったはず。もともとの性格を再現なんかしてないで、自分だけを見るように徹底的に容赦なく愛せば良かったじゃないですか!」
締め上げられて、アリエスは眉を寄せて「苦しい」とファリスの手に自分の手をのせた。アリエスの手は、骨ばっていて、指が長い。薬品や危険な物を扱うせいか、指先や爪周りの皮が荒れ細かく傷ついている。その手で、ファリスの手を掴んで外させた。
「俺は、どうもそれを愛とは思えないらしくてな。愛を強制するような」
「あああ嫌だ。こんなエロい手をして。持ち腐れ」
大げさな嘆息とともに、ファリスはアリエスの手を逃がさないように掴むと、指先に唇を押し付けた。
「お前、大丈夫か。俺だぞ」
「次何か言ったら、今度は唇を奪ってやる。愛だと思えないんじゃない、自信がない言い訳だ。愛が何か知らないだけだ。これ以上不老長寿に希望を失わせないでくださいよ。臆病な人間は何百年生きても臆病なままだなんて、あんまりだ」
「言われ放題な気がする」
アリエスが自嘲めいた笑みを浮かべて言った。ファリスはすっと目を細めた。
「宣言はした」
謝らないですよ、と小声で言ってからアリエスを両腕で抱きしめると、咄嗟のことに対処できずにいるアリエスの瞳を見つめて、目を閉じて、唇を近づける。
「……っ。おいっ」
アリエスは顔をそむけてかわしながら、非難がましい声をあげる。ファリスは腕の戒めをとくと、間近でおっとりと微笑んだ。
「僕だからこのくらいで済んだんですよ。さすがに、これだけの魔力の差を感じながら、大魔導士に無体なことはできないです」
「十分してると思うが」
アリエスが抗議する。
「怖かったですか」
ファリスはくすりと笑い、アリエスは呆れきった様子で顔を逸らす。その肩にしなだれかかるように腕を回して、ファリスは耳元でダメ押しのように囁いた。
「エンデだったら、逃さなかったですよ。彼はああ見えて、可愛いひとが大好きなんです」
ふっと息を吹きかけて離れたファリスに、アリエスは溜息をついて視線を流した。涙目ではなかったが、わずかに潤んではいた。
「可愛い……。俺を誰かと勘違いしてないか」
「誰かと勘違いされるような顔じゃないでしょう。そんな顔そうそういてたまるか。ほんっとーに自分をよくわかっていないのは魔導士の師弟のお家芸ですか」
「お家芸」
「アリエス様のような美貌だったらこれまでさんざん荒波に揉まれてきたと思うんですけど、なんなんですかね。戦に明け暮れていたうちの馬鹿王子でもあるまいし。どうしてそう」
何もかも恥ずかしげもないくらいの純情可憐で。
思ったけど、口には出さなかったのは、相手が年下の少年のように錯覚してしまったせいだった。
(ただのいじめになるぞこれ以上は)
自分自身に言い聞かせつつ。それでもぼやくのは止められない。
「綺麗な顔に似合いの穢れのない性格……。永遠の少年と無自覚悪女……。最強最悪の組み合わせですね」
限りなく本音だった。
* * *
その頃、悪女はとても気持ちよさそうに寝ていた。
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